真恵子様 言霊録

私の崇拝する真恵子様の珠玉のお言葉の数々を後世に残したく、ブログを立ち上げました。読み返すと涙が溢れます。

自分のやりたい事をやればぁ

2020年01月24日 | 日記
今日も真恵子様は謎のキレ方をする。
今年に入ってから真恵子様はバイトを始めた。週に2,3回、共産党の下部組織で手伝いのようなバイトをしているようだ。時給は最低賃金以下。共産党自らがそれでいいのか大いに疑問だが、真恵子様にとってはいい小遣い稼ぎだ。
その他にも太極拳教室だぁお灸教室だぁコンポスト教室だぁとお忙しい。つい半年前までヒマを持て余していたお方がえらい変わりようだ。で、これが真恵子様にいらぬ自信をつけさせたのだろうか。

今日は金曜なので当然次女は高校に行ったが、私は6時に起きて弁当を作り朝食を取らせて送り出し、ほっと一息ついていた。と8時半くらいに真恵子様が起きて2階から降りてきた。何でも英会話教室に行くとかで、もう時間がないと朝食も取らずに出掛けた。私はと言うと、ちょっと出かけるつもりだったのだが、その後は洗濯やらゴミ出しやらをしているうちに昼食の時間になり、ありあわせのおかずでご飯を掻き込んだ。
ちょうどその時、wowowで全豪オープンテニスを放送していて、セリーナが負けそうになっていた。まさにクライマックスという場面でなかなかテレビを切って出かけられずにいた。こう言う時に限って真恵子様はお帰りになる。
「なによ、またテレビ見てるの?出かけるんじゃないの?」
第一声である。次女のお弁当ご苦労様でも、洗濯ありがとうでも、ゴミ出し大変ねでもない。まぁいつもの真恵子様である。こんな時にマゴマゴしていてはいけない。ハイハイと言いながら慌てて家を出た。

家を出て図書館に行ったり、他の所用を済ませて5時前に帰宅すると、真恵子様がいない。車で出かけているようだ。さっきのテニスの続きが気になるが、またリビングでテレビを見ているところに帰って来たりしたら、不愉快な思いをするのは私だ。ここは2階でPC作業をすることにしよう。すると程なく真恵子様は帰ってきた。
別にどこに行ってたのなんて聞かないが、お帰りなさいとご挨拶をするために1階に下りた。さて、もう晩ご飯の支度をしなければならない。ちなみにお米は既に私が研いで、炊飯器をセットしてある。おかずは誰が作るのかなぁ。。。お弁当作って朝ご飯作って昼ご飯作って、洗濯してゴミ出しした私が作るのだろうか?
「晩ご飯はつくるんですか?」
よせばいいのに真恵子様に聞いてしまった。
「いいわよ。2階にでも行ってれば?」
これ幸いと2階に上がった。

それがいけなかったのだろうか。
7時半過ぎて再び1階に下りていくと、真恵子様がいきなりケンカ腰である。
「今日どこに行っていたのよ。ビッグサイトに行くんじゃなかったの!」
「今日は違うって先日言ったでしょ。」
「じゃどこ!」
「どこでもいいじゃない。なんでそんな事を聞くの?」
「朝からテレビばっか見て、何かすればいいでしょ!」
「何かってなに?何をさせたいんですか?」
「知らない。別にぃ。」
「あなたが知らないものを私が分かる訳ないでしょ。何をさせたいの?」
「別にぃ。もっと会社に行って来ればぁ」
「好き勝手に行ける訳ないでしょ。あなたは突然やる事ができたから、私もバイトしろって事ですか?」
「やればいいじゃない。次女の塾代もかかるんだし。毎日ヒマでしょ。」
「そのヒマをあなたは私の現役時時代ず~とやっていたんでしょ。」
「昔はいいのよ。今の話!」
「そうですか。昔は私は朝から夜8時9時まで会社にいて、帰ってくれば家事は半々でしたよね。」
「今の話をしているのよ!」

どうやら結局稼ぎの問題のようだ。この5年間、ず~っと変わらない。時間があるんなら金を稼いで来いということだ。それでいて自分のバイト代は以前がそうだったように、家計になんか入れず自分で使うつもりなのだろう。
以前一時的に、真恵子様が珍しく老人ホームでのバイトの時も、この調子だと扶養枠を外れるよと注意しているのに聞き入れず、扶養を外れて控除がなくなったばかりでなく、真恵子様の年金も払うハメになったのだ。そのバイト代は家計の口座には入れず、自分の口座に蓄えていた。

こんなバカなやり取りを次女は聞くに堪えないと、自分の茶碗を持って自室に閉じこもってしまった。もう慣れっこなのかもしれない。ましてそこに自分の塾代云々なんて言われたら、聞いちゃいられないだろう。

さて注目なのが明後日月曜日の天気だ。予報は雪。このところ真恵子様は雨の日は私にバイト先まで送らせている。これだけの言い争いをした後、月曜日はどうするつもりだろうか。
まさか送ってなんて頼めないよな、普通の神経の持ち主なら。
月曜日が楽しみだ。