2011年8月13日に訪れました。女人高野 慈尊院!
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。(当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
(和歌山県九度山町のホームページより)
和歌山県九度山町 慈尊院
慈尊院の表門です
昔は高野山は女人禁制で女の人はここまででした。
ここから高野山には21kmあり、一町(109m)ごとに町石があり180町石が慈尊院に有ります
180町石
乳房の形をした絵馬です
有吉佐和子さんの小説にも出てきます。
みろく石
世界遺産 慈尊院石碑
蓮華の形の噴水です
可愛い坊主も有りました
龍の御水舎
多宝塔は現在修復中です
階段を上がると丹生官省符神社( に う かんしょうぶ じんじゃ)があります
ここから歩いて高野山を目指される方がいらっしゃいました。暑い中ご苦労様です。
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。(当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
(和歌山県九度山町のホームページより)
和歌山県九度山町 慈尊院
慈尊院の表門です
昔は高野山は女人禁制で女の人はここまででした。
ここから高野山には21kmあり、一町(109m)ごとに町石があり180町石が慈尊院に有ります
180町石
乳房の形をした絵馬です
有吉佐和子さんの小説にも出てきます。
みろく石
世界遺産 慈尊院石碑
蓮華の形の噴水です
可愛い坊主も有りました
龍の御水舎
多宝塔は現在修復中です
階段を上がると丹生官省符神社( に う かんしょうぶ じんじゃ)があります
ここから歩いて高野山を目指される方がいらっしゃいました。暑い中ご苦労様です。