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どうも、こんにちは。
シリーズ前回に引き続いて、妖怪や超人など幾つもの伝説・伝承が遺る霊場・‘三井寺’こと園城寺の新緑の光景を観て回ります。
今回は、三井寺を代表する(?)妖怪、‘鉄鼠(てっそ)’こと、頼豪(らいごう)の伝承地などの新緑の光景を巡ります。
前回記事の続きから。
茶店でひとやすみした後、さらに境内の道を進んでいきます。
道中に立つ如意輪観音(にょいりんかんのん)像。
仏像にしては妙に艶っぽい感じがしますが。
観音堂で祀られている秘仏を模したものです。確か、何年か前にもご開帳がありました。
如意輪観音像の前を通り過ぎると、三井寺の名物(?)妖怪が祀られている魔所が見えてきます。
妖怪・鉄鼠(てっそ)となった高僧・頼豪(らいごう)を祀る十八明神社です。
過去記事のおさらいになりますが、ここで妖怪・鉄鼠についての説明します。
元は人間で、しかも「阿闍梨(あじゃり)」という位を持つ「頼豪(らいごう)」という三井寺の高僧だったと伝えられています。
優れた霊験で知られ、1074年(承保元年)白河天皇の皇子誕生を祈願し、見事に皇子を誕生させたことで、天皇から褒美を約束されます。
頼豪は自ら所属する三井寺の戒壇院の設立を望みます。
さて、「戒壇院とは何か?」「それは何を意味するのか?」ですが。
当時は(鑑真和尚が奈良・東大寺に戒壇院と戒壇院の制度を確立して以来)、僧の資格は国(国分寺)によって管理されており、正式な資格を得て僧になるには、その戒壇院で受戒することが必須でした。
この戒壇院を持っていたのは、東大寺などの国分寺の他は、桓武天皇・最澄以来朝廷や皇室との関係が深かった比叡山延暦寺くらいでした。
つまり三井寺が自前で戒壇院を持つということは、正式な僧侶の資格を授けるだけの権利を持つことであり、また国分寺や比叡山延暦寺と同等までにランクが上がるということでもあるのです。
しかしこれに、当時三井寺と対立関係にあった延暦寺が猛反対。
その為、頼豪と三井寺の悲願はかないませんでした。
それを激しく恨んだ頼豪は、自ら魔道に落ちて、皇室や延暦寺を呪う護摩・断食行を行い、最後は悪鬼のような姿になり果てて死んだ、とされています。
その後、頼豪の祈祷によって誕生したという皇子はわずか4歳で亡くなり。頼豪の怨霊は石の身体と鉄の牙を持つ無数の鼠となって、経典や仏像、堂塔を食い荒らすなどの被害を延暦寺にもたらした、とされています。
その頼豪の霊を祀っているというのが、ここ「十八明神社」です。
現在でも比叡山の方向を向いています。
最初に訪れた時には、あまり手入れもされていなかったようで、忘れられ、荒れ果てているかのような印象も受けたのですが。
現在ではわりときれいに整備されているようです。
十八明神社からさらに上って、子供の神隠し(仏隠し?)伝承のある鐘楼や。
先ほどの如意輪観音像(オリジナル)が秘仏として祀られている観音堂。
観音堂よりさらに上へ。
殉職警察官の慰霊碑や。
そらばんの碑もありますが。
今回のお勧めは、ここから眺めるこの光景です。
今回はシリーズ前回のついでというか、おまけみたいなものですが。
せめて十八明神社の新緑の光景と、この光景は皆様にお届けしたいと思いましたので、この記事を書きました。
ええ、本当にそれだけのことですが。
今回はここまで。
また次回。
*‘三井寺’園城寺へのアクセス・周辺地図はこちら。
*三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)のHP
http://www.shiga-miidera.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/
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