『君主論』や『政略論』などを著し、マキュアベリズムの語源ともなった、ルネッサンス期の政治思想家である。
彼の著作は、題名からもわかるとおり、元々は君主(政治的指導者)となる人のために書かれたものである。だが、その冷徹なまでに現実主義的な歴史観・人間観に基づいた思想は、しばしば政治的指導者ではない一般の人にとっても、いろいろと役立つことも多い。
そしてこの私自身、マキュアッベリの言葉に教えられ、そして救われたことが何度かあった。特に最近……。
彼の言葉に最も助けられた時、それは……今から3~4ヶ月ほど前、ネットウヨと呼ばれる人たちの集中攻撃に晒された時のことである。今ではすっかりこの種の攻撃には慣れてしまったものの、最初のうちはショックのあまり本気で「もうネットでの言論活動をやめようか」とも思った。
しかし、そんな私を支え、なおかつ再び立ち上がる勇気と気力と与えてくれたものが2つあった。一つは、何人もの読者や友好ブログの皆さんが支えてくださったことである(その時支えてくださった方々には本当に感謝している!)。もうひとつが……昔読んだ本で触れた、マキュアッベリの言葉である。
特に小泉首相の靖国参拝や、安倍晋三官房長官の次期総裁選有利などのニュースが流れた辺りから、ネットウヨの活動が活発化し、あっちこっちのブログに出没しているようだ。悪質なネットウヨのコメント・TB攻撃に悩まされいる人や、彼らに目を付けられてしまった人もいるのではないか、と思う。以下に私が書くことが、そのような方々の一助にでもなれば、幸いである。
「人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである」
『君主論』の中にあるこの言葉に象徴されるように、倫理と現実(主には政治的現実)とを冷徹なまでに区別し、更に場合によっては倫理的に問題のある手段を用いてもかまわないと、マキュアッベリは主張した。
そのあまりに冷徹な主張のため彼は、しばしば誤解されることも多い。
マキュアベリズムというと、「目的のためには何をしても良い」という意味に解釈される。現代日本社会で「マキュアベリスト」というと、「どんな悪どいこともする奴」というニュアンスで語られる。だが、それは少し違う。
マキュアベッリは、何も積極的に悪を為すことを勧めているわけではない。
彼の思想・論説には、以下の2つの特徴があると私は思う。
(1)人間性悪説に基づく徹底した現実主義
(2)歴史的現実から学ぼうとする姿勢
(1)に基づいた思索・考察を行い、歴史的現実を事例に引き出し、自らの主張に根拠を与えた。
そして、「悲しいけれども、人間とは弱く、しばしば悪に流されやすいものである」ことと、「そのような人間がひしめき合う世の中で(特に政治の世界で)生き残り、自らの目的を達するためには、善意や誠意だけでは不十分だ」という現実を明らかにしたのだ。
以下、マキュアベリのそうした世界観・人間観が現れた『君主論』の中の文章を引用・紹介する。
(以下、引用。赤字部分は筆者による)
>古今東西多くの賢人たちは、想像の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである。
だからこそ、人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて現実の人間の生き様を直視しようとしない者は、現に所有するものを保持するどころか、すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。
なぜなら、なにごとにつけても善を行おうとしか考えない者は、悪しき者の間にあって 破滅せざるをえない場合が多いからである。
(以上、引用終わり)
もちろん、通常の場合……日常におけるほとんどの場合においては、「悪しき者」に出くわすことはない。私もこのブログでコメントしてくださったほとんどの人に対しては、自分で出来る限りの誠意で対応しようとしている。オフでも、ほとんどの人に対しては、礼儀を尽くしている。少なくとも自分ではそのつもりだ。
だが……時として、政治活動であれ、日常生活であれ、「悪しき人」に出くわすこともある。そういう時に、相手に善意・誠意を尽くしたとしても、相手もそれで返してくれるとは限らない。そんな時はどうする?
現実の世界においては、しばしば理念や利害などの違いにより対立が起きる。相手が、こちらの立場も最低限考えてくれた上で、フェアに論争を挑んでくるならいい。だが、「最初から、真面目な話し合いよりも、暴力的な手段でこちらを潰そうとしていたり、何かを奪ってやることしか考えていない」という悪質な確信犯が相手だったらどうするか? その場合、相手に対して善意・誠意のみで応えようとするのは困難であるどころか、危険ですらある。
さて、ネットウヨ(注:この呼び方は、フェアで真面目な右派、保守派、民族派の皆さんに失礼かもしれないので、以下は「ネット厨房」「ネット・チンピラ」とする)の問題に、この論理を当てはめてみよう。
彼らが自分たちの気にくわない主張をするサイトに現れ、コメントを残す時、それはたいてい真面目な対話や議論を望んでいるものではない。中には、一見真面目な反対意見を装っているものもあるが、彼らの意図は最初から明らかだ。悪意を込めた大量かつ執拗な攻撃的コメント・TBを送ることで、サイト管理人を消耗または萎縮させ、サイトを炎上、閉鎖、更新停止などの状態に追い込む。サイト管理人だけでなく、その様子をみた第3者まで萎縮してしまうので、彼らの攻撃を受けそうな言論はネット上から次第に減っていく。自分たちの気にくわない言論を「多数と匿名の暴力」で萎縮させ、異論・反論を唱える人たちから言論の場を奪うことこそが、彼らの本当の目的なのだ。つまり、最初から非常に悪質な確信犯なのだ。
そのような人たちと、善意・誠意を尽くしてまともな会話をしようとしても困難である。それどころか、こちらが付け入られ、食い物にされ、最終的には潰される危険すら伴う。
論より証拠である。実例をご覧になった方がわかりやすいだろう。
例に挙げられたサイトの管理人さんには申し訳ないが、悪意ある攻撃コメント者を排除(削除、書き込み禁止など)しようとせず、それどころか真面目に対応しようとした結果、深刻なダメージを受けてしまったブログの例である。
*読んだもん勝ちブログ
http://teddys.cocolog-nifty.com/nanairo/
(8月11日よりコメント欄を閉鎖)
*喜八ログ
(4月分)
http://kihachin.net/klog/archives/2006/04/index.html
(3月分)
http://kihachin.net/klog/archives/2006/03/index.html
(注:特に3月20日記事「安田弁護士を応援します」から荒らしによる集中攻撃を受け、炎上した模様)
(更に現在では、喜八ログさんもこのような考えに至ったようだ)
最初のうちは、まともなコメントや好意的な意見を寄せてくれる読者もいた。しかし、次第に悪質コメントが増え、さらに管理人が削除・書き込み禁止などの措置をとらずにいた結果、どうなったか。次第にサイト全体の雰囲気も悪くなり、まともなコメントや好意的な意見を寄せてくれる人、管理人の味方になってくれる人は次第に去り、ついには荒らし行為をする連中だけが残ってしまう。しかもその後、残った荒らし連中は管理人に対して感謝や敬意、あるいは遠慮を表すどころか、ますます増長してやりたい放題。サイトは完全に喰い物にされていく。そしてついには……。
上に上げたサイトは、コメント欄を閉鎖するだけで済んだから、まだマシなのかもしれない。もっと酷い場合には、サイトが閉鎖に追い込まれ、管理人自身も言論の場を奪われただけでなく、心に深い傷を追ってしまった事例もある。
更に忘れないで欲しいのは、それは管理人本人だけの問題ではすまないということだ。悪質荒らしを行ったネット厨房やネット・チンピラたちを一層増長させ、結果として他のサイトにまで被害を広げてしまう危険性もある。また、それを見た第3者を萎縮させてしまう危険性も考えられる。かくして、ネット厨房やネット・チンピラによる「多数と匿名の暴力」は、さらなる標的を探しながら続き、それと共にネット全体が特定の思想や意見にのみ占拠されていく。ネット厨房・チンピラたちにとって都合のいい意見に。
マキュアベッリの言葉を借りて言えば、「なにごとにつけても善(全ての来訪者に対する誠実で寛容な対応)を行おうとしか考えない者は、悪しき者(確信犯的な悪質荒らし)の間にあって 破滅(管理人の消耗やサイトの炎上、閉鎖など)せざるをえない場合が多い」ということだろう。
もちろん、一番悪いのは、管理人の善意と寛容さを踏みにじり、食い物にした悪質荒らしどもであることは言うまでもない。だが、例えネット上の表現活動であっても、善意や誠意だけで自分の活動と権利が守られたり、自分の主義主張を広められるわけではないということだ、残念ながら。例に挙げた、2つのコメント欄閉鎖の事例は、100の論よりもその事実を証明しているように思う。
で、今回のまとめ。
確かにブログにはコメント欄、TB欄があり、管理人と各読者との相互の意見ができる。理想を言えば、意見を寄せてくれる全ての人たちに誠実な対応ができればいいのだろう。しかし、現実にはなかなか難しい。
管理人も全知全能ではないし、その対応能力にはどうしても限界がある。
また、最初から悪意・敵意で接してくる相手がいる中では2つ危険が伴う。自分が潰される危険と、それによって悪意ある者たち(ネット厨房・チンピラ)の行為を増長・正当化させてしまう危険とだ!
だから、管理人がコメント・TBを規制しても、それは必ずしも責められるべきではない。自サイトへのコメント・TB受付は管理人の権利であっても、義務ではない。
各ブログの運営方針・方法は最終的に各管理人に委ねられるので、これはあくまでも参考程度に読んでもらいたい。
以上は私の意見、及びこのブログを運営する上で元になっている考えである。
これを採り入れるかどうかは自由である。ただ少しでも参考にしていただければ幸いである。
ただし、私の考えに賛同しない場合(「コメント・TBを規制するのはいけない」とか)合であっても、自分の考えを押しつけたり、意見が違うからと言ってアホバカ扱いするのは勘弁していただきたい。私も無理に押しつける気はないから。
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