田植え機に乗った元サラリーマン

車中泊旅や探石などを楽しみながら生活の中で感じたこと思ったことなどを気まぐれに書き込んでいます

私の東日本大震災-1

2012-07-02 | 日々の思い
崩 壊







「瓦が崩壊した我が家」
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 2011年3月11日(金)14時46分

 東北地方太平洋沖地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。

マグニチュード9.0 最大震度 7




 中でも、東北3県の被害は、地震と津波、津波に起因する原発の放射能漏れ事故で

大変大きいものとなりました。



 私は、勤務先のビルで地震に遭いました。1年以上前の記憶で定かではありません

が、30分後の地震の揺れの方が何故か強かったように感じたのを記憶しています。

 



15時15分 茨城県沖地震

マグニチュード7.6 最大震度 6強





 地震の大きさは太平洋沖地震の方が大きかったようですが、震源地が近い分、後の

地震の方を強く感じたのかもしれません。後の方の地震の最中に「ひょっとすると、

ダメかもしれない」
という思いが、瞬間頭の中をよぎった記憶があります。




 その後、TVでは、各地の大津波の映像を流し始めました。JR,バス、高速道路など

交通インフラも全部停まってしまいました。

運よく、自宅と同じ方向に帰る車に相乗りさせて貰えることになりました。





 亀裂の入った道路、橋げたの段差、崩れ落ちた石塀。



暗闇の中、車の灯りが照らし出すそんな光景の中を、ひたすら北に向かって走りました。




 消えた交差点の信号。



でも、1台ずつ交互に整然と、ゆっくりですがスムースに、動いていました。




水戸市の手前の駅の駐車場で、自分の車に乗り換えました。

水戸市の先の町にある家に帰るには、那珂川を渡らなければなりません。

カーラジオは、橋が通行止めのニュースを繰り返していました。

どこの橋が通れるのかわかりませんでしたので、とりあえずいつも通っている橋に行っ

てみることにしました。





車の流れについて行くと、橋を挟んで光の列が伸びていました。よく見ると、ゆっくり

ですが交互に少しずつ動いています。

橋は、何ヵ所かに段差があり、一部アスファルトがうねっていましたが、ギリギリ通れ

ました。どうやらこの橋は、通行できる橋の一つだった様です。

橋を通過した後は、対向車が来る道を慎重に確認しながら、進みました。





家までもう少しの所にあるコンビニで人だかりがしていましたので、立ち寄ってみまし

た。 照明はなく、ローソクの灯りで営業していました。店の中は、地震の影響で雑

然としていました。水、お茶、おにぎり、パンなどは売り切れていました。少し残って

いたお菓子を買いました。レジでは、何事も無かったかのように列を作り、薄明かりの

中、手作業で精算をしていました。

知らない人に声をかけられ、「水戸の方の橋が通れるか」と聞かれました。丁寧に混雑

しているが「通れる」ことを教えてあげました。

どうやら「情報パニック」に陥っていたのは私だけではなかったみたいです。






 自宅に到着したのは10時過ぎだったと記憶していますが、定かではありません。

取り敢えずあるもので食事を取り、家族が固まって寝たのを記憶しています。

一晩中、余震で、家が揺れていたように記憶しています。






翌日、まじまじと我が家をみて、唖然としました。

築30年、一部50年、入母屋(風)2階建て。









「崩壊した流れ」
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亡くなった親父が作った家で、年季は入っていましたが、まだまだ大丈夫と思って

いました。

2階の「グシ」が崩壊、4方に流れている「下がり」も一部を残して崩壊していま

した。そして、崩壊した瓦が1階に落ちて、1階の屋根瓦を粉砕していました。

家の周囲は、瓦と粘土でこんもりと小山が出来ていました









「崩落した瓦と粘土土」
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 突然「取り敢えず、ごはんを炊こう」と言い出しました。



食べる物があれば元気が出てきそうな、何かそんな気がしたからかもしれません。




電気、水道が止まっていましたので、どうやってご飯を炊こうかと思案しました。

ガスはプロパンで使えましたが、ガス釜が電気を使うタイプでしたので使えません。




幸い我が家は農家ですので、餅を作るときなどに使う「かまど」が健在でした。

炊きつけは、前の神社の参道の枯枝を頂きました。水は少しプールしたのがありました。

ご飯を炊き上げ、おにぎりにして食卓に並べると、何か安心感に包まれました。





」は確保しました。「」も大丈夫でしたので、後は「」の確保です。

家の周りを点検すると、瓦の崩落で見た目はひどい状態でしたが、雨漏りさえ防げれば、

何とかなりそうな感じでした。




そういう訳で、シートを確保する必要がありました。当然、資材屋さんでは売り切れで

した。隣近所や親せきに声をかけ、何枚かを調達しました。テープやひもなどの補修資材

頂きました。




 資材は揃いましたが、2階建ての我が家は、すごくいです。



登れません。


どうにもなりません。





仕方ないので、古い知り合いの工務店に電話しました。

忙しいのにすぐに2人来てくれました。業務用のシートで取り敢えず補修してくれました。

嬉しかったです。



人の情けを感じました。





でも、細かいところなどは自分でやらなければなりません。


 地下足袋、カラビナ、ロープ、はしご。




 地下足袋を履き、ベランダと庭木にロープを張り、そのロープにカラビナを付け、

安全を確保して、作業しました。

 2階にも、はしごを工夫して登りました、

足が震えました。


肥料袋に残土を入れ土嚢とし、シートの押さえとしました。








「ブルーシートに覆われた家」 
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 その後、ブルーシートが風で飛ばされたり、土嚢が劣化し破けたりして、その補修

のために、何回となく嫌になるほど屋根に登るはめになりました。




 その間、補修を計画しましたが、色々あって1年が過ぎてしました。









 
 
次回に、つづく。




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