見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

情を大切にする選択

2006-07-12 21:26:48 | 仕事・職業
指定管理者制度の完全実施期限が迫って来ました。

猶予期間の3年間で、すでに指定管理者制度に踏み切った事例が多く、マスコミにも何度か取り上げられているように、課題は山積みです。

指定管理者は基本的に公募で選定、と総務省は打ち出していますが、地元事業者や既存の事業受託者(主に外郭団体)を優先したいと考える自治体は少なくありません。

・地元事業者を優先する主な理由
(1)地元雇用が促進される。
(2)地元から市民税が納税される。
(3)それゆえ、地域経済が活発になる。

・既存受託者を優先する主な理由
(1)可もなく不可もなく安定している。
(2)既存の雇用者を解雇できない/したくない。
(3)組織が手の内にあるので安心。

けれど例えば、地元観光組合などに随意契約委託している赤字経営の観光施設を、同じ事業者を指定管理者にしたとして、その後の事業展開にどの程度期待できるものでしょうか。
地域制限なしで公募性にしたとしたら、この地域一帯の観光資源としての可能性に、全国区の観光産業リーダーが手をあげるかもしれません。新しい創造力とノウハウで、観光客が増え、人と物が動き、経済が活性化する可能性が公募によって開かれるとしたら。

「指定管理者をぜひ受けたいという地元の団体を無下にできない」という同情心から地元団体を喜ばせることの一時的な安堵感の結果、さらなる赤字とさらなる過疎化を促進することのリスクを負うことが果たして本当に地域が望んでいるのか、考えどころです。

人は、一時的な同情と安堵感で本意ではない選択をし、その場をしのいでしまうことが時々あります。

高校時代、自分の所属するギター&マンドリンクラブが、県大会の出場権を得たことがあります。
毎日練習を積み重ねながらも、前日まで曖昧にしていたことがひとつありました。大会での指揮棒を誰に振ってもらうか、でした。指導してくださっていた音楽顧問の先生とこれで最後の大会となる3年生の部長か、の選択です。

新しく就任した顧問の先生の指揮はダイナミックで、演奏に気合が入ることを、メンバーの誰もが気づいていました。口には出しませんでしたが、部長自らが、「今回は、先生に指揮をしてほしい」と言ってくれることを願っていました。願いながら、前日まで決定できずに引きずってしまっていたのです。

県大会の前日、メンバーの一人が意を決したように「明日の大会は、ぜひ勝ちたいと思う。今年は、先生に指揮をお願いしたらどうだろう」と、口にしました。多くが、ほっとした顔でがうなづきました。

ところが、部長と仲のよかったメンバーの一人が「部長も頑張ってきたんだよ。これが3年生にとっては最後の演奏だし、部長も最後の指揮になるかもしれない。部長にやってもらおうよ」と、部長をかばうように言いました。
しばらく沈黙が続き、場の雰囲気は気まずいものとなり、結果として、例年通り、部長の指揮で演奏をすることになりました。

翌日の県大会では、皆の口数が少なく、重い雰囲気のまま部長の指揮で演奏を終えました。賞とはほど遠い成績でした。

指定管理者の選定方針を検討する中、何が最善の選択といえるのか悩んだ高校時代がふと蘇ってきました。

一時的な情に引きずられた末の選択には、何年たっても忘れられない何かが残ることは確かです。


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