1月8日は「勝負事の日」らしいね。
一目瞭然、「一か八か」から来てるだろう。
「一か八か」の由来って何かご存知か?
僕は何となく「かぶ」の目から来てるのかと思っていたのだが。
だそうだ。
そりゃそうだよな。
「かぶ」だったら「一か九か」もしくは「0(ブタ)か9(カブ)か」だよね。
少し話はそれるけど、「一か七か」という博打があったことを痛烈に覚えている。
1991年の天皇賞(春)だ。
当時は学生は馬券買っちゃいけなかったんだけどね。
童顔に髭を蓄えて、口笛拭いてWINS後楽園に行ったよ。
一番近いのはWINS横浜なんだけど、500円単位(当時はね)だったので貧乏人は100円単位の後楽園に行くのさ。
東京までは定期があったから120円で行けたしね。
その馬柱を探したけど、なかった。残念。
馬連が出来た今では廃止された、単枠指定の名馬が2頭出ていたのだ。
1枠が大川慶次郎の大好物「メジロライアン」
7枠が新芦毛の怪物「メジロマックイーン」
両メジロの一騎打ちムードが漂う、まさに「一か七か」のレースだった。
ほとんど予備知識のない僕は読み方もわからない馬柱(東スポをずーっと愛用)を眺めていた。
人気はマックイーンが1番人気、ライアンが2番人気。
よくわからないし、「メジロ」が強いんなら、配当が美味しい「パーマー」がいいじゃんと。
未来を観たかのような謎の単勝を100円だけ買った見てました。
勝ったのは「マックイーン」の方。順当。
僕の「パーマー」13着だったみたいだね。
この印象が刷り込まれ、「マックイーン好き」「パーマー嫌い」になって後々痛い目を見ることになる訳だが。
ちょっと懐かしくなったので、この付近の春天の勝馬を並べてみるよ。
名馬が並ぶ春天だね。
実は僕が初めて観たのは、中学校の友達の家で見たテレビ中継。
その友達のお父さんが新聞を広げて「どれが勝つと思う?」と
今ならわかる「邪心がない者の予想は当たる」理論で聞いてきた。
僕は名前がカッコいいからと「シンボリルドルフ」を選んだんだ。
「邪心がない」ってすごいね。
この「シンボリルドルフ」の影響もあって「トウカイテイオー」が好きになるのも競馬ロマンなのかもしれない。
僕が競馬をやっていたのは1991年春天から1995年の宝塚記念まで。
結構短い期間だな。
やめたきっかけは1995年に春天を勝った「ライスシャワー」の予後不良。
前にも書いたかな。
競馬に関しても昔ばなししかできないけど、競艇もだ。
これは「一か二か」の勝負事。
1号艇には地元の当時バリバリだった「西島義則」。
2号艇には北海の熊こと「熊谷直樹」。
密かに5号艇に東都のエース「濱野谷憲吾」がいたとお伝えしておきます。
当時、友人の勤める会社が「競艇ツアー」を開催していて僕は毎回参加していた。
つまり、このレースは宮島競艇場で観ていたのだ。
現地参戦は血がたぎるので、持ち金を全部「2連単、2-5」にぶち込んでいた。
結果を貼ると・・・
1も2もフライング。
競艇において、フライングした艇を買ってるという事は全額返還されることを意味する(←ちょっと違う?)
大人気の「西島義則」、ついでに「熊谷直樹」もフライングという事で、ほとんどの人が払い戻しに並ぶことに。
もう、阿鼻叫喚です。
まだ、競艇場の相互払い戻しもしてなかったので、宮島競艇場の舟券は宮島競艇場でしか払い戻しできない。
地元の人は60日以内に来ればいいから余裕だけど、二度と来ないような僕らは必死。
そういう時に限ってぶっとく賭けてるからね。
捨てる訳にも行かない。
そういう運もないんだよな。
さらに言うと、新幹線の時間が迫っていたので一番焦っていたのは友人だったのだが。
ぼくは、SG優勝戦の現地観戦フライング巻き込まれ事故は3回も喰らっている。
滅多にあるもんじゃないんだよ。
SGの優勝戦のフライングなんて。
そんな思い出を無理やり付け足して、競馬の話を競艇のカテゴリにぶち込みました。
後述になりましたが、敬称略システムでお送りしました。
ではでは。