見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

宗教で思考する世界

2006-09-03 17:25:41 | 文化・映画・演劇・音楽
小澤征爾氏が指揮するメンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を聴きました。
シンプルな大道具を配置した舞台の上で、出演者が衣装を身にまとって緩やかに動きながら合唱し、オペラ風にアレンジされたオラトリオでした。

バッハをはじめとする宗教音楽は、荘厳な和音とメランコリーなメロディに癒されることが多く、落ち込んだ時の清涼剤として聴くことがあります。

今日、観た「エリア」は、歌詞の字幕サービスがありました。
最初は、ストーリーを理解できると喜んだのですが、そのストーリーがために、結果として、小澤氏の指揮による楽曲の響きに酔うことができませんでした。

宗教が生む残酷な人間の心情に震撼としてしまい、メンデルスゾーンのユダヤ人としての背景に思いが及んだり、宗教の影響力を考えてしまったのです。

「エリア」は、旧約聖書に叙述されている紀元前9世紀のイスラエルの預言者。
エホバ信仰だったイスラエルに持ち込んだバール神信仰を「邪教」とし、一人民衆を説き、再びエホバ信仰を蘇らせたというエリアの偉業を称えるストーリーです。

しかし、違和感は歌に現れる彼らの言葉にありました。

「バールの預言者を捕え、一人も逃がすな。彼らを川に率いて、そこで殺せ」というエリアの言葉。
自分の神以外を布教するものの存在を認めず、殺戮を厭わない心。
「われらの神なる主は、唯一の神であり、主のほかに神はない」と言い切る驕り。

そして、バール教に転じた民衆に対して、「われを離れたものに禍あれ、われに背いたゆえに、彼らには破滅が訪れよう」と、信仰者以外には血も涙もなく残酷になれる排他性。

「わが神を信じない者がいるというのは、わが神にも救えない限界があるのだ」とは考えない絶対的な宗教観。

それは、ユダヤ教やキリスト教の発祥の時代、発祥の土地のみの特殊性ではないからこそ、小澤氏の優雅な指揮の舞いをオケピに見ながらも、エリアの抒情詩に登場する人々の心にはどうにも寄り添うことができず、自分には宗教を理解する拠り所がないからなのだ、と自分自身を納得させるしかないのでした。



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