京都の闇に魅せられて(新館)

蟹満寺 @ 京都妖怪探訪(812)

 

 どうもこんにちは。
 シリーズ前回に引き続き今回も、京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏の案内で、京都は南山城付近の霊場魔所巡りをしました。
 今回は、『今昔物語』や『日本霊異記』などにも記された「蟹の恩返し」伝説の古刹、京都・木津の蟹満寺(かにまんじ)を訪れました。

 

(記事中の写真は、プライバシー保護等の為、人の顔部分等に修正を加えていることがあります)

 

 まずは、いつもの通りアクセスから。
 今回は葛城氏の車に同乗しましたが、だいぶ以前にも訪れたこともありましたので、その時の交通手段も紹介したいと思います。
 まずはJR奈良線「棚倉」駅から。

 

 

 

 


 この駅から歩いて20~30分くらいですが、ここからコミュニティーバスも出ています。

 

 

 

 

 

 バスで「蟹満寺口」停留所で降りて5分ほどですが、こういう場所のバスは一日の便数が少ないので注意が必要です。

 

 

 

 

 穏やかな田園風景の広がる中に、その古刹「蟹満寺」は建っています。

 

 

 

 創建は白鳳時代末期(680年頃か)と伝えられています。

 やはりこの説話が伝わる宇治の三室戸寺の過去記事(シリーズ第197回など)のおさらいになりますが、この古刹に伝わる「蟹の恩返し」伝説について簡単に紹介します。

 

 昔、山城の綺田(かばた)村に、三室戸の観音さまを信仰している心のやさしい娘が居ました。

 ある時娘は、村人が蟹を殺そうとしているところに出くわし、「持っている魚の干物を差し上げますので」と蟹を助けてもらいます。

 またある日のこと、その娘の父親は、蛇が蛙を呑み込もうとしているところに出くわし、「私の娘をやるから蛙を放してあげなさい」と言って、蛙を助けてもらいます

(ここで思うのですが……この父親は、蛙一匹助けてもらう為に自分の娘を差し出す約束をするとは、この父親は何を考えているのだ、と突っ込みたくなりますが)。

 その夜、その時の蛇が美男子に姿を変えて父娘のところに現れ、「約束通り娘をもらいに来た」と言いました。父親は「3日後に来て欲しい」と言い逃れをします。

 3日後、娘は戸を完全に閉め切って、三室戸の観音さまに必死に祈り続けていました。蛇は待ちきれずに怒り狂い、人の姿から元の姿に戻ると、戸を破って中へ入ろうとします。娘は観音さまに助けを求めると、どこからか無数の蟹が現れ、はさみをたてて蛇を退治してしまいました。

 娘と家族は、観音様のご加護に感謝し、死んでいった大蛇や無数の蟹たちの霊を弔うために、御堂を建てたのが、「蟹満寺」のはじまりとなりました。

 

 

 以上が有名な「蟹の恩返し」伝説のあらすじですが。

 「となると、大蛇は裏切られて殺されたことになるのでは?」だとか、「そもそもこの父親、蟹を助けるために自分の娘を差し出そうなんて、一体何を考えているのだ!?」だとか、私としては突っ込みたいところも無くはないのですが・・・まあ、こういう野暮なことはこれくらいにしておきましょう。

 

 

 山門をくぐって境内へ。

 

 

 

 


 「蟹類が菩提心を発心した」という意味の文が刻まれた碑です。

 

 

 


 毎年4月18日には、「蟹供養(蟹供養放生会)」という、蟹を供養する行事が開催されますが、その時はここに多くの蟹が放たれます。
 だいぶ以前ですが、この「蟹供養」を訪れたことがありましたが、その時の様子を写したのが以下の画像です。

 

 

 

 

 なお「蟹供養」の様子は、本シリーズでもいずれ回を改めて紹介したいと思います。


 本堂へ。

 

 

 

 本堂のご本尊・釈迦如来像は創建当時からあり、しかも国宝です。


 境内に立つ弘法大師の像が、ここは真言宗の寺院だということを示しています。

 

 

 


 ところで、蟹満寺の裏側には、綺原(かんばら)神社という古社が建っています。

 

 

 

 

 

 正式名称は「綺原座健伊那太比賣神社(きはらにいますたていなだひめじんじゃ)」というそうですが。
 秦氏一族が創建した、養蚕の神様を祀っているそうです。
 秦氏が土木や養蚕の技術をもたらしたことは有名な話です。


 綺原神社の境内には牛の象も。

 

 

 

 

 牛の像とは天神・菅原道真を象徴するもの。ここでは、天神・菅原道真も祀られています。
 何故、ここに菅原道真が・・・?
 さらにこの古社・綺原神社が、蟹満寺のすぐそばに建っているのも、偶然では無いのです。
 葛城氏のお話に寄れば、蟹満寺創建にも関わる秘密があるそうなのですが・・・ただ・・・その真相を聞くと・・・何と言いますか・・・夢もロマンもあったものじゃないなとか、伝説・伝承の真相とはこんなものなのかな、だとか思いましたが(苦笑)。
 その詳細についてはあえてここでは言いません。
 ご自分で調査・研究して突き止められるか、或いは葛城氏の主催するイベント等に参加して直接尋ねられるといいと思います。

 

 


 なお、シリーズ次回は、蟹満寺近くに建つ怨霊スポットを訪れます。
 今回はここまで。
 また次回。


※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、これで2本目。
 目標まであと18本です。

 

 

*蟹満寺(「京都南山城古寺の会」より)
https://www.minamiyamashiro-koji.jp/jp/kanimanji/

*蟹満寺へのアクセスはこちら

 


*葛城トオルのTwitter
https://twitter.com/yokaido

 


*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/

 

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