おはようございます。
Konemy述べる時間です。
年が明けて1月も中頃。
先日、共通テストとやらが実施されたようで。
両日とも大きな事件が無く……
的な定型を言おうと思いましたが
「大きな事件が」無かっただなんて言えません。
両日とも騒ぎが起きましたから。
まぁ、私は共通テストで何が起こっても
基本、関係ないんですが。
受験生を応援する声を聞くと
年度末を感じてきました。
私も数年前に受けた経験があります。
当時は「センター試験」という名前でしたが。
まだまだ若いつもりではいますが
すでに「昔の人」な訳です。
試験というものは人生の分岐点になり得るものです。
上に挙げた「共通テスト」や「センター試験」は典型的なものでしょう。
志望校を受験出来るか、出来ないか。
個別試験前に保険校を確保出来るか、出来ないか。
大きな分岐です。
約18年の人生の中で有数の大きな分岐でしょう。
しかし、多くの場合
「0か1」の話ではなく
「0から100」の話なのではないでしょうか。
ちょっと詳しく。
共通テストで失敗しても、大学進学の道を断たれる訳ではない。
もちろん、一部例外は認めますが
一般的に、です。
志望校を変えて足切りに遭わない大学を受ける
個別試験で合格すれば大学には行けます。
大学進学不可が"0"だとして
第一志望校進学が"100"
妥協校進学が"1〜99"といったところでしょうか。
まだ、大して生きていないので
これは若輩の持論に過ぎませんが
人生の中で「0か1」といった事態は数少ないと思います。
そんな中、私は先日
「0か1」を経験しました。
たった15分。
成功するか、失敗するか。
0か1で人生が非常に大きく変わる経験を。
初めての事です。
人生が掛かっているというのに、緊張は適度なものでした。
恐らく、二つの感情がぶつかり合っての緊張でしょう。
「無知の余裕」と「未知の恐怖」
知らないから恐れる事はない。
知らないから恐れる。
前者は、幽霊とかですかね。
見えなければいないも同じ。
そこにいると「知らない」から恐れもしない、出来ない。
後者は、他界が挙げられますかね。
人類は何百年も前から
天国だ、地獄だ、黄泉だ、冥土だ
などと「知らない」ものに形を与えて一喜一憂。
命を失うことを恐れてきた。
随分と壮大な話をしてしまった気がしますが
私の心での衝突は
「多くの人が乗り越えられたものなのだから私も大丈夫」
といった感情と
「私が乗り越えられるとは限らない」
といった感情のものであり
大したものではありませんでした。
結果、無事乗り越えられたのか
未だ分かりませんが、一息ついてこの記事を書いている次第なのです。
長くなりました。
それでは bye! Konemy
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