ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

老人と子どもと自立ということ

2024年02月12日 | ●子育て・家族

 

 

自分で考えない

自分で決めない

自分で行動しない

 

 

●認知症の人に共通すること

 

たまたまみた動画で、

介護士の方が認知症の方に共通すること

としてあげていたのが、

冒頭の3つでした。

 

認知機能が低下してくると、

そもそも脳がうまく作動しないから、

考えられない、だから決められないし行動もできない、

となるのは当然かとは思います。

 

ただ、その介護士の方は、

「だから、それをしないようにすることが、改善につながる」

と言っていました。

 

つまり、

 

自分で考えるようにする

自分で決められるようにする

自分で行動できるようにする

 

 

すでに認知症を発症した人たちに対して、

これをしていくことは、なかなか根気のいる、

大変なことだろうと思います。

 

同時に、これはまた、認知機能低下の防止にも

つながるのかもしれないと思いました。

 




●人生は来た道を戻るが如し

 

 

ところで。

 

私には、現在、7歳と1歳半の孫と、

91歳のアルツハイマーの母がいます。

いわば人生を始めたばかりの人たちと、

これから人生を終えようとする人の、

両方を同時に観察する機会を持ちます。

 

そんな中でよく思うのは、

まるで山を登って下るように、

人の人生とは初めに辿った道を

逆に戻っていくようなものだなあ、

ということです。

 

子供叱るな来た道だもの

年寄り笑うな行く道だもの

 

という格言(?)がありますが、まさにそんな感じ。

 

 

そう思ってみると、

自分で考え、自分で決めて、自分で行動する

というのは、人として、大人として

自立して生きるためには、

基本的なことだと、改めて思う次第。

 

そして、そうした自立した大人から

だんだんと遠ざかってしまうことを止めるために

自分で考えること、決めること、行動することの3つを促すのならば、

そうした自立した大人に近づくためにも

その3つを促すことが、

とても大事だと思うわけです。

 

 

老化を考えることは

すなわち子育てを考えることにも重なるな、

と思います。

 

 

 

ちなみに、先ほどのこ格言(?)は、

次のように続くようです。

 

来た道 ゆく道 二人旅

これから通る 今日の道

通り直しのできぬ道

 

 

 

#認知症

#老化
#終活

#子育て

#自立



 

 

 


Zoom誕生会

2020年04月19日 | ●子育て・家族

 

ごきげんいかがですか?

 

この状況下、Zoom飲み会というものが

流行っているようですね。

私も、お酒を飲みながら……

ではありませんが、

Zoomミーティングにはたくさん参加しています。

もともとZoomは仕事に使っていたので、

その使用頻度と使い道の幅が

さらに広がっている感じです。

 

参加者を一覧できることもあり、

最近は、海外含め、別々の場所にいる家族の会話も

LINEよりZoomですることが増えました。

 

 

●初・Zoom誕生会

そんな中、孫が4歳になりました。

昨年から息子の赴任に伴って

ヨーロッパにいたのですが、

このコロナ騒動で、3月半ばに

急遽、お嫁ちゃんと孫だけ、帰国しました。

そして、お嫁ちゃんの実家にいます。

 

お嫁ちゃんの実家で、

まずは2週間の自宅待機。

そこには90代のおばあちゃまが

いらっしゃるのですが、

この間は、ご親戚に

避難していただかざるを得ませんでした。

 

今は晴れておばあちゃまも戻られて、

みんなで家にこもる日々。

 

これまで、孫の行事は

みんなで集まってワイワイとやってきましたが、

今回ばかりは集まれず、

Zoomでのお祝い会となりました。

 

地方に一人で住む、私の夫の母

(つまり、孫のひいおばあちゃんの一人)は

Zoomの設定を自分ではできないので、

これだけは覚えてもらったLINEの

ビデオ電話で参加。

 

Zoomの画面越しに、

LIINEの画面の向こうの義母と話す、

なんてこともありました。

 

みんなで「ハッピーバースデー」の歌を

歌いましたが、

(手を洗いながらじゃなく。笑)

オンラインだと、時差が出るんですね・・・

普段気づかないこの時差に、

一緒に歌って気づきました。笑

 

 

画面の向こうの孫のところには

綺麗なホールのケーキが。。。

(この状況で準備くださった

お嫁ちゃんのご実家には深く感謝)

 

それを見ていたら、

画面からケーキが出てきたり、

匂いがしたり・・・

そんな日も、いつかは来るのかな、

なんて思いました。

 

送っておいたカードやプレゼントを

画面の向こうで読んだり、開いたり。

 

直には会えないけれど、

小1時間、みんなで

ささやかな幸せを感じました。

 

文明の利器に感謝するとともに、

離れていても、家族が集えること、

とりあえず無事で一緒に笑えることに、

本当に感謝した時間でした。

 

 

 

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人生初の一人暮らしが始まりました

2020年04月17日 | ●子育て・家族

 

ごきげんいかがですか?

 

これを読んでくださっている方は、

いま、どんな毎日を過ごされているでしょうか?

 

私は、なんと、このどさくさの最中に、

生まれて初めての一人暮らしを始めました。

 

 

●どっちにしても Stay at Home

 

一人暮らしを始めた、といっても、

私が引越しをしたとかではなく、

最後に家に残っていた末っ子が、

10日ほど前に、一人暮らしを始めることにし、

家を出て行ったのです。

 

彼はまだ大学生。

学年が変わって通う校舎が変わったことで、

自宅から「遠い」と言い、

かねてから一人暮らしを考えていたのですが、

なぜか今回、「いい物件が見つかった」とかで、

パタパタと家を出たという次第。

 

で、目に見えていたこととはいえ、

結局、大学の授業は、前期丸ごとオンラインとなり、

「だったら、どこにいても同じや~ん

と思うのですが・・・

彼の引越しは決行されました。

 

家賃も生活費も、自分でなんとかするそうで、

「ま、やってみなはれ」

ということしか言えませんので、

送り出しました。

 

はなむけの言葉は

”Stay at (Your) Home”

でしたけど

 

 

●一人になって感じたこと

 

私にとって、一人暮らしは、

驚くなかれ、本当に「人生初」なんです。

 

夫が一人で先に新婚旅行に出かけた

2週間とか、

(友人には、「それを新婚旅行とは言わない」

と、言われましたが)

その他、たまたま家族がいない日とかは

これまでにももちろん何度もありましたが、

一人がデフォルトの暮らしというのは、

なんと60年近く生きてきて初めて

 

 

そうなってみて感じたのは、

“We” から ”I” への転換

というものでした。

 

これまでは「暮らす」ということにおいて、

私の中では無意識に

主語が ”We" だったな、と気づいたのです。

 

たとえば、

雨戸を開けようかな、というときに、

「音を立てると起こしちゃうかな」

と一瞬の躊躇が起き、

「あ、そうだ、もう誰もいないんだ」

と思い、

雨戸は私が開けたいときに開けていいんだ、

ということを知る。

 

たとえば、洗面台を片付けるときに

自分が使うモノだけにしていいんだ、

と知る。

 

そんな一瞬一瞬に、

これまで、いかに自分が無意識に、

自分がどうか、ではなく、

家族がどうか、という軸で考えていた、

ということに気づいたわけです。

 

そして、これからは、

「私が好きかどうか」

「私が使うかどうか」

で判断していいんだ、ということを

まさに名実ともに感じたのです。

 

人は誰でも、

「自分がどう思うか」

「自分がどうしたいか」

を軸に、判断し、選択し、行動し、

それに伴って起きることの責任も自分が取る、

そうやって生きていく権利と

そして責任があると思っています。

 

それはわかっているのですが、

それでも、

家族との長い年月の暮らしの中では、

やはりそうばかりは言っていられない。

だから良い悪いではないと思いますが、

私自身、主語をWeで考えていたことに

改めて気づかされたとともに、

これからは本当に、

主語を ”I” にする生活をするんだ、

ということを感じました。

 

そうしたら……

これまでその気になれなかった片付けを

無性にしたくなりました。笑

 

そちらの報告もまたしてみたいと思います。

 

写真は、引越しの前の晩に「門出を祝して」(?)食べたケーキです。

 

 

 

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ウィルス対策って?

2020年02月25日 | ●子育て・家族

 

ごきげんいかがですか?

 

花粉が飛びまくってますね〜


そして・・・

コロナウィルスも飛びまくっているかも?

 

昨日は、高校時代の部活のOB会の新年会で

懐かしい面々と会ってきました。

 

コロナの話題も当然上がるわけですが、

何人か、医療関係者が居たりして、

いろいろ話をするなかで、

改めて確認したことがありました。

 


●ウィルスと私たちの関係

 

それは、こんなことです。

 

・ウィルスが体に入るかどうかの反応は、

入ってから少なくとも1.5日しないとわからない

 

・ウィルスというものは、どんなものも、

自分の体に入っていても症状を発する人と、

発しない人がいるもの。

それは、その人の健康状態や、

ウィルスに対する免疫力などなどで変わる

 

・たとえば、「帯状疱疹」。

子供のころ、水疱瘡に罹患した後、

治っても、水疱瘡のウィルスは神経節に潜んでいる。

初めのうちは免疫の力で、

そのウィルスの活動は抑えられているけれど、

だんだん免疫力が弱まって

齢を重ね体が弱ってくると、

そのウィルスが復活。

神経の流れに沿って帯状に発疹や痛みがでる、

というメカニズムだそうです。

しかも、治った後も痛みはずっと続くそう。

(……とかかった後輩が言ってました)

 

こちらに、わかりやすい説明がありました。
   ↓
https://taijouhoushin.jp/reason/

 


・子どもと多く接しているような人たちは、

彼らが病気に病気になるたびに、

その病気にちょっとだけかかって、

そうやって免疫力を上げているらしい。

 


……ということで、

今、高齢者などに帯状疱疹のワクチン接種が

推奨されているとのことです。

来年の新年会までには、

今回の参加者の多くはワクチン接種を

しているのかもしれません・・・

 

 

●免疫力とレジリエンス

 

コロナも、広がるか収束するか、

この2週間くらいが正念場と言われていますが、

自覚症状がなくてもウィルスを持っていることも

フツーにあることを思うと、
(普通の風邪でもそうですが)

もはや、ウィルスをもらうことも

あげてしまうことも、

かなりコントロールは難しそう。

 

最終的には、個人個人が免疫力を

上げておくのが重要だな、

と思います。

 

そしてこれ、心理学で言う「レジリエンス」を高めることに

通じるな、と思います。

「レジリエンス」とは、

「回復力」「復元力」「弾力性」

などと訳されますが、

英語の意味としては、

元に戻ろうとする弾力性

みたいな意味です。

 

その病原元やストレッサーが

命に関わるものであれば、

絶対に排除しなくてはいけないけれど、

そうでない場合、

ちょっとずつそれに触れることで、

免疫や耐性を作っておくことが大事、

なんだと思います。

 

もちろん、かからないに越したことはないけれど

絶対にかからない保証はないわけですから、

かかったらどうしてくれるんだ!?

という話をするのもいいけれど、

人ができることだけを話すのではなく、

自分ができることを考えて、

やっておくことって、大事なんだと思います。

 

そのためには

元に戻る力を養うこと。

 

いまは、とりあえず、睡眠をよくとって、

健康的なものを食べて、

朝のウォーキングをする

を心がけたいと思います。

 

 


    

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失敗をさせよう (2)

2014年10月04日 | ●子育て・家族

 

 

学校にド紫色のパジャマを着ていった息子の話の続きです。

 

 

その日、帰宅した息子に聴くと、

みんなからは、やはり

「これ、パジャマだよね~」

といった言葉をたくさんもらったようで、

注目はされたようですが、

どうも思っていたような結果とはいかなかったようで、

「もう、着ていかない」

という感想と相成りました。

 

 

その末息子があれから10年ほど経った今、

「いろいろと体についているのが好きじゃない」

「制服もうっとうしい。パジャマで行きたい」

というのを聞いて、

当時の奇行(?)を、今さらながら納得したわけですが、

当の本人に、あらためてその一件について聞いてみました。

 

すると、

「いや~、なんであんなことしたかわかんない。

 あの日は、チョー恥ずかしかったよ。

 脱ぎたくても、下は確か裸で、脱ぐわけにもいかなくて、

 早く帰りたかった」

と言っていました。

 

 

そういえば、以来、似たような事件は発生していません。

 

 

 

10年経った今、息子の気持ちを改めて聞いて

思ったことがあります。

それは、

子どもに失敗を経験させるのって大事

ということ。

 

親は、子どもより長く生きていますから、

当然のことながら、子どもより、経験も豊富です。

それをすると次ぎにどうなるか、ということを

シュミレーションすることも容易いものです。

自分がしてきた失敗を子どももしそうだと思えば、

ついつい、ストップをかけたくなるものです。

 

もちろん、それが、命に関わるようなことだったり、

そこまででなくても、たとえばビジネスで破産する、

というような

ひどい痛手になりそうなことだったりしたならば、

それは親として、全力で阻止するのはありだと思います。

 

が、ちょっと恥をかくとか、

ちょっと痛い思いをする、

というくらいのことであれば、

そしてそれを子どもがしたいというのであれば

経験させる、ということも大事だと思うのです。

 

誰にも「失敗する権利」だって、あるのですよね。

 

人は、頭だけでは「腑に落ちる」ということにはなりません。

「腑に落ちる」「肚落ちする」ということは、

頭だけではできないことです。

体も必要。

 

そのためには、実際に体験することが必要なのです。

 

頭だけでなく、全身全霊で、

「まずい」「やばい」

あるいは

「うれしい」「これでいいんだ」

ということを体験することで、

次から、自ら決断することがよりやりやすくなるでしょう。

 

 

学校にド紫色のパジャマを着ていった息子は、

着ていきたい、という欲求も満足させた上で、

それを「失敗」だったと思い、

もうこれからは着ていかない、という判断を自らくだし、

以来、その言葉どおりの行動をしています。

 

もし、あのとき、親や家族が

彼の気持ちをむりやり押しとどめていたら、

彼のその気持ちはくすぶり続け、

別の機会に、別の形で、噴出していたかもしれません。

 

 

また、もしパジャマで学校に行ったとき、

ヒーローになったり、

とても楽しいことが起きたとしたら、

その経験は、「成功」として、

彼の記憶の引き出しにしまわれることになったでしょう。

それはそれで、また、成功の種が増えて

素敵なことだと思います。

 

 

そう思うと、「成功」も「失敗」も

行動からしか生まれません。

「PKをはずすことができるのは、PKを蹴ることができた者だけ」

という言葉がありますが、

まさにその通り。

 

 

子どもに「成功体験」を積んでほしいと思うならば、

「失敗体験」をさせることをもOKする、

ということなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


失敗をさせよう (1)

2014年10月03日 | ●子育て・家族

 
 
先日、ある試験を受けにいく息子が、

例によって腕時計を「貸してくれ」ということがありました。

ふだんは携帯などで時間を見ている彼。

時計は身につけたくないのだそうで、持とうとしません。

 

彼は、「体に色々ついてるのがいやなんだよね」とのこと。

学校でも、上履きを脱ぎ、時にはくつ下まで脱いでいるんだとか。

でもって、面倒なときは、裸足で学校を歩いてるんだとか

(いいんですけど・・・

 ただ、家に入るときは足を洗ってほしいと思った母です

 

どうりで、毎日、素足にサンダルで登校しているのが納得できました。

(校則に沿っているのかどうかも知りませんけど……)

 

そんな彼、

「ほんとは制服も着たくないんだよね。

 パジャマで学校行きたいくらい」

と。

 

そこから、

「そういえば、小学校のとき、パジャマで学校行ったよね~」

という話になりました。




そうなんです

小学校3年生の頃だったか、この息子はなんと、

当時パジャマにしていたド紫色のスウェットの上下で、

学校に行ったことがあるのでした

 

どうでもいい話ですが、

そのスウェットは、アメリカに住む叔母が

日本に来たときに持ってきて、置いていったもの。

彼女は日本人としても小柄な女性なので、

アメリカでは「ジュニアサイズ」の服を選ぶことも多いとか。

で、そのスウェットは、アメリカのジュニアサイズの

ド紫色の、裏フリースのものだったのです。

 

 

ある朝、

「今日はこれを着て学校に行く」

と言い出した末息子に、

私も、きょうだいたちも、一瞬「えッ」でした。

 

「いや~、どう見ても、それ、パジャマだよ」

「笑われちゃうよ]

などなど、一般的な意見噴出でしたが、

なぜか末息子は、それでも、

「これで行く」

というのです。

 

本人は、アメリカのちょっと特別な服、

みたいなイメージを持っていたのかもしれません……


結局私も、そんなに着ていってみたいのなら、ということで、

「じゃ、イッテラッシャイ」

と、全身ド紫色の息子を、学校に送り出したのでした。

 

 

つづく
 

 
 
 


「何かお手伝いしたほうがいいですか?」 ~今年いちばん心に残った言葉~

2013年11月12日 | ●子育て・家族

 

 

「何か、お手伝いしたほうがいいですか?」

 

この言葉は、今年いちばん、私の中に残った言葉です。


8月にリレーのトライアスロンに、スイム担当で出場することになり、

練習していた時のこと。


溺れて死ぬことだけは避けたいと、

本番前にウェットスーツを着て泳げるプールや、

その他もろもろの情報を探していたとき、

「ママ友」つながりで、

バリバリのトライアスリート女性に巡り会いました。


その方が毎朝泳いでいるというスイミングスクールに

連れて行ってくださいました。


そこでは、主にトライアスロンをされる男女が、

6:30~8:30まで、毎朝(毎朝)、

練習しているのでした。


2時間で、皆さんは3~4キロ泳ぎます。


ところが、何しろビギナーの私は、

クロールで長い距離を泳ぐことが、そもそもできませんでした。

でも、本番で溺れて死にたくはない!

とにかく、皆さんに混じって、必死に泳ぎました。

 

が。

足の攣りやすい私は、何度も何度も、足が攣り、

とうとう最後はプールサイドに上がりました。

 

ひどい攣り方だったので、15分以上、収まりません。

 

普通のプールであれば、

プールサイドで攣った足を伸ばしている人がいると、

たいていの場合、係の人が

「大丈夫ですか~」とか言って、近寄ってきてくれます。

そして、足を曲げたり伸ばしたりして、親切に見てくれます。

  

でも、ここでは、そう言って近づいてくる人もいませんでした。



 

自分で足をストレッチしながら、ふと、プールに目をやると

皆さん、黙々と泳いでいました。

早朝のプールには、ばしゃばしゃと、水をかく音だけが

リズミカルに響いていました。

 

泳いでいる方々の中には、誰一人、

それが仕事の人はいません。

それが義務の人もいなければ、

それをすることで、何か得になることがある人も

おそらくいません。

それなのに、黙々と、

ハードな練習にいそしんでいるのでした。

白髪頭の方も、何人もいらっしゃいました。

多くの方は、このあと、出勤です。

 

 

単に泳ぐことすら満足にできない自分を情けなく思いながら、

呆然とそれを見ていると、

私の中に

「私って、なんて言い訳ばかりなんだろう」

そんな思いが降ってきました。

人生、考え直さなくちゃ、と、真面目にそう思った一瞬でした。

 

 

 

しばらくすると、さすがに

インストラクターの方がやってきました。

その方は、指導中のプールの中から私のそばに寄ってきて、

こう言ったのです。

それが、

 

「何か、お手伝いしたほうがいいですか?」

 

でした。

 

 

この言葉を聞いて、「おお!」と思った私でした。

はなから、何かしてもらおうとは思っていませんでしたし、

「いえ、大丈夫です」

と言いましたが、

この聞き方に、すべてがこもっている、と思ったのです。

 

トライアスロンは、どんなに過酷な状況でも、

すべてを自分で選択し、判断し、実行していくのは自分ひとり、

というスポーツです。

誰も、ああしろ、こうしろとは言いませんし、

誰も「どうしたらいい?」なんて、聞きません。

すべて「自己責任」なのです。

 

そう聞いていましたが、なるほど~、と思ったのでありました。

 

 


(c) .foto project

※写真はトライアスロンとは関係ありません。 

 

さて、場面変わって今朝のわが家でのこと。

 

このところ、お金がなくて、一人暮らしのアパートではなく、

実家のわが家に戻っている大学生の息子と、

毎日、わが家で出会っています。

その息子が、何かを探してキッチンをうろうろしていました。

 

何かあっても、あまり言葉にしない彼。

きょうだいの中でいちばんその傾向が強い彼に、

これまでは、しびれを切らし、

「どうしたの? 何が欲しいの? ~? ・・・?」

なんて、先回りするうるさい母親をやってきましたが、

もう20歳にもなったし、

今年の夏は、インドでまさにサバイバルの旅をしてきた人です。

もういっか・・・

 

彼が大学へ行こうと行くまいと、

単位を取ろうと取るまいと、

もういっか・・・

学費は4年分しか出ないことは、お互い了承済みのはず。

 

そんなことを思っていたら、

あ、そうだ、とこんな言葉が降りてきました。

 

 

「何か、お手伝いしたほうがいいですか?」

 

それに対して、彼は、

「いや、別に」

と答えました。

 

 

彼、たぶん1限には間に合ってないよなあ、と思いますが

 大学に出かけて行きました。

 

 

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わが家の読書プロジェクトの話

2013年10月27日 | ●子育て・家族

 

 

 

 

知ってましたか?

今日は、2013年の「読書週間」の初日なんだそうです。

 今年の標語は

「本と旅する 本を旅する」

だそうです。

 

う~ん、いいなあ。

 

「本と旅する」のはちょっと難しそうなので、

「本を旅する」を意識してみようかな、と思っています。

 

 

読書週間、と聞いて、あることを思い出しました。

 

あること・・・とは、

昔、わが家の子どもたちがまだ小学生だった頃のこと。

 

「国際読書年」というものがありました。

2000年のことです。

その年、わが家では、家族それぞれが、

あるルールに則って、ノルマのページ数を決め、

1年かけて、そのページ分の読書をしよう、 

ということになりました。

  

そのルールは、

子どもたちは自分の学年の数字×1000ページ、

大人は、自分の年齢×2000ページ、

を読む、というものです。

 

たとえば、小1の子は1000ページが目標ページとなります。

 

あくまでもページベースでしたので、

1ページの文字量は問いません。

そして、もし英文を読んだ場合は、 

そのページは1.5倍にして計算してもいい、

そんなルールでした。

 

 

子どもたちは、結構、楽勝だったように思います。

いちばん大変だったのは、私自身だったかも(苦笑)

 

まだ、1番目の子も小学生、

そして4番目の子はよちよち歩きの頃でしたから、

(さすがに4番目の子はこのプロジェクト?の

 参加者にはなってませんでしたね。笑)

なかなか読書時間がとれなかったように思います。

  

さすがに大人の私が絵本でページを稼ぐわけにもいかない

と思いましたが、

最後の方は、詩集とか短歌とかも読んでいました(汗)

知っている物語を原書のペーパーバックで読んだ形跡もあります。

 

そして、読んだら、必ず「読書ノート」に記録する、

というのもルールでした。

書名、作者、出版社、ページ数

そしてできたら感想をひと言。

 

 

子どもたちは、以来、そのプロジェクトが終わっても、

それぞれ多少形は違えども

何らかの形で「読書ノート」を継続しているようです。

  

私自身の「読書ノート」も、探したら

いまだにとってありました↓

 

 

読み返してみると、当時の自分のこと、

そしてどんなものを血肉にして、自分が今に至っているのか、

あらためてよくわかりました。

 

 

子どもたちは、めっちゃ沢山漫画を読む子もいますが、

その子たちも含め、全体的に今もよく本を読みます。

本が彼らのかなりの部分を作っている、と感じます。

 

そんな読書の習慣は、振り返ってみると、

あの1年で確定されたなあ、と思います。 

本を読む、活字を読む、ということに

抵抗がなくなったのだと思います。

 

 

結局のところ、活字を読みこなすという力も、 

筋トレと同じく

行動の繰り返しで身につく筋肉みたいなものだと思います。

 

行動の繰り返しとは、つまり「習慣」ですね。

 

そう、「読書週間」は「読書習慣」作りの第一歩なのかもしれません。

 

 

ごきげんな自分であるためには、 

いつも新しい考え方や見方を知るのも大切なこと。

そのために「読む」というのは大切なこと。

  

沢山の子どもたちが、本好きになってほしいなあ、

いつもそう思います。

 

 

ちなみに…

例のわが家の読書プロジェクト、 

全員が目標達成したら、アメリカのディズニーランドに家族で行く、

ということになっていましたが

(「日本のディスニーランドにしよう」という私の意見を振り切って

夫がぶち上げましたが……)

いまだに実行されていません(涙)。

 

なんとか、おとしまえをつけなくちゃいけないですよね……。

 

 

 


       
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親から子へ、伝えること

2013年06月27日 | ●子育て・家族

 

 

知人の男性が、Facebookで、

中3の長男さんが髭を気にしていたので、

髭のそり方を伝授した、と書かれていました。

 

それを読んで、なんだかほっこりしました。

 

同性の親だからこそ、伝えられることってある、

そう思います。

 

わが家でも、ネクタイの結び方や、

男の子のトイレでの所作

そんなものは夫が息子たちに伝えてくれました。

 

たぶん、私には見えないところで、

その他のことも伝えてくれているのかもしれません(笑)

 

同様に、私と娘だけの話、というのもあります。

 

 

同性だから伝えられること、

親だから伝えられること、

同性にしか伝えられないこと、

親にしか伝えられないこと・・・

きっと色々あるんだろうな。

 

 

そんなことを考えていたら、

愛情の表し方とか、

人とのコミュニケーションの仕方なんかも、

実は、無意識ながら、

親が子どもに伝えていること

あるいは教えていること、なんだと、

改めて思いました。

 

 

私は、親のそれを見て、

逆にそれしか知らず、

よかったことも、困っていることも

沢山あります。

 

うちの子どもたちも、きっと同じなんだと思います。

 

ここまでのことは、どうしようもないけれど、

これからのことは、

やっぱり、伝えといてもらってよかった

そう思ってもらえることを、沢山、

伝えていきたいな、と思います。

 

 


モデルが大事

2013年06月09日 | ●子育て・家族

 

 

今日、出かけた先で、

目の前にいた5歳くらいの女の子が、

キラキラした笑顔で、舌をペロペロしてました。


不思議に思ってその視線の先を見たら、

そこにいたのはこの人でした (*´∇`)ノ♪





子どもって、感じたことを

すっとそのまま身体で表現できる天才。
 

そして、ふっかふかのスポンジみたいな心は
 
良くも悪くも、
 
注がれたものをどんどん吸収していきます。
 
 

やっぱり子どもには、

素敵なモデルが大事だなあ

って思いました。



 
 

夏場に向けた「おむすび」の知恵

2013年05月31日 | ●子育て・家族

 

今日は、Facebookに、おむすびのことを書いたら、

皆さんから「へええ」「真似します!」という感じの、

意外なコメントが多くてビックリしました。


主婦にとっては当たり前なのかな、

と思っていたのですが、

どうもそうでもないようなので、

今日は

「夏場に向けたおむすびの知恵

ということで、書いてみようと思います。


夏場、特に梅雨時は「食中毒」に気をつけたいもの。
 
なので、そうした危険度を下げることを意識して
 
こんな工夫をするといいかも、と思います。
 
 
 
 
●その1:握るときはラップで
 

おむすびを握るときは、手を水で濡らし、塩をつけて・・・
 
というのが、日本古来の(?)やり方かと思いますが、
 
これだと、どうしても、手についている雑菌を
 
おむすびにくっつけることになります
 
私の知っている方の中には、
 
「他人の握ったおむすびは食べない」
 
ということに決めている方もいらっしゃいます。

 
なので、握るときは、
 
そもそもラップにくるんで握る。
 
こうすると、ご飯が手について困ることも、
 
手の雑菌がおむすびにつくことも、
 
防ぐことができます。
 
具は、埋め込みながら握ります。
 
 
ざっと握って、ラップを広げ、
 
塩をまぶして海苔を巻いたら、
 
もう一度しっかり握って、ラップを整えて完了。
 
 
 
●その2:食べる時には傷みやすいものから先に
 
 
食べる時間に時差がある場合などは、
 
痛みやすい具が入っているものから先に
 
食べるようにするといいと思います。
 
わが家の場合、
 
例えば、運動部に所属していた息子は、
 
大きな二段重ね弁当のほかに、おむすび6個
 
みたいなお弁当を持って行っていましたから、
 
1個目のおむすびを食べる時間と、
 
6個目のおむすびを食べる時間には、
 
ずいぶんタイムラグがありました。

 
傷みにくい具の代表は、なんと言っても梅干し!ですよね。
 
日の丸弁当として、真ん中に梅干しを入れるのは、
 
ご飯を傷ませることから防ぐためでもあります。

 
それに、梅干しの持つクエン酸には、
 
疲労回復力もありますから、
 
運動をした後の補助食品に、
 
梅干しおむすびは最適かもしれません。
 
 
最近は、コンビニでもいろんなおむすびがありますが、
 
チャーハンは傷みやすいものの筆頭。
 
おむすびはもちろん、
 
お弁当のご飯も、夏場は「チャーハン」は
 
避けた方がいいと思います。
 
納豆ご飯みたいになっちゃいます!
 
 
 
●その3:海苔の巻き方にも工夫を!
 
 
海苔というのも、傷みやすいものです。

何でもそうですが、

特に、水分があると、傷みやすさは加速します。

なので、長い時間経ってから食べる場合は、

海苔を巻く面積を少なくするとか、

海苔は食べる時に巻く、などすると、

ベターかも。


先日、3つのおむすびを夫に持たせるときは、

食べてほしい順に、海苔の面積を少なくしておきました。



●オマケ1:凍らせたゼリーを保冷剤に!

ホントに暑い時は、お弁当はあっという間に傷みます。

真夏は、お弁当に保冷剤を入れることが

必須と言えるでしょう。

一口大のゼリー(「蒟蒻畑」みたいなもの)を凍らせて、

それを保冷剤代わりに入れておくと、

食べる頃にはとけて、デザートにもなり、

一石二鳥です。



●オマケ2:汁物には乾燥ワカメや鰹節を敷く

汁っけのあるおかずは、傷みの原因にもなるし、

漏れる危険もありますね。

そんなおかずには、乾燥ワカメや鰹節を敷いておく

という裏技があります。

汁を吸ってくれるんですね。


ただ、味の取り合わせは考えた方がいいかも。





…ということで、

夏場に向けたおむすびやお弁当の知恵、

いかがでしたでしょうか?


すでにやっていらっしゃる方も多いと思いますが、

初めて知った! ということで、

使えそうなものがあれば、

ぜひ、やってみてください。



お弁当の時間は、楽しい時間でなくっちゃ、ね




信じることを学ぶ

2013年03月02日 | ●子育て・家族


今朝、末っ子の三男がアメリカに発ちました。

彼を成田行きのバスの出発地点まで送った帰り道、
車を運転しながら、
するともなく、自問しながら、
心がざわざわしていました。


我が家の4人の子どもたちの3番目までは
すでに大学生以上。
昨春、大学生になった3番目が最近一人暮らしをはじめ、
一人残った4番目も、
戻ることが決まっているとは言え、
今日、出て行ったわけです。

気づけば、子どもがみな、いなくなりました。



なんとなく、これまで
子どもたちは大学を卒業して、
順繰りに家を出るのだと思っていたのですが、
それはただの錯覚だった、
ということがわかりました。

他所様の倍以上も
子育て期間が長いと思っていた我が家ですが、
出て行く行き方は、倍以上にあっけないかも。


人数が多いこともあり
(ってことにしてみるけれど、
結局、私の性格の問題ですね。
今日だって成田まで送らないし……)、
母としての私は、
手も目も、行き届かないことばかりの
子育てだったと思います。

今日アメリカに発った末っ子に限らず、
いざ、外に出すと思うと、
教えるべきこと・伝えなくちゃならないと
思っていることを、
ろくろく伝えていない気がして、
すごく心がざわざわします。

もっと一緒に料理をしておくんだった。
洗濯の仕方、わかってたかな?
お礼状は言わなくても書けるだろうか?
・・・・・・・

心配し出すときりがない。
あれも足りない、これもまだだった・・・


親は、魚を与えるのではなく
魚の獲り方を教えるものですが、
それにしても、
その「魚の獲り方コース・基本編」すら
未完了な気がしてしまいます。



でも。

ほんとにこれで大丈夫、ということはあるのだろうか?

そう考えると、
それはそれで、無いようにも思います。


結局、親ができることは、
魚の獲り方を自分で考える素地をつくること、
それだけなのかもしれない。



そうすると、それには、これ、といった方法論が
あるわけじゃないようにも思います。
背中を見せる、というか、
自分のすべてでその子に向かい合うこと、
それだけなのかも、と。

そして、
あとは信じるだけ。

それしかできませんね。


そんなことを考えていたら、
心がざわつくのは、
子どもへの心配ではなく、
自分自身への心配なのだと
思い至りました。


子どもを信じる、
子どもにゆだねる、ということを
しきれない、自分への。


子どもは、こうやって
親に「信じる」練習をさせてくれているのかな、
と思います。
子どもを信じること、
そして自分を信じることを。




よ~し、行ってこ~い