小島愛ブログ「小島時代」

姐御が往く・・・

ウタウコトが大好きだ。

2007-10-08 01:42:32 | 
 あたしの仕事は「喋る事」

 でも“ウタウコト”が大好きで、
あたしは“ウタウコト”でメシを喰いたいと
子供の頃から思っていた。
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 小学校1年の時、担任の先生から
大垣市の合唱団に入るテストがあるから受けてみたらどう?と言われた。
ウタウコトが大好きだったから迷う事無く受けた。
人生初めての試験だった。

 そして毎週土曜日、バスに乗ってあたしは合唱団のお稽古に通った。
小学2年~中学2年まで毎週毎週・・・
パートはソプラノ。
定期的に演奏会があり、大垣市では勿論、遠征もした。
本場ウィーンの男の子達と交流したこともあったし
韓国の合唱団とも一緒にステージに立ったこともあった。
「アリラン」という曲を歌った記憶がある。
ソロを任された時は本当に嬉しかった。
ウタウコトが大好きだった。

 中学は「合唱」に力を入れていた。
そういう時代だった。
CDが世に蔓延って来た時代、合唱のレコーディングもやった。
「♪あの山を思い出そう♪」アカペラ四重唱のこの曲。
ソプラノ代表でこの曲を歌った。
ウタウコトが大好きだった。

 高校は「合唱」なんて恥ずかしい。
そんな感じやすい年頃だった。
バンドをやろうと持ちかけられた。迷わず「うん!」と答えた。
学園祭で演るのがあたし達の最終目的。
憧れの「久世先輩」みたいに格好いいステージをやりたかった。
3年間で1回しかステージには立てない。
最後の年にステージ立った。
快感だった。
ウタウコトが大好きだった。

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 高校を卒業してあたしは
ローカルタレントの道を選んだ。
ウタウコトでメシを喰う。この夢を諦めた訳ではなかった。

 タレントとして喰って行けるまでバイトをした。
喫茶店で「いらっしゃいませ」「オジューワンです」というバイトをしてた。
ちっちゃなパスタ屋で歌うバイトもした。

 年々“喋る事”でお金を稼ぐことが出来る様になり
バイトを辞めた。
そうして「ウタウコトでメシを喰う」という夢も段々消えていった。

 ウタウコトが大好きだがメシが喰える実力も才能もない。
“喋る事”でお金を戴き、たくさんのアーティストに会ってあたしはそう思った。
あたしの実力ではお金を戴けない。
あたしにとってウタウコトは“趣味”でしかない。

 それでいい。
 それがいい。


 “喋る事”でお金を戴いている以上、半端な事はできない。
努力も勉強もしなくてはいけないのだ。仕事だから。

 自分の首を絞めました。やるしかないのです。

 あたしの仕事は「喋る事」。
あたしの趣味は「ウタウコト」。

 ブルースカフェ4周年で急遽、ウタウコトをして来た。
趣味なのでユーチューブとやらで公開しようと思う。
趣味に付き合って戴けるお方は御覧あそばしませ。
http://jp.youtube.com/watch?v=WT95DoBF5uc