ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

片付けも選択肢を少なく

2024年04月05日 | ●断捨離

 

私は今、ゆるゆると「終活」にとりくんでいる途上・・・

と思っていて、

片付けも、ゆるゆる、ダラダラと続けています。

 

こう書くと、しっかり続けてるんだ、と

思われるかもしれないけれど

(逆かな? 片付けは一気に、という人もいますからね)

とんでもなくて、

ずっと止まって、時々、少し進む、

たまに急に進む、

みたいな状態が常態で何年もやってきました。

 

でもね、できない、進まない、と言っていても

自分の気持ちは上がらないので、

少しずつでも何かやって、

できたものは「できた」とポジティブに捉えることで、

自分で自分を応援しようと思うことにしました。

 

 

そんなわけで、

片付けネタ多めになります。

(っていうか、ほとんど片付けブログになりつつあるかも?)

 

 

 

「とりあえず置いておこう」になるわけ

 

 

最近、ずっと気になっていたリビングの背の高い家具2つを処分し、

その代わりに背の低めの家具に変えました。

 

結果、リビングが落ち着いて、

それを眺めているのがなんだか気持ちよく、

ソファに座って読書、みたいな時間も増えました。

 

 

一旦そうなると、

それまでは、「ま、いっか」と思って、

とりあえず置いておいたものが気になり、

その場から無くしたい、という感覚になってくるから面白い。

 

これが先日書いた、

「片付け筋」が少しついてきた状態かもしれません。

 

 

そうして、思い出したことがあります。

「人は、選択肢が多いと選べない」という話。

 

たとえば、

ジャムが24種類あるのと6種類あるのとでは

どちらがよく売れるか?

といった話があります。

 

これ、6種類の方が売れるんですね。

3とか5とかが良いと言われたりもするようです。

 

理由は、シンプルに、

人は、多すぎると選べなくなるから、です。

 

確かに、私も、選んで決めなくてはならない時、

選択肢がいっぱいあると考えすぎてしまって

頭が疲れてきて、

 

「あー、めんどくさ。

 もう、あとで考えよう」

 

とか、

 

「もう、買うのやーめた!」

 

と、簡単になります。

 

 

それと同じで、

モノがありすぎる状態だと、

人の脳は、どれを残してどれを捨てるか、

選べなくなるんだろうな、と思います。

 

それで、

「とりあえず、置いとこう」

となって、

使わないものもそのまま残る、

という現象が起きているんだと思います。

 

それが、ある程度、片付けられて、

すっきりもしてくると

要る・要らないも、判断しやすい、

つまり選択しやすくなるんだと思うのです。

 

 

 

●2者択一は強制と同じ

 

そうだとすると・・・

 

無理に、要る・要らないの2択を迫って、

一度にすっかり片付けよう、とするのは、

ハードルが高いことになるでしょう。

 

だからこそ、

片付けは、螺旋階段を登るように、とか

筋トレのように、とか、

徐々にやりながらステージを変えていくもの

と思えばいいんじゃないでしょうか?

 

これ、片付けの専門家からしたら、

「当たり前」のことなんでしょうけれど、

私は、やっと最近わかってきました。

 

以前は、

その場で「要・不要」の判断ができない自分は

なんてダメなやつなんだ、と

自分を責めたりして、

片付けをますます苦手だと思い、

片付けを考えるだけで心が重くなり、

結果的に片付けが進まない、という

悪循環の中にいました。

(まだ、そこに居るけど)

 

それが、

「要・不要」の他に「判断に迷う」という選択肢を作り、

そこに一定期間置いておく、

ということをすることで、

グッと楽に選択できるようになりました。

 

コーチングでも、

選択肢が1つや2つだと、強制と同じ。

選択肢は3つ以上出してみよう、

と言われます。

そして、クライアントが3つ以上選択肢を考えられるよう

サポートするのもコーチの仕事、と

マイコーチに言われたことを思い出します。

 

 

●「とりあえず」のその後

 

では、「とりあえず」「判断に迷う」に分類されたものは、

その後どうなるの?

という疑問も、

当然ながら、湧いてくるのではないか、と思います。

 

それについては、

面白いもので、

時間が経ってくると、

自然と、「もういいか」と思えてきて

手放していけたりすると思っています。

 

特に、「とりあえず」のものたちを

目に見えるところに置いておくと、

その間、それまでは隠れていて対面していなかった

そのモノたちと、

自然と心の中で対話することになるせいか、

ある時「もういいね、ありがとう、さようなら」

と思える時が来る感じ。

 

あるいは、「あ、そうだ!」と閃いて、

そのモノに、新たな、ぴったりの役割を

任命することもあります。

「そっか、あなたはこれを待ってたのね」みたいに。

 

だから、私は、部屋全体とか家全体が

ある程度、これで落ち着いたとなる時、

言ってみれば、試行錯誤を経て、

全てのものに定位置が決まり

何が本当にあぶれるのか、自分で納得する時までは、

「とりあえず」ちゃんたちには、

家に居てもらおうというスタンスです。

(ま、置ける範囲でね

 

 

 

#片付け

#断捨離

#選択肢が多いと人は選べない

#選択肢は3つ以上

#要・不要

#「とりあえず」に置き場を

 

 


「片付け」は筋トレと同じ

2024年04月04日 | ●断捨離

 

●突然過去を見た

 

Facebookを見ていると、

過去の同日にアップした写真を提示してくれたりします。

そんな時、

「~年前の自分もおんなじだなあ」と感じることがあります。

 

先日は、10年も前に、

その日に「捨てたよ」というものを

アップしていたのが出てきました。

 

それを見て、

10年前も「断捨離」しなきゃと思っていたなあ、

変わってないじゃん、自分

と思いました。

 

同時に、

今なら即刻ゴミ箱行きなのに、

10年前は、それをやっと捨てた、という感じだったな、

とも思います。

 

そこには、

「進歩してるよ、自分」とも感じました。

 

 

●片付けは螺旋階段を登る、筋トレと同じ

 

そんなふうに、ものを処分する、片付ける

ということは、終わりがなく、

まるで螺旋階段を登るように

ぐるぐると同じことをしながら

ステージを変えていくんだな、と実感します。

 

片付けは、筋トレと同様だと思います。

いわば「片付け筋」とも呼ぶべき片付けの筋肉は、

筋トレと同様に、

体を使って何度もトレーニングすることで

少しずつ鍛えられていく。

 

筋トレの本をいくら読んでも、

筋肉はそうそうつかないように、

片付けも、実際にやってみて、

気持ちがいいとか、軽くなったとかということを

体感する、体で実感するからこそ、

さらにできるようになるんだと思います。

 

 

もし、なかなか片付けができない、

という人がいたら、

とりあえず「5分だけ」と思って

とにかく、体を動かして行動してみる、

ということがオススメです。

 

脳の「作業興奮」という仕組みに働きかけることができます。

 

 

 

#片付け
#筋トレ
#螺旋階段
#片付けは体感することから
#作業興奮



 

 

 

 


モノには気持ちが乗っていく

2020年06月14日 | ●断捨離

 

ごきげんいかがですか?

 

緊急事態宣言が解除されましたね。

そして関東も梅雨入りしています。

ときは移っていきますね。

 

そういえば、前回(こちら)、書きましたが、

我が家のメンバーが増えました。

 

ジャ〜ン!

 

 

当初6月半ばになる、ということでしたが、

なんと、注文から1週間くらいで到着。

 

 

そうとわかっていたら、

しなかったと思われる「ポチッ」の

第2弾がありまして……

 

この子も仲間に。

 

 

 

で、

それも待ちきれないかも、と思い、

実は第3弾もありまして……

 

 

 

結果

こんなことになりました↓(爆)

 

 

 

 

なんだかなあ、自分・・・

という感じですが、

この子たちと仲良く暮らしております。笑

 

 

 

●ぬいぐるみに乗せる思い

 

ぬいぐるみは、目鼻があったり、

生き物になぞらえて作ってあることがほとんどのこともあり、

ついつい、そこにあたかも生き物のような

「いのち」というか「魂」というか、を

乗せて見てしまいますよね。

 

反応をしてくれるわけではないのに、

語りかけてみたり。

 

喜怒哀楽を共にする感覚もあるかもしれません。

 

だからこそ、処分するときは、

離れがたい、捨てがたい、

と感じるのでしょう。

 

そこには思い出が詰まっているから。

もう、家族のような存在だから。

 

 

 

 

でも。

ぬいぐるみは言ってしまえばただの「モノ」です。

 

 

この、「モノ」に思いを乗せて特別なものとしてしまう行為こそが、

私たちがものを処分できない元凶といえるのでしょうね。

 

 

 

●ものを手放すとは、そこに乗っている感情を手放すこと

 

ものを手放せないというのは、

結局、自分の感情を手放せない、ということ。

「もの」(事実)と「感情」を分けられないということ。

 

だとしたら、

ものを処分するためには、

その奥にある自分の感情をどう整理するか、

そこに向き合うことが必要ですね。

 

そのためには、こんなステップを踏む必要がありそうです。

 

1)そのモノに乗せている自分の感情は何か、気づく。

 

2)乗せていた感情は今はどうなのかを自分に問う。

 

3)もう、満たされていたと分かれば、そのモノに

  「自分の気持ちを満たしてくれたありがとう」とお礼を言って、

  お別れする。

 

4)感情が未だに生きていると分かれば、

  再度、どうしたらその感情を満たせるのか、

  自分に問う。

 

5)答えが出なかったり、答えが分かった上で、

 そのものを持っていることを選ぶのであれば、

 持っていることにする。

 

では、答えが出せない場合は……?

そのときは、その気持ちのさらに奥にあるものを探っていく

必要があるでしょう。

 

 

今回、うちに招き入れた3人(匹? 個?)を

手放すとき、

私自身はどんなことを思うのかな、

どう思いたいかな?

 

来たばかりですが、

そんなことも考えている自分がいます。

 

 

 

 

 

 


粗大ごみは粗大ごみ

2017年05月26日 | ●断捨離

●リサイクルショップが引き取る基準●

 

タンスや机、

大きな家具を送り出すことにしたものの、

さてその行く先は……?

 

まだまだ十分使えるし、

ただのゴミにするのはやはり忍びない……と

いくつかリサイクルショップを当たりました。

 

今は車も手離しているので、

自分で運んでいくわけにもいきません。

となると、家に来てもらっての引き取りをお願いすることになりますが、

そういう場合、購入したのが10年以内か

ということがひとつの目安になるそうです。

特別なブランドやアンティーク、となると

話は別なのだと思いますが、

一般的な家具であれば、どんなに綺麗に使っていようと、

新しいかどうか、ということが絶対の基準になるようです。

 

ちなみに、IKEAとかニトリ、というブランドは

新しくても値がつかないとも言われました。

 

 

●行政の粗大ごみ収集は頼れる味方●

 

・・・ということで、

結局、市の粗大ごみの係りに連絡することに。

 

市の粗大ごみ収集は、

リサイクルショップの引き取りより、

迅速に来てくれる気がします。

(リサイクルショップも昨今は混み合い中の模様)

 

  ↑ その他の諸々のゴミたちとともに引き取っていただきました。

 

 

 

●目の前でつぶされる●

 

ところで、粗大ごみの収集車は、

以前は、大きなトラックのようなもので、

粗大ごみたちをポンポンと荷台に載せて、

持って行ってくれました。

 

そうした「粗大ごみ」を集めて展示し、

行政か第3セクターが販売している、という時代もあったように記憶しています。

(正確ではありませんが)

 

なので、持って行ってもらった家具たちは、

うまく認めてもらえれば、

誰かの手に渡って、再び活用してもらえるかも・・・

なんて、淡い期待を持っていましたが・・・

 

なんと、この度は、いきなり、

ゴミ収集車のパワフル破壊力により、

目の前でつぶされて、

車に呑み込まれて行きました・・・

 

たまたま今回は収集のタイミングに家にいたので、

ご挨拶しようと出て行って、

この光景を見ることになりました。

 

あんなに頑丈だった机やタンスが、

バリバリバリッと音を立ててひしゃげていき、

文字通りつぶされて、

「家具」から「ごみくず」へとなった一瞬を目の当たりにしました。

 

なんだか、生きたまま土に埋められるような、

息苦しさを覚えましたが、

タンスにも机にも、心の中で丁寧にお礼を言って、

頭を下げるしかありませんでした。

 

 

●ありがとう●

 

いきなり飛躍するようですが・・・

 

「亡くなった時が辛いから犬を飼わない」なんていう話を

聞いたことがあります。

犬はともかくとして、

別れが辛いから付き合わない、というのは、

わかるけれど、

やっぱり、つまらないよな、と思います。

 

別れがつらい、というのは、

つまり、それだけ深く付き合った、

それだけ豊かな時を共有した、

それだけ深く愛した、

という証拠でもあります。

 

であれば、

傷つくことを恐れて、何もしないのか、

傷つくことは当然として、

ともにいる時を味わうのか、

どちらかを選択するとすれば、

やはり後者だろうな、と思います。

 

喜怒哀楽、大きければ大きいほど、辛さも大きいかもしれないけれど、

それは、生きている証拠。

ならば、思い切りそれを味わう方が、

生の深みが増すのかも。

 

モノとの付き合いも、

人との付き合いと同じと思えば

(そんなふうに、モノに気持ちを載せるからこそ

手離す時にもエネルギーがいるわけですが)、

ともに豊かな時を共有できたことを喜んで、

「ありがとう」といえば、

それで赦してもらえるのかもしれないですね。

 

そして、そもそも「ゆるす」なんてことがあるとすれば、

それは、自分で自分にOKを出すことに他ならないのですし。

 

 

・・・と、わかっちゃいるけどやめられない自分を、

自分で納得させようとするために、書いてみました。

(ちゃんちゃん)

 

読んでくださった方には、お付き合いいただき、

ありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 


家具処分 その3

2017年05月25日 | ●断捨離

こちらは、中身がなくなったわけでもないのですが、

逆に中身を処理する必要ありと思い、

送り出すことにしました。

 

子どもが小学生になり、勉強机が必要かな?

と思った時に、

親戚から譲り受けました。

たしか、はじめは上に本棚とかが付いていたと思います。

 

思えば、我が家の勉強机には、

色々と変遷がありました。

古いダイニングテーブルを

二人の子がシェアしていた時もあったように思います。

 

私自身も仕事するのに机は必要なので、

一時は3つの寝室の全てに、

「机」なるものが置かれていたこともありました。

ダイニングテーブルを合わせると、

家に6つの机またはテーブルがあったことになります 笑

(椅子は12個ってことですね・・・

 

自分としては持ちたくなくても、

家族としては持たざるを得ない時期、というのもありますよね。

 

常に、スペースとモノと、格闘していたなあ、って思います

 

 

 

ちなみに、子どもが小学生くらいのうちは、

特別「勉強机」というものは無くても大丈夫、って思います。

自分自身の道具類をまとめて置く・しまうところは必要だと思いますが。

 

親が夕食を作っている間に

キッチンのテーブルで宿題、勉強、というので十分。

その方が、かえって、すぐに子どもが親に質問できたり、

一緒に考えたりできて、

子どもの力も伸びていくように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


家具処分 その2

2017年05月25日 | ●断捨離

ものを減らしていけば、当然、

その入れ物も不要になります。

 

嫌いでもなんでもなく、

むしろずっと一緒にいた仲間なので、

愛着があるのだけれど。

空っぽのまま置いておく意味もないし、

根本的には、その場所にあることは、

好ましくないし。

 

 

なので、送り出すことにしました。

 


家具処分 その1

2017年05月13日 | ●断捨離

片付け、遅々としておりますが、進めています。

 

昨日は、こんなものを送り出しました。

 

この2年ほど、我が家のリビングに鎮座していたもの。

例によって、私が欲しくて買ったものではないのですが、

ちょっと特別なものだったので、

逡巡もしましたが、

引き取りに来てもらって、手放しました。

 

 

   ↑ Before   「ありがとうございました」

 

 

      ↑ Afer    

 

 

呼吸空間て、こういうことを言うのね、と実感

 

 

ソファは置くことになると思ってはいるのですが、

置きたくないなあ という気分です。。。

 


ゴールデンウィークは終わってしまったけれど・・・

2017年05月08日 | ●断捨離

ゴールデンウィーク、終了してしまいました・・・

私の片付けウィークも、一旦終止符……

は打たないのですが、

この時点でどうなのか、についてはご報告しておきますね。

 

 

●書類が未達●

 

え〜、

結局、目標達成度6割、というところでしょうか。 

 

当初は

「住まい」を目指して

当然、明らかなゴミはない。

・「使えるけど、使わない」というモノは処分。「使う」「使いたい」モノだけにする。

(つまり、ときめくモノだけにする)

・平面上にモノがない。

をゴールとしたのですが、

3LDKの家の中で、

だいたい合格圏内にしてもいいかな、と思えるのは、

キッチンとお風呂とトイレと、和室と子供の部屋一つで、

一番やらねば、と思っていた仕事部屋とリビングは

まだまだ道半ばです。。。。

 

どうしてかと考えるまでもなく、その理由は明らかで、

要は、その2カ所に「書類」があるからです。

つまり、今回一番のメインだった「書類」

そして私にとってのガンである書類(紙類)の牙城が崩せていないからです。

トホホ・・・

 

 

 

●片付けウィーク2へ●

 

ということで、 

ゴールデンウィークの終了とともに片付けウィークも終了

とはいきませんでしたが、

とにかく、目標ラインまでは持って行きたいので、

ゴールデンウィークは終わっても、

私の片付けウィークは終わりません。

 

これから、片付けウィーク2に入りたいと思います



片付けは未完了の完了

2017年05月07日 | ●断捨離


●片付けてからが始まり●

 

前回の記事で、片付け→収納→掃除のことを書きましたが、

片付け〜掃除が終わってみると(まだまだ一部だけですが)

自分自身がやっとスタート地点に立ったことを感じます。

 

そこまで行って、その場を一望でき、

気持ち良い気を呼吸できるなあ、と感じてみると、

今は、「作業するための場所」を作るために、ゴミを捨てている、

といったことがわかってくるのです。

 

マイナスだったものが、やっとゼロ地点になった感覚

こういうのを未完了を完了するとも言います。

こうなると、そこから先は、「前に進む感覚」になります。

だから、「ブレーキをはずす」ことにもなります。

ゼロからプラス地点に踏み出すわけですね。

 

そして、たとえば、食器棚を見ると、

それまでは見えてこなかったのに、

「あれも要らない。これも要らない」と、

不要なものが見え始めます。

  

「気持ちがいい」という体験をもったことで、

初めて気持ちの良さが腑に落ち、

その気持ちの良さをさらに求めたくなるから、かもしれません。

リバンウドしない、というのは、だからです。


 

 

●やってみて、はじめてわかること●

 

何事でもそうですが、

頭で理解できることと、実際に体験して感じることとは、

同じようでいて全く違うのだと思います。

 

だからこそ、やってみるしかないのですね。。。

 

 

 

 

・・・ってことで、以下の写真は、そうやって

「あ、要らない」って思って処分したものの一部です。

 

改めて写真で見ると、

「なんでこんなもの、ずっともっていたんだろう?」

と思えてきます。苦笑

 

 

他にも山ほど。

でもつい、写真を撮り忘れています。

あまりにゴミすぎて見せられないという潜在意識が働くのかも 笑

 

 

 

 


片付けと掃除

2017年05月07日 | ●断捨離

横道にそれながらの片付け。

やりながら思ったことを書きかけていたものがあるので、

ちょっとアップしておきます。

 


●片付け→収納→掃除→良い循環●

 

片付けは、掃除とは違い、

もののカタをつけることであり、

要る・要らないを決めることでもあります。

 

収納は、そのあとにくるもので、

残したいものを、「定位置」を決めて、

そこに置いていく作業。

 

そして、「掃除」はその上でのこと。

 

だから、まずは、とにかく

家中、「片付け」をすること……と思ったわけですが、

片付けたら、やはり出したものを納めなくてはならないので、

片付けの後にはもれなく収納が付いてきます。

 

そして、収納するには、その場所をきれいにしたい、

という気持ちが働くので、

収納にはもれなく掃除が付いてきます。


で、結局、

片付けが終わった場所については、収納&掃除も終了するので、

なんか、きれいになったなあ・・・

呼吸できる〜、という状態になります

 

 

しかも、「さあ、掃除しなくては」ということではなく、

掃除をしないではいられない心理状態になるので、

義務感とか、イヤイヤ感がなく、

結果として、めっちゃ掃除をしても、

気持ちとしては疲れません。

(体は、翌日に筋肉痛とかありますが。)

 

これがいちばん、うれしいかなあ。

 

 

 


本の片付け、どうなった?

2017年05月06日 | ●断捨離

片付けゴールデンウィーク、

もう、終わりが目前となってきましたが、

私の片付けはまったく終わりが近くありません。涙

 

息子の友人が複数で連泊することになっていたり、

孫に会いに、母(孫にとってはひいおばあちゃん)と、

急遽出かけることになったり、で

なかなか片付け三昧とは行かない部分もありますが……

まあ、まだ時間はあるので、

諦めずに、「片付けウィーク」続行します。

 

 

●今、どこ?●

 

ところで、私の片付けは、今、何合目でしょうか・・・

 

アイテム別の片付けの順番としては、先日も書いたように

洋服類→本類→書類→小物類→思い出の品

と進むのが王道らしいのですが、

気づけば、

洋服類→本類→小物類→本類→小物類→小物類→小物類……あれ?

みたいな感じです。

 

今日は、連泊していた息子の友人たちが帰ったので、

寝具類を洗ったり干したり、

ついでに衣替えとかもしちゃいました

 

 

ま、上記の順番は、

小物類が意外と手ごわいので、

その前に服と本と書類で、「ときめく・ときめかない」「要・不要」の感覚を

十分に磨いてから着手したほうがいいよ、ということらしいので、

順番が変わっても、

結果として同じところに辿り着ければよしということにします。

 

 

●本、終了してました●

 

で、本でしたね。

報告が遅くなりましたが、

「要る・要らない」は結構サクサク選び、

要らないものは、箱詰めしました。

こんな感じ↓

 

 

7箱分

 

本棚からあふれていた本が、

本棚に入るようになりました。

 

ただ、こうしている間にも、

私以外にも子どもたちも、新たに本を増やしているので、

本棚の隙間は、早、埋まりそうですが。。。。

 

 

 

 

 


ものの出ていないキッチンを目指して

2017年05月05日 | ●断捨離

 

前回から、ちょっと時間が空いてしまいました。

書きかけの投稿を、とりあえず投稿しますね。

 

王道を外しながら、ジグザクしながら、

とりあえず片付け進行中です。

 

 

 

●ぶら下げない●

  

洋服の次の本の片付けの途中なのですが、

家で居る時間がいちばん長いキッチンが気になって仕方がなく、

気づいたらキッチンを片付けていました。

 

とりあえず、

これまでずっとぶら下げて収納していたものたちを、

見えない場所に移動することにしました。

 

今回の目標の一つに、平面にものを出さない状態、

ということがあるのですが(→こちら

壁面も一つの平面ですね。

 

 

そのためには、当然、引き出しやら、扉の中やらを大整理。

 

はじめは、そんなことできるのかなあ、と思っていたのですが、

脳って、「どうやってやったらいいか?」という問いを持つと、

それへの答えを出しに行くんですね。

 

これまでは、ぶら下げていたものを、

引き出しや扉の中に収めるという発想自体を持たなかったため、

それに向けての努力をしなかったんだと、わかりました。

 

片付けていても、目標がないと、(そして順番を間違えると)

いつの間にか、ついつい、ものの移動だけに終始して、

根本的な解決になったいないという自体に陥りがちなのですが、

「何を目指すんだっけ?」

と、時々自分に問いかけて、

大きな目標を見失わないようにすることが必要ですね。

 

 

というわけで、ぶら下げ問題のBefore/After.

 

調味料類がまだ出ていることが気になりますが、

「ゆるく」なので、

次の段階でそれを解決しようと思います。

(と、言い訳か?   ま、いっか)

 

 

 

●冷蔵庫の中も片付け● 

 

ちなみに、冷蔵庫の中もついでに片付け〜お掃除。

当然のことながら、賞味期限切れの食品もお片付け。

 

まめに証拠写真をとるということができない(忘れる)ので、

すでにことが終わってからのものですが、

写真をアップします↓

 

 

 

 

 


片付けジグザグ進行中

2017年05月02日 | ●断捨離

 ●順番をはずす私●

 

片付けの話の続きです。

しばらくは、たぶん片付けの記事だけになります。。。

 

さて、いま、洋服が終わり、

本の片付け、という段階なハズなのですが、

「没頭する」とか言いつつ、実は私、めっちゃ気が散ることもあるんです。

というか、そればっかり。

散る、というのは正確ではないかも。

気が「移る」んですね。

 

コンマリ流で言えば、邪道なんでしょうね、きっと。

 

ストレングスファインダー®というものをご存じの方にはわかると思うのですが、

私、「目標志向」(目標を定めたらまっしぐら)という資質もありつつ、

「着想」(色々なアイディアがどんどん湧いてくる。しかも人からは脈絡がないように見えるのだけれど、

本人の中ではなぜか繋がっている)という資質もあるんですね。

 

そうすると、どういうことが起きるかというと、

本の整理をしていたハズなのに、

目に止まった置物が「なくしたくてしかたがない!」と思うわけです。

「あ、いま、この瞬間なら、ばさっと処分・・・じゃなくて

お別れできる」

とか思うのです。

 

そのタイミングを逃して、改めて、では置物と向かいあいましょう、

となると、

「う〜ん、どうしようかなあ」なんて考えてしまう可能性が増すと思うわけです。

 

私の場合、思い立ったが吉日で、その瞬間が大事なんです。

「あとで」「順番に」とか思っていると、

後ではやる気が失せていたり、

せっかくのアイディアが思い出せなくなっていたりするのです。

 

なので、その瞬間を捉え、その時の欲求に従える時は

従うことにしています。

 

結果として、あっちこっちで物事がとっちらかっていたりするんですが・・・。

そこは、最終的に「目標志向」で完了します。

 

で。

本日は、こんなものとお別れすることにしました。

番外編、という感じです・・・。

 

 

 

 

●お人形なども普通のゴミとして送り出してOK●

 

顔のあるものはなかなか捨てにくいものですよね。

でも、たしか巫女さんのアルバイトをしていたこともあるという

コンマリさんも書いていたと思いますが、

「お人形なども普通のゴミとして出して問題なし!」

ということだったので、

その言葉を信じて、

「ありがとう。さようなら」

と言って送り出します。

 

 

クマの置物は、出所はたぶん、北海道出身の母ではないかと思います。

その横のドラゴンのような置物は、

夫が出張先のどこかの国で買ってきたもの、

もしくはもらってきたものだと思います。

象の置物も、たぶん、いただきもの。

 

我が家の場合、夫の海外出張が多く

その度に、消えてなくならないものを持ち帰ってきたので、

この手のものがわんさかあります。

 

狭い家で、飾るところなどないのに・・・。

 

 

●自分の思考のクセに気づく●

 

そう思って見回すと、

本当に、飾り物系で私自身が買ったというものは

ほぼありません。

 

思えば、私はこれまで、

誰かが持ち込んだものを管理することに

とってもエネルギーを使ってきてしまったようです。

 

人のものなので、私が処分するわけにはいかない。

でも、持ち込んだ人は、それを最後まで面倒見るわけではなく、

結局、処分は私がすることになるのですが。

 

ともあれ、過去のことを言っても仕方がありません。

今は、誰に遠慮する必要もないのですから、 

私自身が自分の鈍っていた「好き・嫌い」の感覚を思い出しながら、

もっとわがままに、選択していきたいと思います。

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


片付けの手始め

2017年04月30日 | ●断捨離

●片付けの手順● 

 

片付けの手順は、コンマリさんにしても、やましたさんにしても

ほぼ同じで、

1)同じ種類のモノはすべて、一堂に集めて出してみる。

2)残すモノ(使うモノ、ときめくモノ)と、処分するモノ(使わないモノ、ときめかないモノ)に分ける。

3)後者は処分。

4)前者の残すモノは、定位置を決め、収納する。

 

これだけ。

 

家の中で、どうやってそれを進めていくかといえば、

難易度の低い(やりやすい)モノ、場所から、難易度の高いモノ、場所へ。

アイテム別に言うなら、

 衣類
  ↓
 本類
      ↓
   書類 
  ↓
 小物類
  ↓
 思い出の品

の順だそう。

 

何度かやっているのですが、私の場合、

書類から以降が終わっていないまま来ています。

とはいえ、今回も「思い出の品」、特に写真には手をつけないで、

その手前まででゴール、と考えています。

それが、今回の「ゆるく」の肝でもあります。

 

なにしろ家族6人分。

中には亡くなった夫のものも含まれます。

それを一人でやろうとしているので、

ちょっと辛いです。

 

 

 

●まずは洋服から●

 

一度やっているとは言え、

今回も、まずは洋服から。

 

洋服を「ぶっちゃけ」ている写真は前回アップしました。

途中の詳細は写真を撮るのを忘れていました。

(何しろ始めてしまうと寝食忘れて没頭するタチなので・・・)

 

そのぶっちゃけの結果は、

45リットルゴミ袋で2つ分ほど処分、ということと相成りました。

 

まあ、昨シーズンにもやったので、

今回はこの程度の成果でもよしとしたいと思います。

 

 ↑ こちらは、リサイクルショップへ。とりあえず、すべて引き取ってもらえたのでよかったです。

 

 

  ↑ こちらは、行政の資源ごみ回収に出しました。

 

↑ バッグとかも、いくつか思い切って処分

 

 

 

●服を処分して見えてきたこと●

 

私の場合、服の処分にはあまり困りません。

まあ、多くの方もそうなのかもしれず、

だからこそ、片付けのはじめは服から、ということになっているのでしょう。

 

服への執着はほとんどない私。

極端な話、全部処分しろと言われれば、全然OK。

でも、そうすると明日から裸で歩かなくてはならなくなるので、

しょうがないので残そうとすると、

途中の線引きが難しいので、そこそこ残る、という感じ。

 

今回、全部処分してもいいなあ、と思った時、

実はなぜか涙が出てきました。

その気持ちが何なのかよくわからないのですが、

処分してもかまわない服だけしか持っていない、ということが、

何だか情けなかったということもあります。

 

また、

「ああ、これを着て、夫とこんなことしたなあ」

なんていうことも思い出されて、

それで涙が出たというのもあるのでしょう。

 

その服をもう着たいとは思わないのだけれど・・・

こちらの涙は、卒業式に流す涙に近いのかもしれません。

 

 

 

●モノとのわかれ●

 

コンマリさんに言わせると、ときめかないモノ

やましたさんに言わせると、関係の終わっているモノ・・・。

これらは「処分」となるわけですが、

処分という言葉を使うから、手放せなくなるのかもしれません。

 

「処分」ではなく「送り出し」。

「さようなら」ではなく「ありがとう」。

「捨てる」のではなく「卒業」。


そんなふうに考えると、

もっとすんなりといくのかな、と思います。


コンマリさんが多くの人に受け入れられているのは、

彼女のする、ちょっとスピリチュアルな表現や儀式?によって、

多くの人のモノへの罪悪感や痛みが、

軽減されていくからなのだろうと思います。

 

結局、人は、論理でなく感情で動きますから。

 

 

では、また。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


片付けのモチベーションをあげるために

2017年04月30日 | ●断捨離

 

●本で刺激を●

 

このたびの片付け、ですが、

実は、ずっとモチベーションが上がらない状態が続いていました。

片付け「なければならない」と思うし

片付け「たい」とも思うのだけれど、

体がついてこない感じ。

 

冬には「寒いから、暖かくなったらやろう」と思っていました。

そして4月の声を聞き、いよいよ逃げられないと思ったのですが、

どうもエンジンがかからない。

そこで、自分を鼓舞するために、

まずは本を読みました。

 

すでにいくつか読んでいましたが、

それも含め、新たに借りてきたりして

コンマリさんの本と、やましたさんの本、

それと、ちょっときれいなおうちの写真が載っている雑誌をいくつか。

 

やはり、言葉とともにビジュアルで脳を刺激することって

効果ある、と思います。

 

 

 

●とにかく始める●

 

あと、私に向いているのは、やはり、

自分を追い込むことなのかと思います。

名付けて?「ぶっちゃけ法」!?

 

どうするかというと、とにかく、モノを出してきて広げてしまう。

そうすると、片付けないことには、寝ることもできなくなりますから。

そうやって、まずは体を使って動き出すと、

人はエンジンがかかるモノなんですね。

 

これって、「作業興奮」というものですね。

人のやる気のもとの一つに「ドーパミン」という物質がありますが、

これって、脳の即坐核というところが刺激を受けると出てくるそうです。

その即座核への刺激は、体を動かすことが一番なのだそう。

 

そして、確か7分間、動いていると、

脳は、それをずっとやっていたかのような、

自分はそれをやる気があるんだというような、錯覚に陥るんだとか。

 

だから、やる気を出したかったら、出るまで待つというより、

ともかくも動き始める、というのがいいようなので、

「ぶっちゃけ法」は理にかなっているというわけですね。

 

 

ってことで、ぶっちゃけ中の写真を載せておきます。

これ、ここにアップするつもりなく撮ったものですが、

本当に、とにかく「ぶっちゃけ」たところです。苦笑