そろそろ、年賀状を書かないといけないなという強迫観念に襲われている。
たかだか数人にしか送らない年賀状。
されど年賀状だ。
毎年毎年、あれこれ考えるのは面倒くさいので前回の寅年からフォーマットがほぼ固定化されている。
キリが悪い感じもするが、カレンダーも元々は3月はじまりで、1,2月は後付けだと何かで聞いた気がする。
近年はほぼパソコンで作って、印刷というのが普通かな?あるいはもう業者に頼んでしまうとか。
でも、手書き要素を印刷でも出したいので、Windows標準のペイントで干支の絵を描いている。
これが、一番の手間かと言えばそうでもなく、直筆で一筆添えるのが手が震えちゃう病の僕にとっては一番の苦行。
手が震えちゃう病なので、マウスで絵をかくのもしんどいのだが、これは消したり補正したりできるのでまだいいのだ。
そんな、2010年の寅から今年の戌まで8枚の画像を晒すという自虐ネタを展開したいと思う。
ちなみに、2021年の丑まで12枚揃えると願いが叶うかもしれないという、なんちゃってドラゴンボール形式なんだよと僕が勝手に思っている次第。
では、2010年の寅年から自分で感想を書くスタイル。
後になればわかると思いますが、もの凄く頑張っている姿勢が感じられる。
ここで鳴き声を書いたので、ずっと踏襲し続けるスタイル。
イメージはタイガーマスク。
2011年、兎年
まだ頑張っている。逆に言うと僕らしくない絵ともいえる。
ウサギの泣き声がわからなかったから、擬音という2年目ですでに破綻するスタイル。
白いウサギだとハガキが真っ白になっちゃうので無理やりグレーに塗りつぶしたウサギ。
2012年、辰年
この辺から僕らしさが出てくる。胴体は書かなくてもわかる的な絵。
今見ると雰囲気はデスタムーアだな。
さらに今これを見て、竜の持つ球をドラゴンボールにすればよかったと後悔。
鳴き声は空想。聴いたことないし。見た事もないし。
2013年、巳年
黄緑色って、現実的じゃない感じがしていいね。日本だったら青大将の青が普通でしょうか。
しかも黄色い水玉。病気としか思えない。描いた奴が。
相変わらず、鳴き声問題に苦しんでいるスタイル。
2014年、午年
ロバじゃね?と言われそうだが、サラブレッドをイメージ。
もっと言うと、テンポイントを空想で書いた感じ。テンポイントには何の思い入れもないけど。
一旦、鳴き声問題から解放される年。
2015年、未年
こういう絵が好きなことにだんだん気づく。
すげーでかい、もこもこの羊だと思うと可愛いでしょ?
あえての白の使い方。
2016年、申年
とぼけた顔してババンバン、バンバンババババババババン。
うん、洗練されて行っているな。
ちょっと、塗りつぶしのミスが気持ち悪いけど、直すほどの物じゃないと思っていた。
2017年、酉年
目を一つしか書かないとバランスがとりやすいのが動物の絵。
それはへたくそな奴の言い分だとはわかっているよ。両目描いてるの2年だけだもんな。
そして、絵心がない奴の動物の絵は「左を向いている」というのもアメトークを観て学んだ。
ウサギはグレーにしたのに、茶色とかにせず、淡~~いオフホワイトをなぜか選択。
そして羽がない鳥。鳴き声が書いてなかったら、鏡餅だと思ってしまう。
鳴き声があって助かったスタイル。
2018年、戌年
これが味なのだと。輪郭とか、胴体とか描くから変になりやすいと思う。
このパーツで、「ワン」と書いてあれば、犬であると認識できるだろう。
ちなみに名前はポチです。僕が犬を飼ったら98%「ポチ」って名付けると思う。
ナウくない?
番外編
著作権があるかな?
午年の時に端の方にのっけた梨の妖精と思われるヤ~~~ツ。
後半は訳の分からないことを書いてごまかしてますが、寅と戌を比べるとすげー違うね。
並べちゃうと、もう手抜きってことがバレバレだな。
それでは、じきに亥年の絵を描くとしましょう。
まだ、猪の雰囲気は出すと思う。
丑ぐらいになると、〇に・を描いて「モ~」と添えるだけになる可能性もなきにしもアラブ首長国連邦
おまけと言っては何だけど、もらってイラっとくる年賀状というのがこの世にはある。
それは、子供の写真だけのヤ~~~ツ!
せめて友人知人からの一筆が添えてあればまだ救われるのだが、ガキの写真しかない場合「お前誰だよ!」ってなる。
ガキが可愛いとか思ってるのかもしれないけど、人間のクソガキ程イラっとさせる生物はいないと言っておこう。
僕にとって、餓鬼の写真だけの年賀状は不幸の手紙と同レベルの嫌がらせなんだと。
まぁ、僕に年賀状をくれるような人でこれを読んでる人はいないだろうけど。
本当にやめて欲しいです。
なんか、くだらない事に時間をかける人生だな。僕の人生。
ではでは。