人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

心で話す大切さ(以心伝心)

2004-11-11 15:01:22 | Weblog
今や、自分の思っていることや考えていることは言葉にして
表現しなければ解らないよ、と言われ、言葉にしなければ
中々相手には伝わらない。確かに、そのとおりだと思う。

しかし、最近耳にしなくなったが、まだ私の子供の頃までは
「言わなきゃわからないようではダメだ。言わなくても
 解るようになれ」とか、
「言葉じゃないよ。心だよ」とか。
言葉より心に重きをおいて、心で話す努力をしてきたように
思う。
「以心伝心」、心を以って心に伝える。
中々、そう簡単に出来るものではない。
一言の言葉にしなくても、相手に言わんとすることを伝え、
相手もまたその言わんとすることを掴み行動する。
その姿に子供心に憧れたものである。
その世界は表ではなく、内なる心を求めているのである。

今の世の中、心より表の形が重視され過ぎてはいないだろうか。
如何に言葉を駆使して表現するか、如何に相手を言葉巧みに
説得したり、納得させるか、ではなかろうか。
それ故に心無き巧みな言葉に惑わされてしまうのではなかろうか。

これからも昔と同様に「心で話す」努力をすることが必要であり
大切ではなかろうか。だからといって、決して言葉を疎かに
考えるものではない。言葉による表現を大切にしながら、
それに伴なわせて「心無き言葉」や「心に反する言葉」ではなく、
「心有る言葉」や「心の伴なった言葉」に換えていく努力が
必要ではないのだろうか。

自衛隊イラク派遣から間もなく1年

2004-11-11 09:29:48 | Weblog
12月14日で1年を迎え、自衛隊イラク派遣の延長について
議論が始まっているが、政府は延長することを決めているようだ。
さて、我々国民は、延長問題についてどう考えるのだろうか。

総理によると「自衛隊のいるところは非戦闘地域」
      「サマワの治安情勢ついては一般の人には危険な
       地域」
だ、そうである。この弁を国民のみなさんは、どう解釈される
のだろうか。

イラク派遣の延長を支持するのか。撤退を支持するのか。
今までは、私には関係ないことと放置しても左程影響はなかった
かもしれない。しかし、これからはより身近なものとなってくる
のではなかろうか。
それはテロとの遭遇が一段と身近になってくるからだ。
日本ほどテログループにとってやりやすい国はないのでは
なかろうか。

我々国民一人一人も、ただ政府与党等にお任せではなく、
テロに対する自覚等を含め、それぞれが自分のこととして、
考えておく必要があるのではないのだろうか。 

増税に苦しむ日がやってくる。(国家財政をこのようにしたのは誰だぁ)

2004-11-10 16:46:11 | Weblog
国民ひとり一人は、どれだけ増税感を感じているのだろうか。
それとも感じないほど、ゆとりがあるのだろうか。
それとも、国が困っているのだから仕方がないのだと、寛容なのだろうか。

数日前のある新聞に「一般会計の歳出・歳入と新規国債発行」のグラフが
載っていたが、それをみると、

 「 1991年から税収は落ち込み始め、ほぼ下降線の一途である。
 しかし、歳出は2000年まで上昇しているのである。2000年から
 やっと、ゆるやかな下降線になっている。税収の下降線よりも
 更にゆるやかである。
 そして、新規国債発行額は2000年から上昇している。 」

私は、その表からだけであるが、疑問に感じるのは、
 何故に、1992年から2000年まで税収が落ち込み始め、下降線を
辿っているのに歳出が抑制されるどころか、どんどん上昇し続けたのか、
である。
 もう一つは、2000年から歳出が抑制され、下降し始めているが、
 何故に、その削減が弱いのか。税収の下降線よりもゆるやかなのか、である。
そして今や歳出を税収がほぼ半分、残りの半分は新規国債発行で賄っている
といった表になっている。

これは国民の責任ではないだろう、と叫びたい。
今を含めて今までの政府与党と国家行政に係わる人たちの責任ではないのか。
そして、敢えて言うならば我々国民が無関心過ぎて、放置してきたところに
あるのではないのだろうか。 

かなり前になるが、国を食いつぶしている人達がいるとの言葉を
耳にしたことがある。
もし、そうであるなら、その人たちの排除と国家行政に係わる人々自らが、
口だけではなく、国民が納得いくだけの痛みを味わって欲しいものである。
形式ではないのだ。中身が欲しいのだ。
それが、責任の取り方の一つではないのだろうか。

我々は、無関心さから脱却し、自分のこととして関心をもって注視し、
国民ひとり一人の力の大きさを自覚して、国のあり方を考える必要が
あるのではないのだろうか。

夫婦のすれ違い(よりよく結婚生活を送る為に)

2004-11-10 12:54:21 | Weblog
私は今朝早起きをして出勤する予定だった。
いや、そのつもりでいた。
ところが、なんと目が覚めたら10時だった。
いい気持ちで眠ってしまっていた。
11時に約束があったのも思い出し、
慌てて出勤の身支度をして、妻に
「悪いぃぃ、送ってってぇ~」と声を掛けた。

ところが何と、妻は何故か、イライラ、プリプリ。
どうしたのか、訳が解らない、私。
「どうしたのよ」と声を掛けると、
「何よぉ、今朝は早く起きるかぁ、と思ってぇ。
病院へいく予定にしてたのにぃ。
起きてこないでぇ、もぉぉぉ、遅いじゃないぃぃぃ」
とイライラ、プリプリ・・・・。

なんだぁぁぁ、それなら声を掛けて起こしてくれれば
よかったのにぃぃ、と思ったが、どうも、過去に
「前に起こしたら、何で起こすんだ」と怒ったから
今回は起こさなかったとのこと。

ほんの、ちょっとした、他愛も無いすれ違いが
夫婦や恋人同士の間で起きてしまうのでは
ないのだろうか。
ほんの他愛もない思い違いや言葉の足りなさが。
今回も、私は「起こしてくれれば。病院へ行くのよ。」
と声を掛けてくれればいいじゃ、ないか、と
自分善がりの考えや思いをしたのだが・・・。

しかし、この他愛も無いすれ違いが大きな喧嘩や
問題にも発展することにもなり得るので、お互いに
思いやったり、声を掛け合ったりしたいものである。

この天変地異を天の警告とよめるか!!

2004-11-09 17:58:11 | Weblog
今年は、なんと言う年なのだろうか。
いい悪いは別にして、今までよその国の出来事のようなことが
身近なものとなった。戦争による邦人殺害、人質事件など。

それに加えて例年にない台風の上陸、真夏日の連続の更新、
地震災害、生活環境への熊の出現による被害など等。

私の目があるコラムに止まった。
地震などの自然災害は今に始まったことではない。
しかし、大昔の為政者達は、「洪水や地震などの異常現象は、
政治が正しいあり方を失っている時に天が我々に示す警告と
捉え、その異変に如何なる意味が込められているのかを
真剣に考え、みずからの落ち度を正した」らしいぃ。
今の世の中、そのように捉え考える為政者達はどれ位
おられるものだろうか。

いざという時に我国は我々を救い守るものと安心して
いることができるものだろうか。
今や我々一人一人が身を守る術を身に付けておく必要が
ありはしないだろうか。

大昔の為政者達のように我々が、それぞれに天の警告と
捉え、その意味を真剣に考えて、如何にあるべきかの
道しるべとすべきではなかろうか。

郵政民営化って、アメリカ向け~っ!!

2004-11-09 15:14:19 | Weblog
なんかぁ~っ、テレビでやってたけどぉ、
郵政民営化って、我々国民の為というよりは、アメリカへの
いい顔をするためのものらしいぃ。
約300兆円のお金を市場に出せとの要望に依るものらしいぃ。
国民の便利さや安心さなんて、考えてはもらえないらしい。
みんなぁ、自分の株を上げるためだけなのだろうか。
言葉巧みに国民を惑わせてぇ。

時代がこんな時代だから左程に感じないけれども。
旧帝国時代だったら、時々新聞なんかにも出てるように、
結構、いい独裁者の範疇かもしれないと思えることもある。

言葉巧みにすり抜けて自分のためだけに動いているように
感じられてならないのだけれど。
郵政民営化についても国民のためになる国民重視の
政をやってもらいたいものだ。

国民一人一人が直ぐに忘れてしまうことなく、よく注視し
、時に応じて国民の力を発揮していくべきではないのだろうか。

命の大切さ(イラク人質殺害事件に思う)

2004-11-04 06:14:05 | Weblog
香田さんは無言の帰国をされた。新しめてご冥福をお祈りします。

何もこのような結果を想像をご本人がされていたとは思えないが、
しかし、人は誰でも大なり小なり判断ミスや過ちを犯しながら
人生を歩いているのではないだろうか。
第三者的に見ていると状況がハッキリとしていても、中々本人には
そのことがハッキリと見えなかったり、判断できなかったりすることが
多々あるのではないだろうか。

今回の事件で国も国民もその多くが、彼自身が自らの命を軽く扱った、
明らかにそうなるであろうことが予想されるのに何故と、彼の判断ミスに
目を向け、その自己責任を問う。
しかし、彼は自らの命を粗末に考えていたのだろうか。
そして第三者の国を含めた我々は、そんな危険なところへ行くのが悪い、
の思いだけで、「その命」までも軽くしていいのだろうか。
「命」は判断ミスやその行動と同格に扱っていいものなのだろうか。

人は誰しも過ちを犯すもの、ならばこそ、その行動や判断と「命」は
別格のものであり、「命」の重みとその大切さを再認識し、如何に
判断ミスがあろうとも一丸となって救う手を差し伸べることこそ
人としてあるべき道ではないのだろうか。

宰相からみた国民の命(イラク人質殺害事件に思う)

2004-11-03 06:49:32 | Weblog
イラクで邦人人質事件が発生し、又サマワの自衛隊の宿営地内にロケット弾やら砲弾が
打ち込まれている中、国の最高責任者はお仲間のご子息の披露宴のお祝いの席上に
おられたとか。
そして、記者団への質問に対するコメントは
「もし行かなければ、ただ居ろというのでしょうかねぇ」といったような内容の
報道がなされていた。

確かに、披露宴もその方にとっては一生に一度のことであり、招待を受けて以上
ご出席されなければならないことかもしれない。
しかし、起きてる事件は、国民の命のかかった国の一大事ではないのだろうか。
国民の命よりお仲間のご子息のお祝い事の方が優先されるべきことなのだろうか。

自分は指示すべきことは指示した、取るべき措置もとった、それに従って、
それぞれが動いている、自分が動くわけではない。
自分が何処に居ようと、事は動いている。だから予定に従って・・・なのか。

だが、しかし、国の最高責任者はそれでいいのだろうか。
今回の事件は、「国民の生命との引き換えに自衛隊を撤退させろ」との我国への
時間制限つきの要求ではなかったのか。
にも係わらず、執務室を空席にされるということは左程国民の命の重みなど
お考えになってはいないのではないのかとも取れはしないか。

そして「救出にあたり最善を尽くした」とコメントされる。

我々国民は言葉さえあればいいのか。よくよく考えたいものである。


国の災害救援体制に思う

2004-11-02 17:21:52 | Weblog
此れほどまでに台風、地震の多い国でありながら、そしてその被害を
受けながら災害救援体制の未熟さを感じるのは、ただ私一人だろうか。

確かに淡路阪神の災害を経験として政府内に色々な対策室等が設けられ
情報収集他の機能が向上したのかもしれない。

しかし、今回の新潟中越地震においての報道を見るにつけ、何処に
その教訓が生かされているのか、と感じられてならない。
思ったより政府の対応が遅く感じられてならないのである。
政府関係者にしてみれば早いのかもしれないが。

災害発生と共に現場にヘリ他機動性を駆使して救援資機材の投入が
できないものなのか。
これほどまでにも数百億数千億とかの金が、あるところでは使われている程
各官庁に金余りを生じているというのに、国民を政府として、国家として
救援する体制は創造できないというのか。

遅いならできるのが当たり前ではないのか。それさえも出来ない国なら
世界に存立さえ成り立たないのではなかろうか。
災害発生と共に自冶体を超えてでも国家的救援として一時期に資機材を
投下する。その後に各自冶体等において体制を組んでいく、といった
いち早い対応が必要なのではないのか。

災害救援隊の創設がなされているのかどうかは詳しくは知らないが、自衛隊に
中に設けるとか、ある程度の早期必要物資や資機材の備蓄をし、備えること
こそ必要なのではないのだろうか。

イラク人質殺害事件に学ぶこと

2004-11-02 13:39:05 | Weblog
何の罪なき我等の同朋を自分達の主義主張のために殺害す犯人達を許すことが
できないのは当然である。
その他にもこの事件から学ぶことは多々あるのではないだろうか。
その中において「日本人としての心のあり方」もあるが、それは後にして。
「イラクへの自衛隊派遣」についてである。
我々国民は、どれほどこのことを真剣に自分のこととして自分なりに考えた
ものだろうか。
多くは、自分の預かり知らないこと、国のやること、として左程身近に
感じてこなかったのではないのだろうか。そういう私もその一人である。

12月14日に一つの期限がくるという。残念ながら私はこの事件によって
知り、自覚した程度である。
それでは何故、50日間位の期間を交渉時間として延ばせなかったのだろうか。
最初から「自衛隊派遣の継続ありき」だからなのだろうか。
「自衛隊を撤収したら、アメリカはどうでるだろうか、きっと日本を見放す
だろう、だから撤収できないのだと。例えどれだけの同朋が命を奪われようと」
時の為政者には、とでもいった考えでもあるのだろうか。

何故に自衛隊でなければならないのか、である。各国が軍隊を送っているから
形だけでも軍隊でなければならないのか。
分からずに言うことは危険であるが、それでは日本の中東に展開してきた今までの
スタンスは何だったのか。
日本だけは良き友人と思ってきたのに友人ではなかったのか、と思わせるのは何故か。
永く培ってきたそれを一日にして崩したのは、いったい誰なのか。

自衛隊を復興支援の目的で派遣するのなら、他国と明らかに違う全くの無防備で
「死を覚悟してイラクの人々のため日本国の威信の為頑張ってきてくれ」と
送り出さなかったのか。

1年の期限が近づいてきていることもあり、今回のイラク人質殺害事件を踏まえて
今一度、それぞれが自分のこととして考えてみる必要がありはしないのだろうか。

政府の最善とはこんなものか(イラク人質殺害事件に思う)

2004-11-01 16:17:09 | Weblog
総理の言によれば「最善を尽くした」とのこと。

確かに、その言葉どおりなのかもしれない。
しかし、我国への要求の為に我等の国民が人質にされ、殺害されて
最善を尽くしたとのことであるが、
本当に我国の「最善」とはこの程度のものかと思わずにはいられない。

開口一番、毅然たる態度をもって「テロには屈しない、自衛隊の撤退は
ない」と表明されて、以後果たしてどんな救出作戦があるのだろうか。
如何なる最善の策があるのだろうか。

大臣他を派遣して情報収集に努め、大臣がテレビ出演し、各国関係機関に
協力を依頼し、その他に特別の努力がなされたのだろうか。
なされたことは、如何なる時にもなされるべき当たり前のことではないのか。

それが「最善を尽くした」ということになるとするならば、
何とこの国の危ういことか。

我々は言葉も必要ではあるが、言葉だけでいいのか。
よくよく考えたいものである。

もっと考えるべき点がありはしないか。(イラク人質殺害事件に思う)

2004-11-01 13:34:16 | Weblog
残念ながら、イラク人質事件で我等の国民が殺害されてしまった。
確かにあんな危ない所へ行った奴が悪い、と言ってしまえば簡単である。
しかし、我々はそれだけで済ませていいのだろうか。

今まで我国は、良いか悪いかは別にしてテロとは無縁に近い国だった。
しかし、今の政府与党により一気にテロの危険にさらされ始めた。
国家は勿論国民においてもテロに対する準備も備えも無いままに。
「イラク自衛隊派遣」が如何なるものなのか。それに伴なう危険と
その危険に対する備えもないまま、議論も説明も少ないまま。
そして、今までに4人が殺害され、今回は人質にされ要求が突きつけられて
多少時間的余裕があるにも係わらず、あらゆる手段を尽くされたであろう。
しかし、何もできない我等国民に匹敵するに等しい程度に何も出来ては
いないのではないのか。

今の政府与党が、国内外ともにテロの危険に我等国民を陥れて、その危険
から国民を守るすべもなく、守れない国家であっていいのだろうか。
そして我々一人一人はそれに目を背けているだけでいいのだろうか。

冷ややかな視線(イラク人質殺害事件に思う)

2004-11-01 13:33:47 | Weblog
イラク人質事件において短期間のうちに最悪の結果となってしまった。
イラク人質事件で我等の国民が殺害されたのは初めてである。
にも係わらず、報道を見ていても、それ程大きく扱われない冷ややかさは、
いったい何なのだろうか。
それは、誰もが少なからず「あんな危ない所へ行った奴が悪い、この場合
殺されても仕方がないんだ」という気持ちを抱いているからだろうか。

しかし、我々同じ国民同胞として、それで済ませていいのだろうか。

亡くなられた香田さんには言葉が強いかもしれないが、彼は自分の判断ミスを
自らの死をもって完結されたのではないのか。残念なことではあるが。
しかし、単なる旅行者の彼が人質にされ殺害されなけばならなかったのか、である。
彼は誰に対する人質かである。彼の親に対する金銭要求の為の人質なのか。
否、今回我国、日本国に対する人質ではないのか。我が国家に対しての要求の為の
人質になったのだ。
親ならば我が子を救わんが為には如何なる方法をも構うじよう。
イキナリ「誘拐犯人に対しては屈しない。如何なる要求にも応じない」と断言できる
だろうか。
今回は親に代わり国家政府への要求である。国家もまた国民の生命を守る義務をもつ。
そして要求される内容は国家に係るものである。
にも係わらず、即「テロには屈しない。自衛隊の撤収はない。」の明確な表明がなされた。
もう、この時点で政府に何が何でも「国民の命」が第一、との思いの希薄さが感じられ
ないだろうか。
確かに「テロのは屈しない、屈してはならない」と思うのは誰でも同じではなかろうか。
しかし、「テロの要求次第」との柔軟な考えは許されないものなのか。
今回の要求は「自衛隊の撤収」である。国民の人質1人位の命では撤収できないほど
イラクへの自衛隊派遣は重たいものなのか。