次の満月、血の色が黄色に褪せるまで・・・とりあえず休戦だ。
暗い背景の中にはためく血に染まったシャツ、突然映し出される大写しの月、地から手が生えて出たような朽ちかかった木のブランコ、等々。これらの映像が突拍子もなく登場するが、映画に妙に合っていて溶けこんでいるのです。ブラジル映画なのに、どちらかというとヨーロッパ的な映像なのですが、荒涼とした大地である“魂の川”の乾ききった空気が漂ってくるほど臨場感がありました。しかも、かつては奴隷を使っていたが舞台である1910年には、自分たちで全ての農作業をやらねばならなくなったという没落ぶりがすごいです。
貧しさの映像化・・・特に死にそうな牛や収穫も少なそうなサトウキビ・・・これと銃で相手を殺すという残酷さがリアルに響いてくるのです。そして正反対に美しい青い空とブランコ。ブランコ映像は、もうちょっと時間が長ければ、酔ってしまいそうになるほど画面に引きずり込まれます。時間軸まで効果をプラスして空中を旋回するサーカスの少女クララは素晴らしかった!
あらすじを見た段階では『ロミオとジュリエット』のようなストーリーをモチーフにしてあるかと思いましたが、暴力・復讐の連鎖という国家間の戦争の縮図を表現したかのようなプロットに驚いてしまいました。復讐の繰り返しをしても結局は何も残らない。そんなメッセージをも感じ取れます。
映画館からの帰り道、雨にたたられました。映画とそっくりな展開だったので、傘も買わず、タクシーも使わず、気持ち良く濡れてきました・・・(バカ、冬なんだってば・・・)
【あらすじ】
1910年のブラジルの田舎。対立する二つの家族ブレヴィス家とフェレイラ家があった。長兄を殺された復讐にてトーニョが相手の家長を殺した。今度は自分が狙われることとなったが、そんなある日、サーカスの少女クララと出会い恋に落ちる。
★★★★★
暗い背景の中にはためく血に染まったシャツ、突然映し出される大写しの月、地から手が生えて出たような朽ちかかった木のブランコ、等々。これらの映像が突拍子もなく登場するが、映画に妙に合っていて溶けこんでいるのです。ブラジル映画なのに、どちらかというとヨーロッパ的な映像なのですが、荒涼とした大地である“魂の川”の乾ききった空気が漂ってくるほど臨場感がありました。しかも、かつては奴隷を使っていたが舞台である1910年には、自分たちで全ての農作業をやらねばならなくなったという没落ぶりがすごいです。
貧しさの映像化・・・特に死にそうな牛や収穫も少なそうなサトウキビ・・・これと銃で相手を殺すという残酷さがリアルに響いてくるのです。そして正反対に美しい青い空とブランコ。ブランコ映像は、もうちょっと時間が長ければ、酔ってしまいそうになるほど画面に引きずり込まれます。時間軸まで効果をプラスして空中を旋回するサーカスの少女クララは素晴らしかった!
あらすじを見た段階では『ロミオとジュリエット』のようなストーリーをモチーフにしてあるかと思いましたが、暴力・復讐の連鎖という国家間の戦争の縮図を表現したかのようなプロットに驚いてしまいました。復讐の繰り返しをしても結局は何も残らない。そんなメッセージをも感じ取れます。
映画館からの帰り道、雨にたたられました。映画とそっくりな展開だったので、傘も買わず、タクシーも使わず、気持ち良く濡れてきました・・・(バカ、冬なんだってば・・・)
【あらすじ】
1910年のブラジルの田舎。対立する二つの家族ブレヴィス家とフェレイラ家があった。長兄を殺された復讐にてトーニョが相手の家長を殺した。今度は自分が狙われることとなったが、そんなある日、サーカスの少女クララと出会い恋に落ちる。
★★★★★
なんてことを聞いたら気になっちゃって、気になっちゃって(笑)
誰かなぁ・・・。
地の果てのような乾いた大地と、自由と希望を感じる青い空の
コントラストが良かったですね。
そうそう、コントラストですよね。
その仲介役の雨も印象的。
悪しきモノを全て洗い流してくれたのかもしれません。
濡れると,服が重くなってだる~なんですよねぇ.
って,無駄な雑談を(笑)
そうですよねぇ.規模が小さいから気づかないけど,
国家間とかの争いを縮小して,分かりやすくみせた感じが
ありましたよね.
まぁ,ちょっと退屈だったのも確かなんですけど,
面白い作品ではありましたね.
この手の映画はなぜか好きなんです。
去年の映画『ぼくは怖くない』も似たような理由で好きだったと思うんです。
文才がないために、この不思議感覚を文章にできないのがもどかしいです・・・
大作好きな人には受けないかもしれませんが、とてもよい作品でした。
天候が人間の心理描写に影響を与えてるかのような、不思議な映像表現だったように覚えています。
なぜこの映画に5点をつけたのか・・・
雨にやられたのですが・・・不思議です。
【世界の縮図】つながりか…
たまたま『ブラインドネス』と同時期に今作を観ました。
今作を観て、『ブラインドネス』に対しての印象がかわりました。
単品で観たときは、キャスティンクも内容も大衆向けになった、エンディングもヌルイと感じたのですが…
なんだか…
いくら、国の現状を作品にしても、世界に伝わらない。
視界を奪われ、隔離され、情報も、食料も乏しく、飢え、不衛生で、銃に怯え、犯され奪われ、死に直面し、怯え、怒る人々の思いを伝えるには、豊かな国の住人を主人公にするれば…
そんな意図を感じてきました。
自国の現状を疑似体験させる。
このへんで勘弁してやるかといわんばかりに、元の家に戻れ、視力も回復の兆し、希望を与える。
生き残った豊かな国の、住人よ、見えていただろ。
これが貧しい国の現状だ。
見えていただろ。感じて、想像して。
実際は、逃げ場、帰る家などないのだよ。
見える人が助けなくて、誰が救うの。
見える人のも、余裕がないみたいというけど、あるところにはあるでしょ。
そんな…
経済大国の観客向けのメッセージを感じました。
一方、ウォルター・サレス監督作品は、貧しい国の住人よ、生き残れ!という自国の若者向けのメッセージを感じます。
人生の転機、旅立ち、自分探し、という言葉より、脱出、生き残り、亡命。
行動しないと死ぬだけだ。
『セントラル・ステーション』『モーターサイクル・ダイアリーズ』も、人生の分岐点、若者の未来、世界、広がりや可能性を感じましたが、ゲバラの自叙伝となると、これも、自国の若者向け。
それぞれの監督の今後の作品のアプローチが気になるし、エルネスト・チェ・ゲバラの二部作も必ず観たいと思いました。