静神社
2015-03-13 | 四季
「常陸二の宮」
3月5日(木)晴れ-3
「静神社」1
ここ常陸二の宮「静神社」も「灯台下暗し」スポットです。
(ちなみに常陸一の宮はご存じの鹿島神宮です。)
茨城県植物園を出るとちょうど昼時です。どこで昼食を食べようか思いあぐねていまし
たがせっかくのお天気でしたのでお弁当を買って近くの公園でもということで、車で10分
ぐらいの距離にある「静公園」と「静神社」の間にある「駐車場」でお弁当を拡げました。
「静神社」2
この神社の境内に入るのは、小学生の時以来ですから50年ぶりぐらいです。
まぁ、神社の前の道路はしょっちゅう通っていますのでそんなに久しぶり感はないんですが。
「静神社」3
あの時は夏祭りかなんかで露店が出ていて、子供心に「参道が急で、長くて」そんな記憶
がかすかに残っています。
でも今見ると参道はゆるやかで150段ほどの石段もそんなに長いというほどではありませ
んが、まぁ、子供の時の記憶ってそんなものですよね!
「静神社」4
平日ということで誰~もいません。
例によって帽子を脱ぎザックを降ろしわずかばかりのお賽銭を投げ入れ2拝2拍1拝
をして、お賽銭に見合わない過分なお願いをしました。
主祭神
建葉槌命(たけはづちのみこと) <別名 名倭文神(しどりのかみ)… 機織りの神様>
相殿神(配神)
手力雄命(たじからのみこと)
高皇産霊命(たかみむすびのみこと)
思兼命(おもいかねのみこと)
を祭っているそうです。
詳細は「静神社」のHPをご覧ください。
「由来」
ふと見ると「海(漁業)」に関係する方々の寄進が目立ちます。ここは決して海から近くありま
せんので不思議な感じがします。
「静神社」5
「静神社」6
調べてみると、那珂地方には昭和の初めまで約300年近くに渡り「ヤンサマチ」と呼ばれる
祭があったそうです。(1667年~1929年)
瓜連の静神社、ひたちなか市の酒列磯前神社、東海村の村松大神宮の三地点を結ぶ旧
那珂地方48ケ村を巻き込んだ壮大な祭で、二つの神事から成り立っていました。
一つは瓜連の静神社からひたちなか市(旧那珂湊市)の酒列磯前神社への7里の道のり
を神輿が御渡りする「浜降り(磯降り)」の神事、もう一つは村松大神宮に集結した村々の
名馬が「浜降り(磯降り)」のクライマックスに合わせて酒列磯前神社へ2里8町を競争し豊
年満作を祈った神事です。「ヤンサ」の祭りは、太鼓が打ち鳴らされて走るこの砂競馬で
最高潮に達したそうです。
そして各地域の神輿が旧那珂湊市平磯に磯降り(浜降り)する神道(カミミチ)の出発点が
静神社で、この道を「湊街道」または「お静街道」と称していたそうです。
そういえば確かに今でも「湊街道」と呼んでいる道路が近くにあります。
詳細については判りませんが、こうした背景から何らかの関係があって旧那珂湊市の方
々とこの「静神社」の関係が古くから続いているのかもしれません。
(※「ヤンサ」とは「やんさ、こら」という掛け声からきていて、「マチ」は「まつり」を意味して
いるそうです。静神社の秋季例大祭も「お静のマチ」と呼ばれ、「宵マチ、本マチ、二日マ
チ」が賑やかに行われていたそうです。)
「織姫像」
織物の神様の由来からこの織姫像は東京織物卸商業組合が、奉納されたそうです。
「常陸風土記」
今日ここに来た一番の目的はこの「常陸風土記の碑」を見たかったからです。
「常陸風土記」は西暦713年の官命により編纂された最も古い「地方の風土、文化等」を
記載した報告書のひとつです。
「郡西□里 靜織里 上古之時 織綾之機 未在知人 于時 此村初織 因名 北有小水
丹石交錯 色似琥碧 火鑽尤好 以號玉川」
碑文はその「常陸風土記」の一節で「静神社」近辺の当時の状況を記述してあります。
口語訳を調べてみると、「郡役所の西一里余の所に静織(しどり)の里があります。遠い昔、
この地方に模様入りの綾(しず)を織る機を知る人がいない時期に、この村で初めて綾を織
ったのに由来して里の名前になりました」との記述で、碑文には彫られていない後段の部分
は「この村の北に小川があって、そこの川石の中にはメノウ石が混じっています。色はあか
く、火打ち石に大変よく、それで玉川とよんでいます。」との記述だそうです。
この地域は、西暦700年代にはすでに役所がありこの地方で最初の機織りが行われていて、
その近くの川では火打石に利用される「めのう」の採取が行われていたということですかね。
「ヤンサマチ」は東・西金砂神社の72年に一度の「磯出大祭礼」に匹敵する茨城県北部地方
では大変大きな祭りだったそうで、無くなってしまったのは大変残念ですねぇ。また「ヤンサマ
チ」を調べている時に、資料の中に家の近くの神社の名前が出てきてビックリしました。
どうやら歴史のあるところに住んでいるんですね、サラリーマンは。
「灯台下暗し」ですね!
次回に、つづく。
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3月5日(木)晴れ-3
「静神社」1
ここ常陸二の宮「静神社」も「灯台下暗し」スポットです。
(ちなみに常陸一の宮はご存じの鹿島神宮です。)
茨城県植物園を出るとちょうど昼時です。どこで昼食を食べようか思いあぐねていまし
たがせっかくのお天気でしたのでお弁当を買って近くの公園でもということで、車で10分
ぐらいの距離にある「静公園」と「静神社」の間にある「駐車場」でお弁当を拡げました。
「静神社」2
この神社の境内に入るのは、小学生の時以来ですから50年ぶりぐらいです。
まぁ、神社の前の道路はしょっちゅう通っていますのでそんなに久しぶり感はないんですが。
「静神社」3
あの時は夏祭りかなんかで露店が出ていて、子供心に「参道が急で、長くて」そんな記憶
がかすかに残っています。
でも今見ると参道はゆるやかで150段ほどの石段もそんなに長いというほどではありませ
んが、まぁ、子供の時の記憶ってそんなものですよね!
「静神社」4
平日ということで誰~もいません。
例によって帽子を脱ぎザックを降ろしわずかばかりのお賽銭を投げ入れ2拝2拍1拝
をして、お賽銭に見合わない過分なお願いをしました。
主祭神
建葉槌命(たけはづちのみこと) <別名 名倭文神(しどりのかみ)… 機織りの神様>
相殿神(配神)
手力雄命(たじからのみこと)
高皇産霊命(たかみむすびのみこと)
思兼命(おもいかねのみこと)
を祭っているそうです。
詳細は「静神社」のHPをご覧ください。
「由来」
ふと見ると「海(漁業)」に関係する方々の寄進が目立ちます。ここは決して海から近くありま
せんので不思議な感じがします。
「静神社」5
「静神社」6
調べてみると、那珂地方には昭和の初めまで約300年近くに渡り「ヤンサマチ」と呼ばれる
祭があったそうです。(1667年~1929年)
瓜連の静神社、ひたちなか市の酒列磯前神社、東海村の村松大神宮の三地点を結ぶ旧
那珂地方48ケ村を巻き込んだ壮大な祭で、二つの神事から成り立っていました。
一つは瓜連の静神社からひたちなか市(旧那珂湊市)の酒列磯前神社への7里の道のり
を神輿が御渡りする「浜降り(磯降り)」の神事、もう一つは村松大神宮に集結した村々の
名馬が「浜降り(磯降り)」のクライマックスに合わせて酒列磯前神社へ2里8町を競争し豊
年満作を祈った神事です。「ヤンサ」の祭りは、太鼓が打ち鳴らされて走るこの砂競馬で
最高潮に達したそうです。
そして各地域の神輿が旧那珂湊市平磯に磯降り(浜降り)する神道(カミミチ)の出発点が
静神社で、この道を「湊街道」または「お静街道」と称していたそうです。
そういえば確かに今でも「湊街道」と呼んでいる道路が近くにあります。
詳細については判りませんが、こうした背景から何らかの関係があって旧那珂湊市の方
々とこの「静神社」の関係が古くから続いているのかもしれません。
(※「ヤンサ」とは「やんさ、こら」という掛け声からきていて、「マチ」は「まつり」を意味して
いるそうです。静神社の秋季例大祭も「お静のマチ」と呼ばれ、「宵マチ、本マチ、二日マ
チ」が賑やかに行われていたそうです。)
「織姫像」
織物の神様の由来からこの織姫像は東京織物卸商業組合が、奉納されたそうです。
「常陸風土記」
今日ここに来た一番の目的はこの「常陸風土記の碑」を見たかったからです。
「常陸風土記」は西暦713年の官命により編纂された最も古い「地方の風土、文化等」を
記載した報告書のひとつです。
「郡西□里 靜織里 上古之時 織綾之機 未在知人 于時 此村初織 因名 北有小水
丹石交錯 色似琥碧 火鑽尤好 以號玉川」
碑文はその「常陸風土記」の一節で「静神社」近辺の当時の状況を記述してあります。
口語訳を調べてみると、「郡役所の西一里余の所に静織(しどり)の里があります。遠い昔、
この地方に模様入りの綾(しず)を織る機を知る人がいない時期に、この村で初めて綾を織
ったのに由来して里の名前になりました」との記述で、碑文には彫られていない後段の部分
は「この村の北に小川があって、そこの川石の中にはメノウ石が混じっています。色はあか
く、火打ち石に大変よく、それで玉川とよんでいます。」との記述だそうです。
この地域は、西暦700年代にはすでに役所がありこの地方で最初の機織りが行われていて、
その近くの川では火打石に利用される「めのう」の採取が行われていたということですかね。
「ヤンサマチ」は東・西金砂神社の72年に一度の「磯出大祭礼」に匹敵する茨城県北部地方
では大変大きな祭りだったそうで、無くなってしまったのは大変残念ですねぇ。また「ヤンサマ
チ」を調べている時に、資料の中に家の近くの神社の名前が出てきてビックリしました。
どうやら歴史のあるところに住んでいるんですね、サラリーマンは。
「灯台下暗し」ですね!
次回に、つづく。
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