ハーケンクロイツと棺桶
1940年、フランスが降伏したとして戦勝ムードに沸き立つベルリン。街にはそこら中の建物にハーケンクロイツの垂れ幕が掛かっている。郵便配達員の女性が忙しそうに郵便物を届けるが、その中にオットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻の元に届けられる息子の戦死通知があった。悲しみに暮れるクヴァンゲル夫妻。オットーが働く木工工場では「機械を増やせ」と声を上げ、「国には息子を差し出した。これ以上奪うものがあるか」と怒りをぶつけるのだった。
やがて、どん底のオットーはペンを握りしめ「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺される」と書いた葉書をそっと街中に置いていく。ナチスに対するささやかな抵抗であったが、その活動を続けることによって市民からの通報があり、ゲシュタポのエッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)が捜査に乗り出す。それでもなお、この危険な行動を続けるオットーとアンナであった。
ヒトラーの姿は写真でしか登場しない。もちろん殺されたのはドイツ人であり、反ナチ映画としてはユダヤ人を中心に描いたものでもなく、組織的なレジスタンスを描いたものでもない、ごくありふれた一般労働者階級の夫婦ということで、他の反戦映画とは一線を画す作品なのです。また、葉書を使ったドイツ語の文字だけの抵抗ということもあり、全編英語であるにもかかわらず、すんなり受け入れられます。
グリーソンとトンプソンの静かな演技も重厚さを表現し、親衛隊からは無能呼ばわりされるブリュールの演技も興味深い。途中、葉書を拾っただけの男を誤認逮捕するエピソードもあり、釈放後、独りでこっそり自殺に見せかけて射殺するという精神的に追い詰められていく様子も描かれている。ラストに彼は自殺し、回収されなかった18枚を除いた267枚の葉書を街にばら撒くところも感慨深いのです。
どことなく現代の日本に対するメッセージとしても受け止めていいような、ファシズムと絶対権力、そして戦争への批判。過去の出来事、他人事ではないのだ。共謀罪、安保法制、そして憲法改正への動きといったドロドロした日本の現状を鑑みても、こういった時代が再び訪れるような気がしてならない。暴力を主としたテロリストだけではなく、文章によって体制批判をすることだけで罰せられる時代が。
工場で事故を装いわざと指を切り落として徴兵を逃れようとした男がいたのも悲しくなった。また、映画の中で、なぜか棺桶の運ばれるシーンが何度も登場する。オットーが働く工場でも棺桶をメインに作っていたと想像できるのですが、全てが死に結びついていく、暗く無情な世界を象徴していたのではないでしょうか。
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