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未来

2014-12-07 21:24:17 | 日記
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」—エレミヤ 29:11

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わたしはあなたの羊飼いだ。あなたをある扉へと導き、開けて中に入るよう求めている。わたしは、わたしが導いた扉をくぐるよう、誰にも強要することはない。わたしの子どもたちがわたしへの愛ゆえに、自らそうすることを選んでほしいからだ。しかし扉はそこにあり、それを通り抜けるなら、あなたは大いなる光を見いだすだろう。わたしは道であり、真理であり、命だからだ。あなたは完全で欠けたところのない愛や充足感を見いだす。わたしは命であり、わたしに人生を捧げる人は永遠に生き、この人生においてだけではなく、来世でも幸せを見いだすだろう。

それゆえに、扉を押し開けて中に入ることを恐れてはならない。信仰によって扉を開け、一歩踏み出すなら、次の一歩を踏み出すための信仰を与えよう。たとえ道がどこに続いているのかわからなくてもだ。わたしがあなたのために備えた道を歩むなら間違うことはなく、人生においてこれほども崇高な召しはない。宇宙の設計者であるわたしが、あなたが生きるようにと召した人生を選ぶこと以上に、重大な達成事項などない。

あなたが生まれた日からずっと、わたしはあなたから片時も目を離すことなく、時の始まりから終わりに至るまで、あらゆる瞬間にあなたを世話し、あなたのために計画し、あなたを愛してきた。だから自分の人生についてわたしに信頼しなさい。わたしは、あなたの将来について計画を持っているからだ。

あなたの力と盾

主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。—詩篇 28:7

わたしはあなたの力であり、盾だ。わたしはあなたが目を覚ますずっと前から、その日をあなたのために計画し、備えている。またあなたが一歩歩むごとに、必要な恵みを与える。自分にどれだけの活力があるかを推し量ったり、行く手に何があるのだろうと思い巡らすのはやめて、わたしと連絡を取り合うことに集中しなさい。わたしの力は、わたしたちの開かれたコミュニケーションを通して、あなたの中にふんだんに流れ込む。くよくよ思い悩んで力を浪費することを拒みなさい。そうすれば、余分の力を蓄えることができるだろう。

恐れを感じるたびに、わたしがあなたの盾であることを思い出しなさい。しかしわたしは生気のない盾とは違い、常に機敏で活発だ。わたしの存在が絶えずあなたを見守り、既知の危険と未知の危険の両方から守る。わたしが見張っているから、信頼して自らを委ねなさい。それは得られる内で最も確かな安全保障制度だ。わたしはあなたと共におり、どこに行こうとあなたを見守るだろう。1

囲まれている

私たちが走っている競争の創始者であり、完成者であられるイエスに目を留め続けましょう。主がどのようにそれを走られたかを、よくご覧なさい。主はご自分の目指すゴールを、すなわち神の内に、神と共に宿るという胸躍らせる結末を、決して見失わなかったがゆえに、十字架であれ恥辱であれ、そこに至るまでのいかなる困難をも、耐え忍ぶことがおできになったのです。そして今や、神の御座の右という、誉れある地位に座しておられます。信仰が弱り衰えている人は、その物語をもう一度思い出し、場面ごとに回想しなさい。人々から長期に渡って、嫌というほど繰り返し敵意を向けられながらも、ひたすら進み続けられた主のことを。きっと勇気が沸いてくることでしょう!—ヘブル 12:1–32

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あなたがたはこのような多くの証人に雲のように囲まれているのだから、いっさいの重荷や思い煩いをかなぐり捨てて、信仰の創始者であり完成者であるわたしを見なさい。わたしは重荷を捨てるようにとあなたを召した。今この瞬間に、あなたは多くの証人たちに雲のように囲まれており、彼らはあまりにも大勢いるので、わたしがあなたの目を開いたなら、彼らがこの部屋中に満ちているのが見えるだろう!

それゆえに、あなたの内にある賜物を奮い立たせなさい。わたしを仰ぎ、呼び求めなさい。そうすればあなたはわたしを見いだし、わたしはあなたの心に語るだろう。わたしに呼び求めるなら、「これが道だ、これに歩め」という声を背後で聞くばかりか、それを右でも左でも、また心の中でも聞くことだろう。

わたしの意志ではなく

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。—詩篇 37:4–6

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わたしは大庭師であり、大造園家だ。そしてあなたの手にこれらの種を置いたのであり、あなたはそれらを植えて、水をやり世話をした。しかしあなたの庭を見ると、そこには美観を損なう、醜く邪悪な雑草が見える。厄介で煩わしい雑草が。あなたはこれまで、それを根こそぎにしようと努めてきた。それを切り落とし、そして燃やした。自分の庭から、この醜い雑草を取り除きたくてたまらなかったのだ。

そうするためには、地表や表土の奥深くまで降りていく必要がある。それよりもずっと深い場所を調べて、根を見つけなければならない。地中深くに一本の根があり、それがこの雑草の根源だからだ。庭をきれいに保ち、邪悪な雑草を寄せつけたくないなら、心の奥深くまで掘り進んで、頑固さという根を切り落としなさい。あなたの心と人生をわたしの手に委ね、わたしを信頼してこう言ってほしい。「私の意志ではなく、御心がなりますように。」と。

喜んで自分の計画をわたしに委ね、わたしの手の内の柔らかい粘土となり、心と人生を私に委ね、わたしやわたしの霊をもっとふんだんに持つことができるよう、これらのものから解放されたいと心から望むなら、あなたは解放を見いだし、あなたの庭はかつてなかったほどに美しくなり、大いに栄えるだろう! あなたの庭はわたしに栄光を帰すものとなる。

わたしの導きに従いなさい

だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。—2 コリント 5:6–7

自ら進んでわたしの導きに従いなさい。喜ばしい期待をもって、足早に、心からついてきてほしい。あなたは行く手に何が待ち受けているかを知らないが、わたしは知っている。そして、それだけで十分だ! わたしの最も豊かな祝福の幾つかが、すぐそこに待っている。目には見えないが、それは間違いなくそこにある。これらの贈り物を受け取るために、あなたは見えるものによってではなく、信仰によって歩まねばならない。これは目を閉じて周りを見ないという意味ではない。目に見える世界を、目に見えないあなたの魂の羊飼い以上に優先しないという意味だ。

時としてわたしは、あなたを高い山に導いて、わたしの手以外に何の支えもなくなるようにすることがある。高く登れば登るほど、景色はますます壮麗さを増し、またこの世とそのあらゆる問題から離れているというあなたの感覚は、ますます研ぎ澄まされる。これはあなたを解放し、わたしの存在という喜ばしい現実を、豊かに実感できるようにしてくれる。これらの輝かしい瞬間にどっぷりと浸り、まばゆい光に満ちあふれなさい。わたしはやがてあなたが山を下って、他の人々の群れへと戻るよう導くだろう。再び人々の間を歩く時には、わたしの光をあなたの中で輝かせ続けなさい。3

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主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶ。
あなたの義は神の山のごとく、あなたのさばきは大きな淵のようだ。
主よ、あなたは人と獣とを救われる。神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。
人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、
あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。
いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る。
—詩篇 36:5–9