(仕事帰りに立ち寄った道の駅で買った“創作飾りカボチャ”)
「ああ 生きる日の
美しき
ああ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす」
(「われは草なり」 高見順)
☆
庭木剪定でいろんな家庭を訪ねて数年。共通して感じることが2点あります。
まず、年配のご主人や奥さんは、庭にそれなりに関心を持ち、手入れにお金をかけることを惜しまないのですが、その子供たちとなると、どこもほとんどといっていいくらい興味を示していないこと、そして2点目は、そのご主人や奥様は歳月とともに、施設や病院に入り、われわれの前に姿を見せなくなるということです。
今日、訪ねた民家もそうでした。
これまでは80代後半風のおじいさんが、われわれが訪ねると必ず家から出て来て、庭木の手入れについて班長と熱心に話していたのですが、先月入院したとのことで、その姿はありませんでした。
代わりに50代風の穏やかな感じの息子さんが現れ、「私、剪定については分からないので、お任せします。今後については改めて相談させてください」と言っていました。
休憩時間には、大きなミカンと地元の和菓子店のまんじゅう、ペットボトル入りにお茶と出て、これまで通り手厚い持てなしでした。
以上
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