オリンピックに向けて聖火リレーが始まっている。その「オリンピック」と言うキーワードに誘われて手に取った文庫本から。
最近は、KoboやKindleの電子書籍で読むことが多くなった。
古い書籍でも電子化されているものも多い。
紙の本にするかの選択基準はあまりないが、ビジネス書は電子書籍で買わなくなった。買わなくなった理由は、最初は軽い気持ちでどんどん購入していたものの、あまりライブラリーに残しておいても情報が古くなるばかりと気づいたことが大きいと思う。
どちらかと言うと、合本であったり全集の類いは電子書籍で読むのが都合がよくなっている。専用の端末を使えば一定の重さで使い勝手も統一できて読み進めることができる。
普段はブックオフなどで本を探すところですが、小さな店舗の古本屋さんへ寄って見ました。そこで手に取って見つけたのが「世界カタコト辞典(文春文庫)」です。この本は、1979年3月25日第1刷となっています。
元となる単行本が1965年に出版されたと「まえがき」に書かれています。当時は、一度書籍化されたものが文庫版になるまではそれなりに時間がかかっていたように思います。本の価値が今より高く、情報の伝達スピードがゆっくりとしていたのかもしれません。
この本を手に取って最初に開いたページのタイトルは『オリンピック・ゲームズ』で興味が沸いてしまい購入することにしたのです。
タイトル通り海外の単語にまつわるエピソードが書かれていて、著者は有名な「小田実氏と開口健氏の共著」で構成されています。その内容の最後には「(O)」と「(K)」でどちらか担当したががわかるようになっています。
その『オリンピック・ゲームズ』の項の担当は小田実氏(O)
Olympic games(英語)<意>国際オリンピック大会
このような書籍は、さすがに電子化されず絶版本となっています。
その没頭は、 『今さら「オリンピック」であるまいと言う人もあるだろう。・・・(引用)』から始まります。前回のオリンピックがこの書が出版された(単行本の発行が1965年)前年(昭和39年)の1964年10月10日~25日でした。
それだからこそ「今さら」と書き出したのだろうと思う。
また、当時の沖縄と日本との微妙な関係が語られています。沖縄返還が 1972年(昭和47年)5月15日なので、この本が最初に書かれた時点では、まだ日本では無かったというニュアンスで書き進められていきます。(文庫化された時には返還されています)
それは4つの沖縄が抱えていた事が書かれています。
1つ目は、
オリンピックの聖火が沖縄を離れるときに「本土」と表現されていたこと。
日本と書かなかったことへの賞賛。
二つ目は、
「聖火」のときにアメリカ兵が、日本の国旗を持ち去る(推測ですが、家などに祝日や記念日に国旗を掲揚する家が多かった)事件が頻発し「スーベニア(観光土産)化」していたこと。
三つ目は、
八重山諸島(列島)に住む人達は、日本のオリンピックをテレビで見るために「台湾」の電波を拾って視聴していたこと。
そして、最後(四つ目)は、
驚くことに1945年8月、アメリカ軍海兵隊の本土(九州)へ上陸への作戦名は「オリンピック」であったこと。
この項の締めくくりには、それから20年経ってやっと(1964年)東京オリンピックが来たとしている。
当時は、そのような印象だったのだと思うし、文庫化された1978年でさえ、沖縄返還後は「車は左」と注意看板があったくらい本土という響きが残っていたと思う。
今回のオリンピックは終戦から、75年目に開催予定だったが、世界規模の新型コロナウイルス上陸により多くの尊い命を奪っていきます。
1年延期を決定したが、オリンピックウイルスは止むことはないようです。
延期を決めた時点で、オリンピックを実現するための専門家の意見を重要課題にできなかったように見えています。
残すところ4ヶ月あまりで2021年オリンピック開催となります。
この一年間、医療の専門家の提言のみが重要視されていたように思います。
第二次世界大戦に参戦する時のように、一部の強い反対意見があるにもかかわらず、一方的な、専門家の言う事を信じ疑わずに突き進んでいく様を感じます。
海外からの観客を呼ばずに、今回のオリンピックが行えば緊急事態宣言で経済を奪われた若い世代の人達が、そのツケを将来負担し続けることになります。
当時のしおりがそのまま入っていました。ヤクルトジョアです。
健康な笑顔が印象的で誰かな?と思い出すのに少し時間がかかりましたが、歌手の「大滝裕子」さんだと思います。
「MR.PRIVATE EYE」を大滝裕子さんが歌っています。