原田泰治は3月2日享年81歳で亡くなりました。長野県出身の画家です。私は四季折々、全国津々浦々のふる里を描き続けた絵画が好きでした。彼の絵は見て心楽しくなる画風です。長野県諏訪市には原田泰治美術館があります。日本の素朴な風景画が展示されています。
「山村の駅」
口語短歌
「子供たち はしゃぐ姿に 機関車が お花畑で 汽笛を鳴らす」
1988年3月
駅の近くに広がる田んぼは、れんげ草がピンクの花をつけ子供達の遊び場でした。
花のカンムリや首カザリを馴れない手つきで姉さん達におしえてもらったものです。
山羊の鳴き声が聞こえる、春の田んぼのひとこまです(原田泰治)
「春の港」
口語短歌
「潮風は 春の港に 梅の花 夫婦仲良く のどかな景色」
1989年3月
山国に育った私は、海にいつもあこがれています。
潮の香り、漁船のエンジン音、すべてが大好きです。
漁をおえ、明日の漁の準備をしているご夫婦もほほえましく見えます。
春の湊には梅の花が咲き、のどかそのものです(原田泰治)
「お花畑」
口語短歌
「一面の 花畑には 優しさと 甘い香りが ひろがっている」
1990年3月
雪国では、山々に残雪がどっかりあるのに、
ここ千葉県千倉では花が咲き、うららかな春なのです。12月に菜の花が咲き始めると
次から次へと絶えることなく花が開きます。
黒潮の影響なのですが、花畑には花づくりの優しさと、
甘い香りがひろがっていました(原田泰治)
「ふるさと」をテーマに、自然の中で慎ましやかに暮らす人びとや農村風景を愛情込めて描き続けた画家、原田泰治(はらだ たいじ)。
1940(昭和15)年4月29日、長野県諏訪市で生まれた泰治は1歳のとき小児マヒを患い、両足が不自由となる。4歳のとき、まったく農業の経験のない父が泰治を自然の中で育てたいと思い、一家で伊賀良村(現長野県飯田市)に開拓農民として入植し伊賀良村で中学校までの10年間を過ごしたのである。
1982(昭和57)年4月から127週(2年半)にわたり、朝日新聞日曜版に“日本のふるさと”をテーマとした絵と文による「原田泰治の世界」を連載して好評を博した。
参照
https://taiziharada.jp/
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