わたしが思い出したことがあります。それはわたしの弟が3歳のときに家の裏の防火用水貯水地で溺死した日のことです。
わたしの幼い日の記憶はそこから始まります。父が貯水池から弟を抱えて上がって来るところからです。生きているべき命がある日突然消えてしまう。それを近所の人たちがが見守っていました。その前の記憶がありません。そこからわたしの記憶が始まるのです。
多くの子どもたちが同じ体験をしたのだと思います。さまざまな人が体験したさまざまな人の脳裏に記された忘れえぬ記憶。それは存在すべき命がある日突然消えてしまった記憶です。
それはあまりにもつらくさびしくそして悔しく、そして冷たく無力な体験です。
だからこそわたしは命の永遠を求めます。どこかに消えた人たちは行ったのだと、そしていつかまた会えるのだと。
そこから生きる希望と勇気、そして望みが生まれるたと思います。
宇宙からはあの日たくさんの命の灯火が地球からどこかえ旅立つのが見えたのかもしれません。そう信じます。
わたしの幼い日の記憶はそこから始まります。父が貯水池から弟を抱えて上がって来るところからです。生きているべき命がある日突然消えてしまう。それを近所の人たちがが見守っていました。その前の記憶がありません。そこからわたしの記憶が始まるのです。
多くの子どもたちが同じ体験をしたのだと思います。さまざまな人が体験したさまざまな人の脳裏に記された忘れえぬ記憶。それは存在すべき命がある日突然消えてしまった記憶です。
それはあまりにもつらくさびしくそして悔しく、そして冷たく無力な体験です。
だからこそわたしは命の永遠を求めます。どこかに消えた人たちは行ったのだと、そしていつかまた会えるのだと。
そこから生きる希望と勇気、そして望みが生まれるたと思います。
宇宙からはあの日たくさんの命の灯火が地球からどこかえ旅立つのが見えたのかもしれません。そう信じます。