番組の有りよりました。
その中でも「信長が本能寺で死んでなかったら?」
て、言うコーナーは面白かった。
「信長」は後の世の「秀吉」「家康」とは全く違う性格。
どんどん外国の文化ば取り入れ
逆に仏教が追いやられて行く・・て言う予想も
当事の日本は何百年も戦争ばっかり続けとったけん
緻密な戦略ばもった戦闘集団。当然のごと朝鮮から大陸に侵略していって
当事の大国イギリスと戦争しても勝ったやろうてことでした。
世界は日本流が主流になって日本人も
バイリンガルになっとったであろうてゆうとが
識者の一致した結論やった。
本能寺・・
外堀も有り、周りは石垣で囲まれた小要塞。
信長はちゃんと抜け道作っとったはずのといね~
そこに逃げ込んだけん遺体が見つからんとは当たり前。
事前に穴掘り集団のプロに秘密裏に
抜け道ば作らせとったとです。
こればただ一人知っとうとがこれば請け負うた「秀吉」
抜け道に逃げ込んだ時、秀吉の忍びによって逃げ道ば
ふさがれ信長は窒息死・・
光秀が信長の遺骸ば必死で探しても見つからんとは当たり前。
ところが秀吉方が探しても見つからんとが不思議
他の戦死者の弔いに乗じて密かに信長の遺体ば
速やかに運び出したとが信長と兄弟同然に育てられた
京都阿弥陀寺の清玉上人。
後に秀吉が清玉に「葬式ばするけん遺骨ば渡してくれ」て
頼んでも「葬儀は済んだ」て断られます。
秀吉は仕方なく信長の木像ば棺おけに入れて
盛大な葬儀ば執り行いました。
加藤廣著「信長の棺」ではこげな解釈で
物語が綴られております。
実際ここにきて当事の本能寺後の発掘調査が行われとります。
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