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邪馬台国論争に終止符! 邪馬台国は徳之島だった!

2015-06-18 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

邪馬台国論争に終止符! 邪馬台国は徳之島だった!

旅行時期 2012/05/16 - 2012/05/22 (2012/06/26投稿
邪馬台国論争に終止符!? 邪馬台国は徳之島だった!?<br /><br />『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の邪馬台国は、徳之島が有力という事で現地を視察し色々な実証をつかんできました。<br /><br />1.邪馬台国論争に終止符!? <br />①『竹取物語』の不老不死薬と徐福伝説から邪馬台国を発見。物語に登場する宝貝と不老長寿薬から「徳之島」と推定! 魏志倭人伝の方位と距離など80%が一致。<br />②『魏志倭人伝』に記す邪馬台国は、方位&距離から九州より南の大海「徳之島」。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島。<br /><br />2.邪馬台国は「徳之島」だった!? <br />①『魏志倭人伝』に記す「南水行十日陸行一月」は、真ん中に「又」が無く「投馬国から南へ水行十日(+)陸行一月」。年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島。<br />②伊仙町で発掘された弥生時代のシャーマン(卑弥呼?)墓は、魏志倭人伝と同様、棺あるが外箱無しの土葬「巳葬」である。聖地の前方後円墳は百余歩あり、山は丹(赤土)ある。<br />③ 中国貨幣(宝貝)出土は徳之島との交易の証。戸森の舟の線刻画(鉄器で描く)と不老不死薬、除服の坐像石は、徐福が最初に渡来して邪馬台国・卑弥呼の王国を誕生させた。<br /><br />■取材等お問合せ『竹取翁博物館』館長 小泉芳孝。京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522<br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.
邪馬台国論争に終止符! 邪馬台国は徳之島だった!

『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の邪馬台国は、徳之島が有力という事で現地を視察し色々な実証をつかんできました。その後、竹取翁博物館に「邪馬台国論争に終止符! 邪馬台国は徳之島だった!」という特別展示をし館長自ら解説、「邪馬台国は徳之島だった!」という本(博物館のみで販売)も出版されています。


1.邪馬台国論争に終止符!
①『竹取物語』の不老不死薬と徐福伝説から邪馬台国を発見。物語に登場する宝貝と不老長寿薬から「徳之島」と推定! 魏志倭人伝の方位と距離など99%が一致。
②『魏志倭人伝』に記す邪馬台国は、方位&距離から九州より南の大海「徳之島」。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島。

2.邪馬台国は「徳之島」だった!
①『魏志倭人伝』に記す「南水行十日陸行一月」は、真ん中に「又」が無く「投馬国から南へ水行十日(+)陸行一月」。年中温暖「海南島」と同じ気候、裸足で入墨、長寿の島。大和は100パーセント当てはまりません。九州は50パーセントしか当てはまりません。
②伊仙町で発掘された弥生時代のシャーマン(卑弥呼「ノロ・ユタ」)墓は、①『魏志倭人伝』と同様、棺あるが外箱の蓋無しの土葬「巳葬」である。上面縄の聖地である邪馬台国の前方後円墳は百余歩あり、山は丹(赤土)ある。
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③ 中国貨幣(宝貝)出土は徳之島との交易の証。中国の殷王朝時代から『竹取物語』の難題に出てくる「ツバクロの子安貝」が輸出され貨幣とされていた。
④戸森の舟の線刻画(鉄器で描いた神代文字)、千枚岩の不老不死薬、目に水晶をはめ込んだ徐福の坐像石は、徐福が紀元前260年ごろ最初に渡来し、その後400年後に邪馬台国・卑弥呼の王国を誕生させた。徐福又はその一行は、南西諸島を北上して九州・伊根・新宮・富士などに来ている。

■見学・取材等お問合せ『竹取翁博物館』館長 小泉芳孝。京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522
■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.
写真 8枚
テーマ:
歴史・文化・芸術
交通手段 : 
  • 現地移動 :  レンタカー / JALグループ / 私鉄 / 徒歩
エリア:
鹿児島 > 離島(奄美大島・屋久島) > 徳之島
エリアの満足度:
評価なし
  • 500_25816054
     『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼は「巳葬」されたとあります。
    徳之島には「巳葬」の風習があり、亡骸の足を55分、頭を25分に寝かせて埋葬されています。学者先生方には「巳葬」の風習が理解できないままになっているようです。
     この風習は徐福渡来が西方のシルクロードから中国へともたらせた判明しています。徐福は中国浙江省寧波の港から真東に向けて船出し不老不死の徳之島を目指しています。宝貝商人が4千年の昔から中国へ宝貝を小船に積んで交易していた航海のルートだったのでしょう。
     秦の始皇帝や徐福もこの徳之島海洋民族である宝貝商人の情報を昔から聞いていたのでしょう。120歳まで生きた泉重千代さんが「世界一の長寿」としてギネスブックに掲載され、また116歳まで生きた日本人最長寿本郷かまとさんもいて百歳を越えた人の多い長寿の島です。この蓬莱の島である倭国は、大陸の人達の憧れの国であり『史記』にも掲載されています。
     徐福が日本にたどり着いた最初の島が徳之島なら、卑弥呼の邪馬台国が徳之島であっても不思議ではありません。
     徐福集団の鉄の技術(遺跡発見)がありました。鉄で描く事の出来た「神代文字の含んだ線刻画」の存在や、徐福の古墳と思われるガジュマルの木が生える後円部の場所に石像も発見されています。弥生時代の女性(卑弥呼)が円墳又は洞窟に土葬の巳葬(魏志倭人伝にぴったり)で発掘されています。

    2012年7月1日から上写真の「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符!」展(邪馬台国の展示は日本初)を開催しています。場所‥京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522
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    後漢書
    秦の始皇帝、方士徐福を遣わし、童男女数千人を入海、蓬來神仙を求めしむも得ることをえず、徐福、誅さるることを畏れ、敢えて還らず、此の洲に止まる。世々相承けて教万家 有り。会稽東冶県の人、海に入り行きて風に遭い、流移してせんし亶洲に至る者有り。在る 所絶遠にして往来すべからず
     戦前は、徐福研究をすると「不敬罪」でお縄になったようです。30年ほど前までは、マスコミでも報道することがタブーとされていました。現代は言論の自由がありますのでネットでは常識ですが、何故かいまだ国や学会では認められていません。認めてしまうと今までの先生方の説を葬り去ることとなりますので…。  

    年譜 [編集]中国の歴史書によると
     建武中元二年(57年)  -  倭奴国が金印を授与される。『後漢書』
     永初元年(107年)  -  倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
     倭国、男性を王とした七、八十年
     桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) -  倭国大乱。『後漢書』
     光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める『梁書』
     景初三年(239年) -  卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。 魏から 親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(23 8年))。
     正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉 じて倭王に拝受させた。
     正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として 魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
     正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
     正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升 米に詔書、黄旗を授与。
     正始九年(248年) - またはその前後
     卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年) に卑弥呼死亡)
     男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
     卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
     女王位についた壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそ のまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦 20匹を貢いだ。
     泰始元年(265年) - 倭の遣使が重ねて入貢。『晋書』邪馬台国からの最 後の入貢。
     呼び名 [編集]『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』 東夷傳)、『隋書』の通称倭国伝(『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷  倭國)、『梁書』諸夷伝、『三国史記』新羅本紀では表記は「卑彌呼」、 『三国志』魏書 帝紀では「俾彌呼」と表記されている。


     7世紀の頃に京田辺に住んでいた藤原不比等が書いた『記紀』に徐福は、完全に歴史から抹殺されてしまっていた。渡来人であることを伏せ、古代から藤原政権の一党一派を築く為に日本人であるかのように改竄されていたのです。故に、藤原不比等は古代史改竄の大罪を犯している事になり、聖徳太子が書いたとされる『17条の憲法』も藤原不比等らが作ったとされている。

  • 500_25816227
    「徐福さん」鳥羽一郎が歌う「徐福さん」紹介します。

     世間には余りよく知られていない話があるものです。
    有名な歌手が歌っているのに「徐福さん」の歌も知られていない、
    私も最近まで知りませんでした。

     星野哲郎作詩・中村典正作曲です。
    1、まぼろしの  まぼろしの  2、夢こそは  夢こそは
      不老長寿の  薬を求め     若さ支える 天台烏薬
      蓬莱目指して 船出した     三国無双は 那智の滝
      3千人の   大ロマン      大空駆ける 龍に似て
      一つに束ね  舵をとる     姿を何時も 仰ぐたび 
      徐福 徐福             徐福 徐福
      徐福は秦の  夢男       徐福は胸に 蘇る

    3、何よりも   何よりも
      汗を流して  得る喜びが
      天国なんだね 人の世の    
      木の香もゆかし日の本に
      神倉建てて  幸を呼ぶ   
      徐福 徐福
      徐福の後に  徐福なし
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    写真は、徳之島で発掘された卑弥呼と見られる土葬「巳葬」のシャーマンです。

    1.邪馬台国は「徳之島」だった!
     伊仙町で発掘された弥生時代のシャーマン(卑弥呼)墓は、魏志倭人伝と同様、棺あるが外箱無しの土葬「巳葬」である。聖地の前方後円墳は百余歩あるが、ここからではなく洞窟(かつては円墳か)で発見され、姫ハブが卑弥呼を守っていたのです。何故なのかは、盗掘されないように円墳の洞窟へ、又は洗骨儀礼がありその時に前方後円墳から移動された、と思われます。

    2.邪馬台国論争に終止符!
     『魏志倭人伝』に記す邪馬台国は、方位&距離から九州より南の大海「徳之島」。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島である。

    『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼の邪馬台国は、徳之島が有力という事で現地を視察し色々な実証をつかんだ。詳細は下記の竹取翁博物館へおいでください。


  • 500_25816252

    2012年7月1日から「竹取翁博物館」で「邪馬台国論争に終止符!」展を左の場所で開催しています。場所‥京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522

    「邪馬台国論争に終止符!?」 [徐福 邪馬台国 魏志倭人伝 九州説大和説」等を展示しています。
    『魏志倭人伝』に記す邪馬台国は、方位&距離から九州より南の大海「徳之島」です。昔から新井白石らが苦悩、畿内・九州説の議論続くが、帯方郡東南の大海の中の山島とあります。
  • 500_25816401
     竹取翁博物館の小泉館長は、毛沢東が生きていた時代から中国に取材に行っていて中国の少数民族や遣唐使の関係で弘法大師・空海についても調べ世界50か国以上の民俗調査をされています。手前のドイツ製の16ミリ映画カメラで取材しているのが小泉館長です。(京の天安門前広場にて撮影)
     館長は、『竹取物語』に出てくる「蓬莱山の不老不死薬」とも通じていて、そこらを調べているうちに、徳之島の徐福伝説につながり卑弥呼の「邪馬台国」との関係も見えてきたのです。
     魏志倭人伝に記されている卑弥呼の邪馬台国は、何時か徳之島ということになるのではないかと現地を詳しく調査して歩き間違いないのではないかと自負してされています。
     江戸時代から卑弥呼の邪馬台国説は、大和・九州説だと新聞や書物でマスコミ陣に取り上げられ論争が続いています。この為に突拍子もない説を突然述べても誰も信じて頂けないので「ネット」で公開することにされました。

    ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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  • 500_25947010
    写真は「卑弥呼の墓」と見られる所です。ここから20~30体の殉死が見られたようです。手前が後円部、奥の左後方が前方部で100余歩あります。しかし、近年になり手前の部分が削り取られ露出しています。ここからは殉葬と見られる遺骨が発掘されています。
     邪馬台国の徳之島説は、東京大学の「九州説」と京都大学の「大和説」、それに「マスコミ説」と「大手出版説」という巨大な勢力と戦わねばなりません。先日もある全国紙の優秀な記者が『魏志倭人伝』を片手に持ち取材にこられましたが、江戸時代から続いてきた今までの成果? はどうするのか!? とか、実に判らないことを発して帰られました。これは記事に出来ないとまで!?  首をかしげておられました。

  • 邪馬台国は徳之島(牛馬いなかった)説が有力!
    魏志倭人伝には、「邪馬台国には牛馬いない」と記されている。しかし、『古事記』上巻に「牛を放ち馬を息へ」、『日本書紀』巻第一に「牛馬化為る有り」とある。神話に、牛馬のことが書かれ「飛鳥には牛馬がいた」との記入がある。
  •  
  • 【追記】 まだまだ、決定打は色々ありますが、博物館へお越し頂いての「楽しみとさせていただきたい」と館長自身が申しております。
  •  
  • ■取材等お問合せ『竹取翁博物館』館長 小泉芳孝。京都府京田辺市三山木直田10 0774-62-2522
    ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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日文研 3.竹取物語の羽衣・竹送り・不死薬を考える 大阪中之島公会堂

2015-06-15 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

日文研 3.竹取物語の羽衣・竹送り・不死薬を考える 大阪中之島公会堂(第4室) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会2015.6.14)

日本古文化研究会185回の「伝承と古代文化の集い」月例会で、会員の石井道人氏が、「竹取物語の羽衣・竹送り・不死薬を考える」と題した発表をされた。
 以前から竹取物語について分析されていて貴公子や鏡などから竹取物語を分析しておられる。今回は「絹織物の羽衣・東大寺二月堂の竹送り・ラストシーンの不老不死薬」を考えると題した発表をされた。
このように竹取物語は、日本歴史の様々な分野にわたっての物語でもあり歴史の重要な史実が含まれた日本初の物語であり小説でもある。ゆえに、様々な分野からの考察が可能なのである。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
  copyright(C)2015 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.


日文研1.邪馬台国は徳之島だ! 邪馬台国論争に終止附!で大激論 大阪中之島公会堂

2015-06-15 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

日文研1.邪馬台国は徳之島だ! 邪馬台国論争に終止附!で大激論 大阪中之島公会堂(第4室) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.6.14 【YouTube】   https://youtu.be/gORqETErsmc
日本古文化研究会185回の「伝承と古代文化の集い」月例会で、竹取翁博物館の小泉芳孝館長が、邪馬台国は徳之島だ! 邪馬台国論争に終止附! を発表された。
 これに対して会場から色々な質問や意見が述べられた。
今回、質問として、「巳葬」「持衰」「上母縄姫按司古墳」があった。
「巳葬」については、原文からして明らかに「巳」であり、訓読み「み」、音読み「し」であり、方角などの「巳の刻」という発表であった。しかし、良く似た字体としては、「已」「己」がある。「已」は、訓読み「すで、に、のみ」音読み「い」。「己」は、訓読み「おのれ、つちのと」、音読み「こ、き」である。
 今回意見を述べられている方は、訓読み「すで」にと訳されているので「已」の字体であるが、原文をみる限り「巳」である。
他に「持衰」「上母縄姫按司古墳「稲作」「御嶽(うたき)」等もあったが省略させていただいた。 
館長は、世界50カ国以上民俗の調査研究にいかれていて、最近『竹内文書』の73世が述べられている「日本が世界の中心…」だという事を述べられた事を発表された。
 そして、館長は、平安京がイスラエルの「エルシャロウム」エルサレムであることをのべられた。特に神武天皇の前に存在し封印されていた物部氏との関係からかぐや姫サミットを開催し「聖書・徐福・物部・神武」から「邪馬台国の場所」と「卑弥呼」を考察したことを解りやすく簡潔に述べられた。
 これらの事を博物館で出版している本を紹介された限定本『竹取物語から古代日本の歴史を探る』 http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら 卑弥呼の邪馬台国や徐福を説明された。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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女性の船グループが、今秋見学の下見で竹取翁博物館を訪問 2015.6.4

2015-06-12 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

女性の船グループが、今秋見学の下見で竹取翁博物館を訪問 2015.6.4

   https://youtu.be/lVXgoY5ry6k 
 筒木の歴史を探訪する代表の方が「古代地域の歴史を探る」と題して竹取翁博物館を訪問されました。
 館長から地域の歴史の概要を説明された後、竹取物語から色々な真実の歴史が見つかったことを簡潔に述べられた。
 館長は、かぐや姫の誕生がイエスキリストの誕生「復活である」ことを述べられると驚きの悲鳴が上がりました。 しかし、聖書などに詳しい方がおられたので、館長が話されていることに賛同され幸いしました。また、平安京がイスラエルの「エルシャロウム」エルサレムであることや祇園祭がイスラエルのシオンの祭りであることものべられた.


さらに「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、聖書や神武、物部氏、徐福と邪馬台国」の分野­からも国際かぐや姫学会で考察した内容を説明された。
 特に神武天皇の前に存在し封印されていた物部氏との関係からは、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼で白衣を着て回る…こと。ほかに、竹取物語の作者は空海で、天女の羽衣.舞台は京田辺であり各種本の出版物やホームページに発信していることを話されました。
 今年の2月には、国際かぐや姫サミットを開催して「聖書・徐福・物部・神武」から「邪馬台国の場所」と「卑弥呼」を考察したことを解りやすく簡潔に述べられた。
 これらの事については、すべて話すと時間が数時間かかるので詳細を知りたい方には、博物館で出版し発行している本を数冊紹介されました。 それらの本は『竹取物語現代考』と限定本『竹取物語から古代日本の歴史を探る』であり http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html 本を示しながら 卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台だと説明された。これらに関心を示された方が2冊の本をお買い求めいただいた。

 『竹取物語から古代日本の歴史を探る』は、卑弥呼の邪馬台国・徳之島説について、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。さらに、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことなどが記されている。
 このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話された。
 「空海」は、世界の聖者であり唯一書物を書き残した偉大な人物であることも付け加えられた。そして、中国へ遣唐使で行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)から「イエスの復活を­学んでいた」ことなど、古代の封印された歴史を明快に述べられた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
 copyright(C)2015 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 


古代史に詳しい大阪の団体が竹取翁博物館を訪問①

2015-05-31 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

古代史に詳しい大阪の団体が竹取翁博物館を訪問①
      https://youtu.be/MvbbsTicEHM

畿内にお住まいの古代史に詳しい方達が学術研究するために竹取翁博物館を訪問されまし­た。
 物部氏などの古代史に大変詳しい方達で地域の現地調査などされておられた。
 小泉館長が2013年の暮れからユーチューブで述べていた内容を理解されていて大変熱­の入った説明となった。
 内容は、地元の事だけにかぐや姫が京田辺市三山木の「山本」にいたことや、周辺の飯岡­古墳から出土した2~3世紀の青銅鏡、それに竹に関係する月読神社の大住隼人などでし­た。
 また、日本初の竹取物語が起承転結という書き方で書かれていることや、5人の貴公子が­求婚する難題としてインドや中国、中東など世界国々の品々を登場させている事などを説­明され、さらに作者が空海であることを明快に答えられました。
 このほか、月から持ってきた不老不死薬から除福に繋がり、江戸時代から論争されている­「卑弥呼の邪馬台国」との関係などにもつなげて、かぐや姫の竹取物語がこのような事に­も繋がっていたという事を詳しく説明された。
 展示についても相当興味を持たれたようで大変満足という評価を頂きました。

 

 


ルポライター1. かぐや姫発祥地「竹取翁博物館」を取材  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)  2015.5.23

2015-05-25 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

ルポライター1. かぐや姫発祥地「竹取翁博物館」を取材  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)  2015.5.23  HP  http://taketori.koiyk.com/ 【YouTube】https://youtu.be/r2jbwnonYkc 

ルポライターが、かぐや姫の里である京田辺市の竹取翁博物館を取材された。

 大手マスコミがジャーナリズムの誇りをなくし、週刊誌も露骨な揚げ足取り記事が目立つなか。どこを見てもチョーチン記事のオンパレードとなった現在…。そんな中、生涯、「アナーキスト」として権力に歯向かい続けたルポルタージュの世界があった。

 ルポが意図するところは、虚飾や偽善で煙幕を張る強者から、その衣を剥ぎ取ることでそれぞれ個人の人間性を露にしようとしているように思える。

 『竹取物語』全体は、虚飾や偽善で強者から人間世界を剥ぎ取ることで、物語に登場する人物の人間性と感情を暴露しようとしているように思える。それは当時の奈良・平安時代を背景にして描かれてはいるが、日本や世界の真実の歴史を暴露している言論暴力であるのかもしれないが、見方を変えれば強烈な愛情表現にも思える。

 作者空海は、世界の聖者であり唯一「書いた者を残した」日本史上最大の天才と言われています。その裏には人が知らないような努力を積み重ねて来た事が空海伝説として、その後の虚空蔵菩薩求聞持法経や、世界の宗教を網羅した『三教指帰』等で「人間は如何にあるべきか」を実践した偉大な人物であった。

    竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。

その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館・別館①に竹取物語の襖絵(14面)、人形劇を展示、空海説・かぐや姫歌のCDとビデオもある。

小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。

また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター等のニューメディアにも積極的に発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』、特別限定販売『竹取物語から古代日本の歴史を探る』 作者空海、天女羽衣、邪馬台国、等を出版。「国際かぐや姫学会」の支部も出来て日本や世界から注目されている。毎年開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・音楽会・演劇・舞踊・茶会などを開催し、世界唯一のユニークな博物館として注目されている。http://taketori.koiyk.com/ 

 

 


イスラエル 1.日本唯一のエルサレム展示解説博物館 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)

2015-05-18 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

イスラエル 1.日本唯一のエルサレム展示解説博物館 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.5.17 【YouTube】 https://youtu.be/xcaxzACOUQw かぐや姫の誕生シーンが、キリストの誕生と重なり、聖書にイエスキリストの「復活」が­記されている。空海は、奈良の大安寺などで海外の僧侶から中国語やサンスクリット語、それにゾロアス­ター教、ヘブライ語までも勉強して遣唐使として中国に行った。空海の『三教指帰』には、『竹取物語』に関係する多く書かれ空海で無ければ書けなかっ­た事項が多くある。それら世界の古代史を綴った限定本「竹取物語から古代日本の歴史を探る」を4冊お買い­求めて頂いた。【本の詳細】http://taketori.koiyk.com/紀元前230年頃、秦始皇帝の命を受け徐福が不老不死の薬がある日本(徳之島)へ最初­にきた。そこは「蓬莱の島」で四百年後に『魏志倭人伝』に記す卑弥呼の邪馬台国が出来­た。また、これらが『竹取物語』研究と深く繋がっていることを記している。

 館長からは、卑弥呼の邪馬台国、レビ族(アーク)、シュメール等を解説。物語に出てく­る不老不死の薬から徐福が最初にきたのが徳之島と判明し、卑弥呼の邪馬台国が徳之島に­誕生したことなどを説明。

 ■竹取翁博物館 場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail   TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391  HP http://taketori.koiyk.com/ ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。copyright(C)2015 Yoshitaka Koizumi. Corporation Japan. All Rights Reserved. 竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最­古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備­山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重­軽石)を展示。 その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館・別館①に竹取物語の襖絵(14面)、人形­劇を展示、空海説・かぐや姫歌のCDとビデオもある。小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説を­し、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説さ­れている。また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター等のニューメディアにも積極­的に発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡­探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』を出版、日本や世界から注目され「国際か­ぐや姫学会」の支部も出来ている。毎年開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民­家でのシンポ・音楽会・演劇・舞踊・茶会などを開催し、世界唯一のユニークな博物館と­して注目されている。


山代と竹取物語2.翁の名前は「さかきのたりねのみこ」竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)

2015-05-18 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

山代と竹取物語2.翁の名前は「さかきのたりねのみこ」竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 
【YouTube】http://youtu.be/awq-qg96OiI
 突然「山城の歴史と翁との関係」それに、古代の「甘南備山信仰」などを知りたいと訪問された。そして、当館の常設展示解説書である竹取翁博物館の開館と同時に発行した分厚い本『竹取物語現代考』を古本屋で買って読んだという方であった。
 調べる範囲が広いので何から話せばよいのか思案していると、この後で京田辺にある甘南備山へ行きたいと話された。


そこで、古代の信仰と竹取物語についてから説明しだした。そして、範囲が広く1時間半くらいでは話せないので、さわりをお話しするから当館発行の本『京田辺の史跡探訪』、竹取物語の『作者弘法大師・空海説』を書いたかぐや姫サミットの報告書、さらに今年(2015.2.14)のかぐや姫サミット冊子『竹取物語から見えてきたもの』イスラエル12部族、イスラエル12部族の子孫、封印されていた物部氏、邪馬台国をご覧になって下さいとのべた。そしたら、それらの本をネットで見たので買いたいので来たという。
 帰りにこれらの本をお買い求め頂いた。この本は博物館のみで販売しているもので、最近多くの方がこの本を目当てに訪問されるようになった。つまり、どこの書店に行ってもこれだけの内容の本がないからである。
 ちなみに、この一連のシリーズであるYouTubeの中でも話しているが、『稲作民族の源流』は、門脇先生から「あなたには脱帽です」という直々の手紙をいただいている。また、『京田辺の史跡探訪』は、佛教大学の元社会学部教授が「郷土史でこれだけの内容の本を書いた人は未だいない」と絶賛頂いている。さらに、『竹取物語から見えてきたもの』は、ユダヤ研究家でキリストや聖書を研究しているかたから、「ここまでかける日本人はいないな。ただ中身の内容を理解できる日本人は少数だ」とメールで感想文を頂いた。
他には、よくぞここまで内容を簡潔明瞭に判りやすく吟味して書かれ「すごい内容であり、知り合いの人も同様に話している」と電話でお話されている。
 また、作家でブランド業を営む語源学の先生は、貴方のことを『まほろば』で数回にわたり、竹取物語を解明した「豪傑!」であり、物部氏・邪馬台国の徳之島説まて解明した「快挙!」だと紹介しているという。
 帰り際のアンケートには、「実に充実した展示物を館長さんの丁寧な御説明に感動いたしました。何度も訪れたいと思います。」という感想文をお寄せいただきました。
■竹取翁博物館 場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail
  TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391 
  HP http://taketori.koiyk.com/ koiy@leto.eonet.ne.jp
ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。copyright(C)2015 Yoshitaka Koizumi. Corporation Japan. All Rights Reserved.  
 竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。

 


かぐや姫の里「竹取翁博物館」見学者ぞくぞく

2015-05-09 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

かぐや姫の里「竹取翁博物館」見学者ぞくぞく

 

HP YouTube 3.日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国(徳之島説) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3
  【YouTube】https://youtu.be/vR0TkXqdSWk
 竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。
その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館4面)・別館①に竹取物語の襖絵(14面)茶室、人形劇を展示CDビデオ、空海説・かぐや姫歌のCDビデオもある。小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。
また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のニューメディアにも積極的に世界発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』限定本『竹取物語から古代歴史を探る -イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』『かぐや姫サミット -作者弘法大師空海-』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」国際支部も米国に出来ている。
毎年2月開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・かぐや姫時代行列などを開催し、世界唯一のユニークな世界一博物館として注目されている。
 館長からは、見学者に対して「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、聖書や神武、物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察」した内容を順に説明されている。
 最近は、封印されていた物部氏(物部王朝・物部天皇)の存在や、大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白衣を着て回る…のと深く関係していると発表。
 これらを書き記した限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。
そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話されている。
 「空海」は、世界の聖者であり唯一書物を書き残した偉大な人物であることも付け加えられた。そして、中国へ遣唐使で行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)から「イエスの復活を学んでいた」ことなど、古代の封印された歴史を明快に述べられた。
■博物館訪問の後で「継体天皇の筒城宮」へ行きたいということで
1.京田辺散策地図入りの『京田辺の史跡探訪』
2.限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-をお買い求めいただいた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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HP YouTube 3.日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国(徳之島説) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

2015-05-05 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

HP YouTube 3.日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国(徳之島説) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3   【YouTube】https://youtu.be/vR0TkXqdSWk
 竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。
その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館4面)・別館①に竹取物語の襖絵(14面)茶室、人形劇を展示CDビデオ、空海説・かぐや姫歌のCDビデオもある。小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。
また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のニューメディアにも積極的に世界発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』限定本『竹取物語から古代歴史を探る -イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』『かぐや姫サミット -作者弘法大師空海-』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」国際支部も米国に出来ている。
毎年2月開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・かぐや姫時代行列などを開催し、世界唯一のユニークな世界一博物館として注目されている。
 館長からは、見学者に対して「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、聖書や神武、物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察」した内容を順に説明されている。
 最近は、封印されていた物部氏(物部王朝・物部天皇)の存在や、大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白衣を着て回る…のと深く関係していると発表。
 これらを書き記した限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。
そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話されている。
 「空海」は、世界の聖者であり唯一書物を書き残した偉大な人物であることも付け加えられた。そして、中国へ遣唐使で行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)から「イエスの復活を学んでいた」ことなど、古代の封印された歴史を明快に述べられた。
■博物館訪問の後で「継体天皇の筒城宮」へ行きたいということで
1.京田辺散策地図入りの『京田辺の史跡探訪』
2.限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-をお買い求めいただいた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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HP YouTube 2.隼人・物部氏・日ュ同素論(レビ族・平安京)  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

2015-05-05 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

HP YouTube 2.隼人・物部氏・日ュ同素論(レビ族・平安京)  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

HP YouTube 2.日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国(徳之島説) 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3
【YouTube】https://youtu.be/bRldLyYFEVg
 竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。
その他、竹取の庭に「かぐや姫神社」、本館4面)・別館①に竹取物語の襖絵(14面)茶室、人形劇を展示CDビデオ、空海説・かぐや姫歌のCDビデオもある。小泉館長は、本館・別館①かぐや姫館・別館②土蔵を管理する一方、自ら展示物の解説をし、五人の貴公子「難題の品」や空海説・邪馬台国説の「根拠」など映像を駆使し解説されている。
また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のニューメディアにも積極的に世界発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』限定本『竹取物語から古代歴史を探る -イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』『かぐや姫サミット -作者弘法大師空海-』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」国際支部も米国に出来ている。
毎年2月開催の「かぐや姫サミット」では、かぐや姫時代行列や史跡探訪の案内、別館②古民家でのシンポ・かぐや姫時代行列などを開催し、世界唯一のユニークな世界一博物館として注目されている。
 館長からは、見学者に対して「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、聖書や神武、物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察」した内容を順に説明されている。
 最近は、封印されていた物部氏(物部王朝・物部天皇)の存在や、大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白衣を着て回る…のと深く関係していると発表。
 これらを書き記した限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。
そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話されている。
 「空海」は、世界の聖者であり唯一書物を書き残した偉大な人物であることも付け加えられた。そして、中国へ遣唐使で行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)から「イエスの復活を学んでいた」ことなど、古代の封印された歴史を明快に述べられた。
■博物館訪問の後で「継体天皇の筒城宮」へ行きたいということで
1.京田辺散策地図入りの『京田辺の史跡探訪』
2.限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-をお買い求めいただいた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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HP YouTube 1.作者空海・貴公子・青銅鏡・隼人  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

2015-05-05 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

HP YouTube 1.作者空海・貴公子・青銅鏡・隼人  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

HP YouTube  1.作者空海・貴公子・青銅鏡・隼人  竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3
 【YouTube】https://youtu.be/VD5QDLUo8cE
竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」

・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。

 今回は、博物館の数百二上るYoutubeをご自宅のタブロットでご覧になり、突如博物館を訪問された。
ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のニューメディアにも積極的に世界発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『

竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』限定本『竹取物語から古代歴史を探る -イスラエル12部族・聖書

・物部氏・邪馬台国徳之島-』『かぐや姫サミット -作者弘法大師空海-』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」支部も米国に出来て

いる。
 最近は、封印されていた物部氏(物部王朝・物部天皇)の存在や、大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白

衣を着て回る…のと深く関係していると発表。
 これらを書き記した限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-

http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。
そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話されている。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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大学卒論作成 2.テーマ「貴公子の難題」館発行本3冊購入 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)

2015-05-03 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

大学卒論作成 2.テーマ「貴公子の難題」館発行本3冊購入 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.2 【YouTube】https://youtu.be/BrVzwLg2RU4

   当博物館へは、卒論や自主研究発表など小・中・高・大や学校の先生、古代歴史研究など、あらゆる研究者の訪問があります。
今回は、関東から車で訪問あり。娘さんの卒論(国文)テーマである「竹取物語の5人の貴公子」を中心に知りたいということでした。
 ご両親も物語の中身に大変関心があり、貴公子の難題について様々な分析をされておられました。

館長からは、竹取物語の作者が弘法大師「空海」だと説明、誕生は「イエスの復活」であることを述べられました。物語の中で貴公子に求婚の条件としてかぐや姫が出した「難題」は、架空のものであって誰も本物を持参することができず終わっています。
 ただ、難題の部分は、平安時代にタイムスリップして考えないと駄目であり、何を意味して作者が品を持ち出して登場させたのかを分析すると相当深い内容が含まれています。つまり、遣唐使として長安へ行った人でなければ考えつかなかった品々だからです。平安時代初めに書かれたとされる竹取物語は、当時の歴史事実を克明に伝えてくれる内容が多く含まれているからである。
 竹取翁博物館発行の7冊の研究誌である出版物から、以下の3冊の本をお買い求め頂きました。
1.常設展の本『竹取物語現代考』。
2.毎年開催の「かぐや姫サミット」での冊子
3.『竹取物語から見えてきたもの
 -イスラエル12支族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」「NET JATV放送」http://taketori.koiyk.com/
 copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 


大学卒論作成1.家族で訪問、館発行本3冊購入 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)

2015-05-03 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

大学卒論作成1.家族で訪問、館発行本3冊購入 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.5.2 【YouTube】https://youtu.be/BrVzwLg2RU4
   当博物館へは、卒論や自主研究発表など小・中・高・大や学校の先生、古代歴史研究など、あらゆる研究者の訪問があります。
今回は、関東から車で訪問あり。娘さんの卒論(国文)テーマである「竹取物語の5人の貴公子」を中心に知りたいということでした。
 ご両親も物語の中身に大変関心があり、貴公子の難題について様々な分析をされておられました。
館長からは、竹取物語の作者が弘法大師「空海」だと説明、誕生は「イエスの復活」であることを述べられました。物語の中で貴公子に求婚の条件としてかぐや姫が出した「難題」は、架空のものであって誰も本物を持参することができず終わっています。
 ただ、難題の部分は、平安時代にタイムスリップして考えないと駄目であり、何を意味して作者が品を持ち出して登場させたのかを分析すると相当深い内容が含まれています。つまり、遣唐使として長安へ行った人でなければ考えつかなかった品々だからです。平安時代初めに書かれたとされる竹取物語は、当時の歴史事実を克明に伝えてくれる内容が多く含まれているからである。
 竹取翁博物館発行の7冊の研究誌である出版物から、以下の3冊の本をお買い求め頂きました。
1.常設展の本『竹取物語現代考』。
2.毎年開催の「かぐや姫サミット」での冊子
3.『竹取物語から見えてきたもの
 -イスラエル12支族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」「NET JATV放送」http://taketori.koiyk.com/
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歴史通僧侶 2.徳之島は卑弥呼の邪馬台国 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.4.26

2015-04-27 | 竹取物語 作者空海 邪馬台国 奄美(徳之

歴史通僧侶 2.徳之島は卑弥呼の邪馬台国 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.4.26

館長は、「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、聖書や神武、物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察」した内容を順に説明された。
大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白衣を着て回る…。
 これらを書き記した限定本『竹取物語』「古代日本の歴史を探る」http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら
卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。


そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話された。
 「空海」は、世界の聖者であり唯一書物を書き残した偉大な人物であることも付け加えられた。そして、中国へ遣唐使で行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)から「イエスの復活を学んでいた」ことなど、古代の封印された歴史を明快に述べられた。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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