原田泰治は3月2日享年81歳で亡くなりました。長野県出身の画家です。私は四季折々、全国津々浦々のふる里を描き続けた絵画が好きでした。彼の絵は、素朴派(ナイーブ・アート)と呼ばれることがありますが、とにかく見て心楽しくなる画風です。私も、懐かしいふるさとや美しい日本の心に触れ、いつもほのぼのとした思いをしています。長野県諏訪市には原田泰治美術館があります。日本の素朴な風景画が展示されています。
「春・モモの花」
口語短歌
「モモの花 ピンク一面 咲き誇り 桃源郷の 香り漂う」
モモの花1984年山梨県東八代郡一宮町
四月の中旬、モモの花がいっせいに咲き、どこもかしこもピンク色に埋め尽くされてしまう。中でも一宮町から御坂町あたりは、行けども行けどもモモ畑が続き、甘い香りが漂う桃源郷のようだ。(原田泰治)
「夏・田植えの子供たち」
口語短歌
「子供たち 田植え手伝う はしゃぎ声 泥にまみれた 顔キラキラと」
1992年宮城県七ケ宿町
新緑に囲まれた山あいの静かな集落では、桐があざやかに花をつけ、澄んだ空気が小鳥のさえずりを伝えてきた。突然、子供たちのはしゃぎ声が聞こえてきた。先生や父母も手伝って田植えをしていた。汗とどろんこにまみれた顔がキラキラ輝いていた。(原田泰治)
秋
口語短歌
「夕やけが 甘く切なく 迫り来て 今日の終わりと さみしさ誘う」
宮崎県西臼杵郡1977年「みのりの夕暮れ」
夕やけが美しいと少し甘く切ない気持ちになるのは、今日一日が終わっていくのがさみしいからかもしれません(原田泰治)
「冬・新しい年」
口語短歌
「雪一面 冬のお日様 顔出して 新年迎え 国旗の飾り」
山形県西村山郡西川町
暮れからの雪が村を白い世界に変え、お正月を迎えた。雪の村にお地蔵さまの小屋があった。村の人たちが手厚くしているのであろう、お地蔵さまはワラで編んだ衣につつまれていた。なんだか雪国に伝わる民話のようで心あたたまる。空から冬の太陽がうっすら顔を出した。いつの間にか、降ってはやみ、やんでは降る長い雪国の冬が始まった。(原田泰治)
「ふるさと」をテーマに、自然の中で慎ましやかに暮らす人びとや農村風景を愛情込めて描き続けた画家、原田泰治(はらだ たいじ)。
原田泰治は、幼少期の体験もあり、農業にはとても強い憧憬の念があるのである。
1940(昭和15)年4月29日、長野県諏訪市で生まれた泰治は1歳のとき小児マヒを患い、両足が不自由となる。
4歳のとき、まったく農業の経験のない父が泰治を自然の中で育てたいと思い、一家で伊賀良村(現長野県飯田市)に開拓農民として入植し伊賀良村で中学校までの10年間を過ごしたのである。だから、泰治には、農業に対するとても強い憧憬の念があるのである。
その後、諏訪市に戻った泰治は、高校生のとき、林野庁が募集した「愛鳥週間」「山火事防止」のポスターコンクールに相次いで入賞した。このことから泰治は、グラフィックデザイナーの道を志すのである。
1963年に武蔵野美術短大を卒業後、伯父の経営するアートスタジオでデザインを学び、1965年頃から少年時代を過ごした伊賀良村の思い出を描き始める。
そして、1982(昭和57)年4月から127週(2年半)にわたり、朝日新聞日曜版に“日本のふるさと”をテーマとした絵と文による「原田泰治の世界」を連載して好評を博した。
参照
https://taiziharada.jp/
「2021年軽井沢レイクガーデンに咲いた薔薇たち」
「クスストファーマーロー」2021年9月7日撮影
コメント一覧
最新の画像もっと見る
最近の「藤田泰治~ふる里の風」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事