小関順二公式ブログ

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武蔵野グリーンパーク跡を歩く

2011-08-04 11:35:12 | 日記・野球のヒント


 昨日(8/3)、『第62回多摩地区中学校野球大会」を見に、武蔵野市民球場に出かけた。見られたのは桐朋対大坂上の一戦のみ。中学野球は久しぶりの観戦で、近所のオッサン気分で見ていたが、桐朋の右腕、太田力(3年)の本格派ぶりを見て背筋が伸びた。一塁側の応援席(と言ってもネットの裏)へ行き、「スピード計測したことある?」とチームメートに尋ねると「太田のですか」と察しがいので、「うん」とうなづくと「130キロです」と言う。
 中学3年で130キロ投げる投手は少なくないが、太田はフォームがいい。さらにそのフォームに躍動感があり、体作りが進めばまだまだ速くなるような予感がする。中学野球には瀬川ふみ子という性根の座った素晴らしいライターがいるので譲るが、瀬川さんはどう思っているのか聞きたくなった。
 この太田からホームランを打ったのが大坂上の右打者、小林聖(3年)。武蔵野市民球場は両翼87m、中堅103mと狭いが、内側からバットが出るインサイドアウトで内角ストレートを捉え、みごとレフトに放り込んだ。この2人には縁を感じるのでこれから先も注目していきたい。
 さて、わざわざ三鷹まで来たのは中学野球を見るためだけではない。市民球場のごく近くに武蔵野グリーンパーク跡があるからだ。武蔵野グリーンパーク……ほとんどの人は知らないと思うが、1951(昭和26)年、国鉄スワローズの本拠地球場として誕生しながらわずか数カ月、公式戦12試合が行われただけで表舞台から姿を消した球場の名前である。
 武蔵野市役所で話を聞いて、武蔵野グリーンパーク跡へと向かう。マクドナルドの手前の道を入り、高齢者総合センター脇を公団(武蔵野緑町パークタウン)方向に行くと、下り勾配の先に公団の建物群がある。市役所でもらった資料を見ると「外野席は掘り下げて土を盛っただけ」とあるので、ここが外野の端だったことがわかる。
 場所が確認できたので、今度は線路跡を歩くことにする。球場は作ったが、それを運ぶ交通機関がなければどうしようもない、ということで中島飛行機(解体された会社の1つが富士重工業)への物資輸送に使われていた引き込み線を利用して、三鷹駅から球場の近くまでの3.2キロを走る武蔵野競技場線が作られた。最寄り駅の名前は「武蔵野競技場前」(写真参照)。線路跡は現在、グリーンパーク遊歩道、堀合遊歩道となって市民の憩いの場になっている。グリーンパーク遊歩道の総延長は約1.2キロ。
「かつて東京駅の中央線ホームから武蔵野競技場前行という電車が出たことがある。野球のボールをデザインした行先表示板(サボ)が当時としては異色だった」(宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く』JTB)
 時間があったら是非歩いてほしい。
 

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