gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

思い出したこと・・・

2011-04-24 19:35:07 | 日記
わたしが思い出したことがあります。それはわたしの弟が3歳のときに家の裏の防火用水貯水地で溺死した日のことです。
わたしの幼い日の記憶はそこから始まります。父が貯水池から弟を抱えて上がって来るところからです。生きているべき命がある日突然消えてしまう。それを近所の人たちがが見守っていました。その前の記憶がありません。そこからわたしの記憶が始まるのです。
多くの子どもたちが同じ体験をしたのだと思います。さまざまな人が体験したさまざまな人の脳裏に記された忘れえぬ記憶。それは存在すべき命がある日突然消えてしまった記憶です。
それはあまりにもつらくさびしくそして悔しく、そして冷たく無力な体験です。
だからこそわたしは命の永遠を求めます。どこかに消えた人たちは行ったのだと、そしていつかまた会えるのだと。
そこから生きる希望と勇気、そして望みが生まれるたと思います。
宇宙からはあの日たくさんの命の灯火が地球からどこかえ旅立つのが見えたのかもしれません。そう信じます。

続き・・・

2011-04-03 19:47:13 | 日記
続き・・・
毎日、さまざまな物語が3月11日から語られている。この津波は震災以外でも予期せぬ出来事で平穏な日常を奪い去られて人たち、大切な人を失った人たちの心のつなぐだろう。その現実を受け入れる勇気とそして失った人を忘れぬ強さをもたらすのか。
統合失調症を発症することは孤独な津波にのまれるようなことに思えた。目に見えない津波・・・。それは突然やってきて、突然何もかもをのみこんでいく。何が起こったのかもわからない。そしてそれが来ることさえ知らなかった。
目に見えぬ津波は病院で収束する。気がつくと閉鎖病棟のベットの上にいる。薬が効いて、もやっとし体も動かない。記憶さえ定かでなく、何が何なのかさえわからない。ただ息をしていること、そして何かが起こったことだけはわかる。
家族は何かは収まり、命だけはあることを知る。そして今後の不安、それを考えているならまだ余裕があるほうだ。不安さえ感じない。無いか大きな目に見えない力がその人生を破壊し、そして捻じ曲げ跡形も無く「今」を変えてしまったことだけは感じる。目の前には津波で流された、何も無い荒地だけが見える。
・・・・これが共通することだと思った。
災害、病気、事故、犯罪被害、etc・・・その違いを超え、同じ内なる体験を共有する人たちがつながればいい。


統合失調症と震災

2011-04-02 22:13:45 | 日記
OGA Aidの救援物資搬送で南三陸町に26日に行ってきた。OGA Aidでは4回目の被災地への救援物資の搬送だった。基地となっていたのはホテル観洋、そして志津川小学校でOGAの若者が子供たちの世話をしていた。わたしはピアである精神障害者の被災の状況を知りたく病院の状況を尋ねた。南三陸町立志津川病院には精神科があり入院病棟もあった。避難所の受付の方に尋ねると津波が来たとき入院患者は屋上に避難したそうだ、そしてその後はどうなったのかわからないと!
津波は同じ時間に同じ場所でたくさんの人が被災した。突然襲った津波は日常を奪い去り、そして生きているべき人の命が数え切れないほど奪われた。新聞でもテレビでも被災した人たちの体験が伝えられた。
統合失調症は違った時間に違った場所で数え切れない人が発症している。そして同じ体験をしている。津波の被災と、病気の体験をつなげることはできないが、ひとつつながることがある。それは突然に平穏な生活を遅い、そして何もかも奪い去っていくことだ。
加藤真規子さんがピアとは同じ病気という意味ではないと言っていた。同じ体験、同じビジョンを持つこと、また同じつらさ、同じ悲しみの体験を持つ人、ピアの意味は幅広い!突然の予期せぬ出来事で平穏な生活が奪い去られ、そして悲惨さの中で人生の挑戦を受ける・・・
まったく結びつかない津波の被災者と統合失調症当事者とその家族が何かでピアではないかと感じた。ニュースを見るたびにそれを思う。
災害の被災者、統合失調症の当事者がピア活動で支援し支援しあうピア活動としてつながる可能性を感じた。このまったく別世界のできごと、悲しい体験にも未来があるのかもと・・・感じた。