「俺はあんたとは違うんだ」とか、言われているのに、こんなにも愉快かつ、すがすがしい気分になれるのは。
最近、リンクに加えさせてもらった『気ままにつれづれ』に、こんな記事が載っていた。
以下、引用。
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うーん。
ウヨの俺がサヨ(?)に認められてしまった。ゆゆしき事態である(爆笑)。
いや、別に擁護するつもりは全くなかったんだけど(今更ですか?)。
ただまあ、「あー、そこのウヨ。オマエラあげ足ばっかりとってないで、ちったあまともな反論をしろ。あるいは対案を示せ」と言いたかっただけで。
はからずもそれが「ウヨ否定・サヨ擁護」という形になってるだけでは(^_^;)
正直なところkomichiさん達の意見に賛同できないところもあるし。
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私のことを「サヨ(?)」と評価してくれるのはかまわないのだが……。
しかしだとすれば、「ウヨ」を認めてしまった私は、「サヨ失格」か!?
タイヘンだー! どうしよう?(大笑)
以下、さらに引用。
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でもまあ、それはそれ。
例えば共謀罪とかに対する危惧は俺でも持ってるし。必要性は分かるけど。
このあたりでは絶対に交わることはない、と思う。
ただ、ウヨ(の衣を纏った粘着と信じたい)のとってる行動には「バカか藻米は」といいたいだけです。
でもまあ、ウヨの一人として同類であるウヨの行動にいささか首を傾げるところがあるのでこのような事になっておりまする。いや、いささかどころではないのだが。
まあ、そのうち俺をリンク集に加えた事を猛烈に後悔することになるでしょう(ほぼ確定事項と思われ)。
その時には躊躇することなくリンクから外していただきたい。
しかし、ウヨのあほな行動でしょげかえってる時には応援はしたいところ。
んなヤツでよければよろしく( ^^)/
とりあえずんなところで。
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はっ、はっ、はっ(笑)。
それでも私はかまわんよ。
確かに、ここの管理人さんと私とは、意見も立場も違うかもしれない。
しかし、ウヨはウヨでも、ここの管理人さんは「フェアなウヨ」であり、また「話のできるウヨ」なのだ。少なくとも私は、そう見たのだ。
これまでこのブログに、こちらをびびらせたり、疲れさせようとして、しょうもない嫌がらせコメントを送りつけてくる、いわゆるネット右翼と思われる輩が何人もいたが、彼はそうしたタイプとは、違ったのだ。
つまり、異論や批判は述べるが、「論破や封殺を目的とした議論が無意味である」、「相手にも立場があり、自分の意見は One of them(様々な意見のうちのひとつ)でしかない」こと、そして「自分に固執しすぎることの無意味さ」というのを理解している。
そういう人物だと、私は見たのだ。
だからこそ、私は評価してリンクに加えさせてもらったのだ。もちろん、凹んでいた時に(本人曰く、結果的にであるが)激励してもらったお礼の意味もある。
ちなみに、いつもコメントやトラバを寄せてくれる常連さんたちや、リンクを結んでいる友好ブログの皆さん方と私が、全ての問題に関して100%同じ意見かと言うと、そういうわけでもないのだ、実は。
いや、「人間100%同じ」などということは滅多にありえないから、考えてみれば当たり前のことなんだが。
例えば、常連のr氏や、親交のある『喜八ログ』の喜八氏と私とであるが、喜八ログコメント欄閉鎖のきっかけとなった「安田弁護士を応援します」という記事に関して、今でも私は反対の立場である。つまり、山口県光市の母子惨殺事件で「犯人は死刑もやむなし」であり、「裁判における安田弁護士の言動は問題だ」と、今でも私は考えているのだ(注1)。
「竹島・尖閣問題」に関して言えば、「領土問題では安易な譲歩はすべきでない」「国際司法裁判所の判断を避けている韓国はおかしい」というのが私の立場である。つまり、kaetzchenさんたちの考え方とも違う(注2)。
更に言えば、いくつかの友好ブログにいる憲法9条擁護論者と違って私は、武力の必要性を完全否定しているわけでもない。
では何故私は、r氏や喜八氏、kaetzchenさんたちや、友好ブログの人たちと、いつもつるんでいるのか?
それは、かなりの部分(「反新自由主義」「反格差社会」など)で賛成・共感できる部分があるからでもある。それもあるのだが、もうひとつ大きな理由がある。
それは、その人たちが本当の意味で「大人」であるからだ。
つまり、「お互い意見の違いはあっても、認め合う。違いはわかりつつも、大事なところでは譲歩しあい、そして手を取り合う」ということを知っている人たちであるからだ。相手と違うことを言っても、「この人たちなら、賛成はしなくてもそれを認めてくれるだろ」という信頼感があるから。また私は、無知や勉強不足ゆえに間違いを犯すかもしれないが、そういう時も「この人たちならば、間違いを丁寧に指摘することはあっても、それを元にして私を罵倒して、貶めようとはしないだろう」という安心感があるからこそなのだ。
だからこそ私は、安心して彼らと親交を深めることができるのだ。
それに比べて、このブログに今まで、しょうもない嫌がらせコメントを送ってきた、ネット右翼(及びその同調者と思われる人々)は、どうだったか?
ほんのちょっと意見が違うからといって(あるいは「反日」「サヨク」の輩とつき合っているから、こいつも「反日」「サヨク」だと思ったのか?)、またちょっと気にくわないからと言って、「反日」だとか「糞虫」だとか、無礼極まりないレッテル貼りを一方的に行い、さらにこちらのちょっとした間違いや言葉尻にまで噛みつき、ネチネチと執拗な嫌がらせコメントを送りつけてきた。
たとえ同じ意見や立場であっとしても、「こんな奴らとだけは組みたくない、他のメンバーの顔色を伺いながらモノを言わなければならないのは、絶対にイヤだ」と、私は思った。
まあこれで、この私が彼らの敵に回ることはあっても、味方にまわる可能性は完全に潰えてしまった。アホじゃないか? アホという言い方が悪ければ……「なんという偏狭(偏狂?)で、視野の狭い奴らだ」とでも、言い直そうか。こんなことして、サイレント・マジョリティ(実は圧倒的多数を占めるROM状態の第3者)の支持と共感を得られるとでも思っているのか?
もっとも「他人の振りみて我が振りなおせ」ともいう。
今だからこそ言えることだが、学生時代の一時期、私は左翼運動と、新興宗教団体とに関わっていたことがあった。
その時所属していた集団の様子が、まさに「事実上、少しの異論や立場も許さない」という非常に偏狭かつ独善的なものであった。
自分たちはマルクス経済学の勉強しかしないくせに、私が実存主義思想(マルクス主義とは違う立場の20世紀の思想のひとつ)の勉強をしたり、マルクス主義に批判的な教授とお茶を飲んでいたりするだけで「転向だ、転向だ」とか決めつけてくる。私は「学生なんだから、知識として様々な立場の思想や学説を学ぶのは当然」と思っていたのだが。
そんなことだから、そのうちにイヤになってやめたのだが、いわゆるネット右翼の連中は、それ以上にひどい。
かくいう私も、相手の都合や自分の欺瞞性や限界すら自覚せずに、己の正義を一方的に押しつけていたことがあった。今でも、そういうところはあるかもしれない。
私も自戒・反省しなければならないかもなあ。
注1):
ただ、「だからといって喜八ログで行われたような、無茶苦茶な荒らし行為が許されていいのか?」、とも思い、怒ったのだ。
注2):
ただ、「日中韓の経済関係が今や密接不可分とも言えるまでになった以上、いたずらに強硬論を唱え、関係を悪化させるだけではダメだ」という意味の発言は確かにした。「何でもかんでも中韓に譲歩しろ」などとまでは言ってないが。
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