「子どものために働き、そして養い、学校へ行かせ、そして平穏な日々、それが幸せ」それがあの日から変わってしまいました。そして悲嘆のうちに最後の手段として、たどり着いた病院の扉が、それが再生のための新しい扉でした。順調、成功、勝利、・・・それが幸せの道・・・そこからの逸脱と転落。あまりにも人生はわからない、・・・・しかしうまく行かないのが人生・・・その真実を知りました。それこそ・し・あ・わ・せ・の意味を体で知って行くはじまりでした。
標準からの逸脱、幸福の剥奪、そう思えた、息子たちの出来事、しかしそれは虚構の幸福からの目覚めでした。あまりにも常識の幸福論の道筋は狭く細く、誰でも脱落してしまうほどの頼りない道でした。そこから落ちたとき、道端は泥でも雑草のあぜ道でもありませんでした。それは前以上に美しく力強く、豊で楽しい道だと知りました。そしてそこに、なんと沢山の人がいたことか、そこは道ではなく広い野原で沢山の花と美しい木があり、そして足元には沢山の宝石が落ちていました。ありきたりの人生観と幸福論、まさに3年前までは私はそこの領域に踏みとどまっていました。なんと常軌を逸していたのだろうと思います。そこは虚構の国であり、未熟な人間の国でした。そして成長のない世界でした。
息子のことで、若い人のことを知りたくなり、娘と一緒にTVのドラマや音楽番組や映画を見るようにしました。楽しくなりました。青春がまたやってきたように感じました。そしてやっと知ることができました。わたしは何も知らないと。それからは空っぽの頭はスポンジのようにいろいろ吸い始めました。そして息子の入院、通院で沢山の標準の人生とは違った生き方をしている人に出会いました。
娘と一緒に見た音楽番組でアンジェラ・アキを知り、心の戦士を聞き、そしてそれを聞いたときに「心の戦士」になる!それが神の声でした。そして病院で出会う人を支える家族や付き添う友人が心の戦士に見えました。
まだわたしは新米の戦士です。それも戦死しかけた戦士です。
心のわずらい、障害は当人にとっては心の戦争です。それを助け勝利を勝ち取るために支え、ともに戦い苦労をしているのが、その人の家族、友人です。未熟ですが、わたしは自分の体験を活かし、当事者の苦労を知ってもらいたく「心の戦士」を立ち上げました。
まだ出会ったことのない心の戦士の皆さんへ、
それは新しい人生の発見、そして生き方、価値観の発見の戦いです。それは遊びでなく、生きるか死ぬかの戦いです。でも「ほどほどに」それがどういうわけか勝利の秘訣です。なぜならわたし達の戦いはこの世の武器の戦いではありません。愛する人の人格を破壊する目に見えぬ敵との戦いです。1人では100人、2人では10000人を倒すという言葉が聖書にあります。そしてどういうわけか勝利は定まっているのです。なぜなら目に見えぬ敵は決して私たちの生きている命には手をふれることができないからです。そして闇は光に勝てません。
どんな小さな光でも、それが灯るなら闇は存在できなくなるのです。心に灯る小さな希望、それは失望を消し去ります。「あなたの信仰通り、あなたの身になりますように」という聖書の言葉の通り、あなたの信じることは、現実となります。心の信じる力には不思議なものがあります。
出会ったことのない「心の戦士」のみなさんへ、ともに戦いましょう。健闘を祈ります
「たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。」ミカ書7章8節
標準からの逸脱、幸福の剥奪、そう思えた、息子たちの出来事、しかしそれは虚構の幸福からの目覚めでした。あまりにも常識の幸福論の道筋は狭く細く、誰でも脱落してしまうほどの頼りない道でした。そこから落ちたとき、道端は泥でも雑草のあぜ道でもありませんでした。それは前以上に美しく力強く、豊で楽しい道だと知りました。そしてそこに、なんと沢山の人がいたことか、そこは道ではなく広い野原で沢山の花と美しい木があり、そして足元には沢山の宝石が落ちていました。ありきたりの人生観と幸福論、まさに3年前までは私はそこの領域に踏みとどまっていました。なんと常軌を逸していたのだろうと思います。そこは虚構の国であり、未熟な人間の国でした。そして成長のない世界でした。
息子のことで、若い人のことを知りたくなり、娘と一緒にTVのドラマや音楽番組や映画を見るようにしました。楽しくなりました。青春がまたやってきたように感じました。そしてやっと知ることができました。わたしは何も知らないと。それからは空っぽの頭はスポンジのようにいろいろ吸い始めました。そして息子の入院、通院で沢山の標準の人生とは違った生き方をしている人に出会いました。
娘と一緒に見た音楽番組でアンジェラ・アキを知り、心の戦士を聞き、そしてそれを聞いたときに「心の戦士」になる!それが神の声でした。そして病院で出会う人を支える家族や付き添う友人が心の戦士に見えました。
まだわたしは新米の戦士です。それも戦死しかけた戦士です。
心のわずらい、障害は当人にとっては心の戦争です。それを助け勝利を勝ち取るために支え、ともに戦い苦労をしているのが、その人の家族、友人です。未熟ですが、わたしは自分の体験を活かし、当事者の苦労を知ってもらいたく「心の戦士」を立ち上げました。
まだ出会ったことのない心の戦士の皆さんへ、
それは新しい人生の発見、そして生き方、価値観の発見の戦いです。それは遊びでなく、生きるか死ぬかの戦いです。でも「ほどほどに」それがどういうわけか勝利の秘訣です。なぜならわたし達の戦いはこの世の武器の戦いではありません。愛する人の人格を破壊する目に見えぬ敵との戦いです。1人では100人、2人では10000人を倒すという言葉が聖書にあります。そしてどういうわけか勝利は定まっているのです。なぜなら目に見えぬ敵は決して私たちの生きている命には手をふれることができないからです。そして闇は光に勝てません。
どんな小さな光でも、それが灯るなら闇は存在できなくなるのです。心に灯る小さな希望、それは失望を消し去ります。「あなたの信仰通り、あなたの身になりますように」という聖書の言葉の通り、あなたの信じることは、現実となります。心の信じる力には不思議なものがあります。
出会ったことのない「心の戦士」のみなさんへ、ともに戦いましょう。健闘を祈ります
「たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。」ミカ書7章8節
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