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2016年11月放送大学面接授業「海事産業と神奈川」前編

11月19日~26日にかけて開催された放送大学神奈川学習センターの面接授業
「海事産業と神奈川」を受講してきました。

放送大学の面接授業は1科目辺り85分×8回の設定なので、4時限×2日間の開催が多いですが、今回の講義は珍しい3日間開催。
1日目の11月19日土曜・2日目の20日日曜は1・2時限目のみ、3日目の26日土曜は1~4時限。という構成です。3日間開催だとその分交通費がかかるものの、1日目と2日目は昼で終わるので余裕があるのは楽ですね。

今回の講義「海事産業と神奈川」の内容としては、海運・造船産業の変遷、東京湾の海上交通の安全確保、造船産業の変遷と事故事例や海洋環境保全を学ぶ。また海事博物館や保存船の意義に関して実地見学を通じて学ぶ。といったもの。

2016年1学期で受講した面接授業「港湾活動と社会発展」は港湾や国際物流などを扱った類似のテーマ。また同じく2016年1学期に受講した放送授業「海から見た産業と日本」も海事・港湾・国際物流がテーマ。今回の面接授業で港湾や海事について、前2者の内容を更に発展させ深く学ぶ。といった印象。
私は前2者の授業を受講していていわば予習していた形ですが、初見だとかなり難しいかも。という印象です。


講義のテーマとしては以下のとおり。(シラバス引用)

11月19日土曜日
第1回・海運における都市横浜の役割
第2回・東京湾の海上交通とその安全

11月20日日曜日
第3回・海難そして海洋環境の保全
第4回・造船と神奈川

11月26日土曜日
第5回・造船技術の色々:客船、LNG船、コンテナ船、海底掘削船
第6回・歴史的産業遺産、海事産業の現状と将来展望
第7回・海事博物館の意義について
第8回・保存船の意義について

講師は客員教授であり横浜国立大学名誉教授の角洋一氏。

3日目の午後(第7・8回)は実地授業として、「横浜みなと博物館(帆船日本丸記念財団)」で実施。シラバスには「日本郵船歴史博物館」でも行なうとありましたが今回は「日本郵船」の方の見学はありせんでした。
定員は20名ですが、4名程度追加募集の対象になったよう。

テキストは1日目の最初にレジュメのような形で配布。といっても、2組あわせてA4版で105枚程度とかなりの分量です。


11月19日第1時限「海運と港湾都市横浜の役割」
まず横浜港を中心として東京湾内各港の国際物流や産業構造の面から概説。
特徴的な外観のLNG船や地上設備も含めたLNG輸送システムについての紹介。
また東京湾内の安全確保と関連して、船舶の航行に関する国際基準である右側通行に準拠した「海上衝突予防法」と東京湾内のローカルルールとも言える「海上交通安全法」。海上保安庁による「東京湾海上交通センター」の紹介など。
更に港湾行政の課題や実情として、日本の港が韓国・中国といった新興国に較べ国際競争力が弱く苦戦していることなど。日本は地場貨物が主体なのに対し釜山・シンガポールなどはハブ&スポークによるトランスシップ(積替え)が主体であること。
海運そのものでは世界的に見るとグローバリゼーションの進展などで輸送量は年々増えていること。また中国の台頭や新パナマ運河開通などでコンテナ船の最大サイズもどんどん大きくなっていること。
更に海運そのものも問題として、便益置籍船の問題や船員教育・養成のあり方の問題など。現在外航船に関しては日本船社の船であっても日本人外航船員は激減しているのに対し、ほぼ全て日本人で構成される内航船員に関しては高齢化が顕著であること。国交省・文部科学省の縦割り構造で船員養成体系が複雑であることなど。

この項は私には前述した第1学期に受講した授業の復習となるような内容でした。


11月19日第2時限「東京湾の海上交通とその安全」
この項では海難事故と東京湾の安全に関してが主体。
全国港湾で扱う海上貨物の4割近くを扱う東京湾。日本の経済を支える動脈である東京湾口航路・浦賀水道は全国で最過密な航路であること。また海難事故の1次原因で最も多いのは衝突と座礁事故であること。
この項では海上安全と海洋汚染について、東京湾で過去発生した2事故「1974年11月の液化天然ガス運搬船・第十雄洋丸衝突事故」「1997年7月の原油タンカー・DiamondGrace号座礁事故」の2事故について紹介。

1975年の第十雄洋丸衝突事故では東京湾中央部過密地帯の中の瀬航路出口付近にて貨物船「パシフィックアレス号」と衝突して爆発炎上。「第十雄洋丸」は炎上しながら東京湾内を漂流。市街地に接近したため、誘発事故回避の為に東京湾外まで曳航するも更に大爆発が起こり曳航を断念。
最終的には海上自衛隊が出動して護衛艦・航空機・潜水艦による砲撃・爆撃や魚雷攻撃により、事故から20日後に沈没。幸いに積荷がLPGとナフサで揮発性が高く燃焼したことで漏洩油による環境汚染は免れたこと。
事故原因として、独自のルールが適用される中の瀬航路の出口付近でお互いが相手が回避すると思ったこと。両船間の意思疎通が不十分であったことなど。
この事故後の1976年に「海上災害防止センター」1977年に「海上交通安全センター」が設立され再発防止と事故後の対策強化が図られたとのこと。

1997年の大型原油タンカー「DiamondGrace号」座礁事故では、中の瀬西側航路を航行中に水深の浅い(17m・本船は喫水19.5m)中の瀬に近づきすぎて座礁。幸に海上保安庁等の迅速な対応と油回収船の活躍で積載26万トン中1000トン強の流出で抑えられ環境汚染が少なく済んだこと。建造後3年の新船であったため劣化が少なく「ナホトカ号折損沈没」のような大事故に至らなかったこと。
当時はシングルハルタンカーの時代だったが、現在のダブルハルタンカー(2重底)ならこのような事故でも油漏洩0であった可能性が高いこと。
この事故後2008年に中の瀬航路の浚渫がおこなわれ、喫水20m未満ならば中の瀬航路を航行できるようになり再発防止対策がとられたこと。

こういった事故の教訓で設立された「海上交通安全センター」「海上災害防止センター」の役割の紹介。今後の課題として事後対策のみではなく潜在的リスクに対処し事前に防ぐことが必要であること。

「第十雄洋丸衝突事故」に関しては、テキストの文章、紹介された事故当時の写真などを見るだけで生々しさが伝わってくるような壮絶な事故だと感じます。特に衝突相手のパシフィックアレス号は乗員29名中救助された生存者は1名(第十雄洋丸は39名中34名生存)というのも怖さを感じます。
安全確保対策、船の安全性は当時に較べて向上しているとはいえ、狭い海域に多くの船が輻輳している本質的な問題は解決していないどころか、船の巨大化が進みそれによる危険性の高まりなど決して「過去の事故」ではないことも感じます。


11月20日第1時限「船体折損100年の歴史」
この項では海難事故の中でも造船設計の観点から極めて重要な船体折損事故についての学習。衝突や座礁事故に較べれば発生件数こそ少ないものの、造船技術や船体構造技術展開の歴史に密接に関係している重要な事項であること。
まず現在のスティール+タービン・ディーゼル船の歴史は約100年であること。この中で、代表的・特徴的な船体折損事故を取り上げながら背景を探る形で講義が進みます。

最初に「ホギング」「サギング」といった折れ方の名称。座屈やスラミングといった用語など難しい言葉が出てきて、講義の内容も難しくなってきます。

☆1901年・英国駆逐艦コブラ号。造船所から母港への回航中の新造駆逐艦コブラ号が悪天に遭遇して折損沈没。
1935年日本の駆逐艦「初雪・夕霧」が大演習中に台風が来襲し艦首切断による事故
これらの事故は、高速駆逐艦の出現で船体軽量化の要求やワシントン軍縮条約からの「海軍休日」によりトン数が制約された中での過度の船体構造軽量化という時代背景があったこと。
英国では後年に同型駆逐艦を使用してドッグにて折損実験を行い原因究明が行なわれたものの、日本では後年(戦後)まで事故の調査研究がおこなわれなかった。また同型艦での事故の予兆を放置していたことなどを紹介

☆第2次大戦中の1943年米国で戦時標準船「スケネクタディー号」が造船所岸壁での儀装工事中に折損沈没。
従来のリベット接合に変わり全溶接工法が登場し造船技術のイノベーションが起るものの、まだ溶接技術の未熟さから折損事故に繋がる。

☆1980年バラ積み貨物船「尾道丸」の折損沈没
日本で初めて本格的な事故解析や学会での論文発表などがおこなわれる。60年代末からの日本の高度成長によるバラ積船などが登場。そして大型化が急ピッチで進んだことが背景

☆人為的ミスによるタンカーの折損
1980年7月に大型原油タンカーがロッテルダム港において積荷の揚貨中に折損。揚貨する際の重量計算・荷揚げ手順ミスでの折損。
私としては過去に読んだブライアンキャリスン著の小説「オイルタンカー炎上す」はこの事故をベースとしていて印象深いものの、授業では「極めて単純な人為的ミス、及び乗組員の資質の問題」と簡単に紹介。

☆上記に関連して1990年代にサブスタンダード船(保守管理が劣悪な船)による重大折損事故やタンカー折損で油流出事故が多発。これも船の構造設計問題というよりもメンテナンス問題
適切なメンテナンスが施されていれば防げる事故でありまた問題がある船は特定の国に集中しているとのこと。

☆コンテナ船の大型化。2013年6月MOLコンフォート号折損事故
全長316m・積載8100TEUの大型コンテナ船が折損沈没。ポストパナマックスなど船幅・船長が増大し大型化するコンテナ船だが、大型化の進展により新たな折損リスクを抱えていること。

折損後に安全な場所に曳航した上でコンテナ回収も目論むも及ばず曳航中に沈没して積荷は海の藻屑に。オイルタンカー事故の油回収技術は進んでいるものの、一般貨物船やコンテナ船の積荷による海洋汚染対策は今後の課題とも。

これらをまとめるとサブスタンダード船や人為的ミスを除くと、
「20世紀初頭の高速駆逐艦と軽量化→第2次大戦期の全溶接船と脆性破壊→専用船の登場と大型化→コンテナ船の大型化」
といったように新技術の導入や船の進化にあわせて、その時代時代で折損事故が発生している。船の進化の歴史は折損事故との戦いであることが分かりました。

特にMOLコンフォート号のような2010年代の最新鋭船で折損事故が起きたことは印象的です。昨今のテレビ番組等でも巨大豪華クルーズ船や巨大コンテナ船が紹介されますが、2010年代の現代においてもこういった船の巨大化の影に船体折損との戦いが潜んでいることを物語っているように感じます

船体折損事故の引き金に「悪天候下で・・」というのが多いですが、こういう場合、素人論議的に「悪天候下で船を出すのが悪い」「船長等の気象判断ミス」となりがちな感がします。日本では本格的な原因究明が1980年の尾道丸事故までなかったのはこういった背景があったのかな?という感もします。

私としては船体折損事故といえば、1954年の洞爺丸台風における第11青函丸沈没を思い出します。辛うじて沈没時の目撃証言はあるものの、生存者がいないために沈没に至る経緯は不明。沈没原因の究明も出来ず推測の域を出ないとか・・・。これも沈没の直接の原因である構造上の問題による船体折損が、洞爺丸他僚船の沈没の悲惨さと、台風の脅威の影に隠れてしまった?と改めて感じます。


ここで区切りとして次回に続きます。


2016/11/30 1:52(JST)
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