京都の闇に魅せられて(新館)

2021年・音羽の谷の紅葉 @ 京都妖怪探訪(803)

 


(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)

 

 どうも、こんにちは。
 今年(2022年、令和4年)の「霊場魔所の紅葉シリーズ」
 今年度の第2回目、前回記事の続きとして、清水寺、音羽の滝の紅葉風景を巡ります。
 音羽山清水寺とその下に広がる音羽の滝も、京都の観光名所・紅葉名所のひとつとして有名ですが、同時に京都屈指の心霊スポットでもあるのです。
 「清水の舞台から飛び降りる」という話もあったように、明治に禁止されるまで、祈願のために本当に飛び降りた人たちがたくさん居る、というだけではありません。
 清水本堂・舞台の下に広がる音羽の谷や鳥辺野は、平安京の時代から葬送の地であり、多くの死者が葬られてきた場所でもあり、特に飢饉や天災、戦乱などがあった時期には大量の死体で埋まったこともあるといわれています。
 さらに本シリーズでは、過去記事にて、有名な音羽の滝で虐殺が行われた可能性について触れたこともあります(詳細は後述)。
 同じく京都の心霊スポットとして有名なスポットに、多くの無縁仏が葬られていて、「心霊写真が写りやすい」という噂もある化野念仏寺がありますが、清水寺は実は、化野念仏寺以上に多くの死者が葬られてきた一大心霊スポットだとも考えられるのです。
 真偽のほどは定かではありませんし、私は霊感が無いのでわからないのですが、霊感のある人が音羽の谷を訪れると、気分が悪くなったりすることもある、という話も聴いたことがあります。
 そんな多くの長い年月に渡って無数の人々の死を飲み込み続けてきた壮大な霊場の紅葉風景を、およそ5年ぶりに巡りました。

 

 まずはシリーズ前回記事の続きで、奥の院から。
 本堂舞台や三重塔の光景を眺めながら、舞台下、音羽の滝への道を進んでいきます。

 

 

 

 

 

 紅葉美しいこの谷が、無数の死体であふれかえっていたこともあったなどと、今のこの光景を観ているだけではちょっと想像しがたいですが。


 有名な「音羽の滝」。

 

 

 3本の滝水が流れていますが、向かって右から順番に「恋愛成就」「延命長寿」「学問上達」のご利益があると言われています (諸説あり)。 
 さて、本シリーズでいろいろと取材や考察などを重ねているうちに・・・「この音羽の滝で過去に虐殺が行われたかもしれない」という可能性に突き当たってしまいました。
 それはシリーズ第335回記事第336回記事にて。
 内海浪介景忠という勇士が、牛尾山の麓・蛇が淵に棲む人喰い大蛇を退治したという伝承を記した「内海家文書」には、「大蛇が倒されたその日一日、有名な清水寺・音羽の滝の水が赤く染まった」という記述があります。
 これは何を意味しているのか。
 その地だけでなく、守山・住吉や勝部の火祭り(※シリーズ第165回記事と、シリーズ第166回記事を参照)や、奈良橿原のシャカシャカ祭り(※シリーズ第120回記事を参照)と、そして内海浪介景忠の大蛇退治伝説。
 各地に伝わる大蛇退治伝説・伝承で、退治される大蛇の正体とは何だったのか。
 これはまだ仮説や推測の域を出ないのですが・・・おそらく大蛇とは、蛇身の姿も持つ神・大国主を崇める出雲系の氏族の人々だったのではないか、と。
 近畿各地にも広く居住していたこれらの人々が、大和政権側によって制圧・支配そして弾圧や虐殺もされていった黒歴史が、各地の大蛇退治伝説の背景にあるおかもしれない。
 清水寺の地には、その創建より古くから、大国主を祀る地主神社(※シリーズ第24回記事第108回記事を参照)がありました。つまり、元々は大国主を崇める出雲系氏族の人々が居る土地だった。
 内海家文書にあった「清水寺・音羽の滝の水が赤く染まった」という記述は、大蛇の正体がその地に居た出雲系氏族の人々であり、この地を含む各地の大蛇退治伝説の背景には土地を巡る争いか何かでそれらの人々が虐殺されてきた黒歴史が隠されているのではないか。
 そんな想像が頭に浮かんでくるのです。
 この滝の水が、殺された人々の血で真っ赤に染まった光景を想像してみると・・・ちょっと恐ろしいものがあります。
 辺りはまだ明るい朝の筈でしたが、また私には霊感は全く無い様なのですが、そんなことを考えていると、薄ら寒いものも感じてしまいます。


 おそらく無数の死を見下ろしてきたであろう清水の舞台を見上げながら、霊場の谷を歩き続けます。

 

 

 

 


 谷の一角に立つ「音羽地蔵尊」と。

 

 

 

 


 アテルイとモレの碑。

 

 

 時の朝廷によって「鬼」とされ、その手先であった征夷大将軍・坂上田村麻呂の軍勢によって倒された、「まつろわぬ民」の長だった人物。
 坂上田村麻呂はこの2人の助命嘆願もしたとも言われていますが、結局は処刑されてしまい・・・それから長い年月を経て、坂上田村麻呂が創建した清水寺の境内に慰霊の碑が立つとは。
 ここを訪れる度に、何か感慨深いものがあります。

 

 三重塔の光景を見上げながら、さらに谷を歩き続けます。


 

 

 

 


 こうして今年もまた、人の世の死や世の闇がつきまとう自然美を追い求める旅を始めます。

 

 

 


 今回はここまで。
 また次回。

 


*音羽山清水寺への地図・アクセスはこちら


*音羽山清水寺のHP
https://www.kiyomizudera.or.jp/

 


*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/

 


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