ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

私の「コロナ疲れ」対処法

2020年05月20日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

私は……

たぶん「コロナ疲れ」だなあ、って思う

今日この頃です。

 

この言葉を言うと、

小池都知事には叱られちゃいそうですが、

だからと言って、外に出歩いているとか、

そういう意味ではありません。

 

なんとなく、気分が上がらない……

そんな感じです。

 

 

今回は、この「コロナ疲れ」ってなんだろうな?

そして、それをどう癒しているか?

ということについて、

書いてみたいと思います。

 

 

 

●プラスされる感覚からの疲れ

 

疲れには肉体的な疲れと、精神的な疲れがあります。

いまのこの状況での”疲れ”の多くは、

精神的なものから来ていると思います。

 

中でも、普段は持たなくてよかった緊張感を

持ち続けることは、

大きな要因だな、と感じます。

 

常に消毒、常にソーシャルディスタンス……

 

慣れないことをし続けると、

いつもとは違う神経を使い続けるわけだから、

それだけで、シンプルに疲れるでしょう。

 

まして、今回は相手が目に見えないし、

生活がどうなるかわからないし、

常に不安とセットですから、

余計しんどいですよね。

 

 

●マイナスされる感覚からの疲れ

 

緊張感や不安感などは

「プラス」されたことでの疲れだ思いますが、

もう一つ、「マイナス」されていることでの疲れ

というのもみ過ごせないと感じます。

 

「マイナスされているもの」というのは、

つまり「不足しているもの」のことです。

いろいろあると思いますが、

大きなものとしては、「感覚」の不足

があると思います。

 

人は、なんだかんだ、五感を使って生きてます。

そして、この五感が満たされるということが、

幸せ感を感じることや、

心身の健康につながっているのだと思います。

そのバランスが崩れることで、

なんか調子が狂ってしまうことが、

いま、あちこちで散見されると感じています。

 

もちろん、使えている感覚もあります。

以前のようなお料理が食べられないとしても、

味覚も、嗅覚も、使っていると思いますし、

視覚、聴覚についても、

「オンライン」がデフォルトになっていたとしても

使えていると思います。

Zoomなどのミーティングツールでは、

相手の顔を見ることも、声を聞くこともできます。

これだけでも人とつながれる感覚が持てますよね。

 

でも、一つ、使えていないのが「触覚」です。

今はまさにここが”封印”されている状況です。

そのことによるダメージは

自分では気付かなくても大きいのではないか、

と思います。

 

 

ちなみに、医療の最前線で働く方などは

緊張感や不安感がマックスにのしかかっている状況の中で、

家族とは、安全を考えて離れて暮らしている、

という方も多く、

プラスもマイナスもあって、

さらに肉体的な疲れも加わっている状態ですから、

どれほど大変なことかと想像します。

 

 

 

●人に「触れる」効果

 

触れること、とくにリアルの人に触れることの効果は

とても大きいとされています。

 

「手当て」「触れ合い」などという言葉が示す通り、

人は肌で触れ合うことで、

実は大きな癒しや幸せ感というものを得ています

 

実際、触れることで人は「オキシトシン」という

ホルモンが出ることがわかってきています。

「愛情ホルモン」「思いやりホルモン」など、

様々な別名を持つことからもわかるように、

このホルモンが出ることで、

人は幸せ感を持つと言います。

また、そこから、やる気や好奇心も高まり、

記憶力や免疫力も高まったり、

痛みも軽減されることもわかっています。

 

逆に言えば、オキシトシンを出すためには、

ハグをする、マッサージするなどの

スキンシップをとることが何より効果的、

ということですね。

 

配偶者や恋人、家族がいる場合は、

とにかくラブラブでいればいいってことですし

そうした人がいなくても、

スキンシップの効果は、

同性でも、子供や年寄りでも

さらには動物とでも、ある、とのこと。

だから誰かと触れ合えばいいということ。

 

また、どうしてもリアルに人と触れ合えないという場合は、

声を聞くだけでも、ホルモン値は上がるそう。

 

そうやってつながりを持つことが大事

ということなんですね。

 

 

 

●どうやって「スキンシップ」する?

 

ところが、いま、この「スキンシップ」が

取れないことが問題です。

 

じゃあ、どうすればいいの?

って思いますよね。

 

私も思いました

 

自分はスキンシップが不足している、

そのことで、心が渇いているんだな、

ということはわかっている。

 

でも、どうしようもないじゃない?

という中で、

私自身がしているのは、主に二つです。

 

一つは、他の感覚をたくさん使うということ。

 

たとえば、いま、自宅軟禁状態ですが、

ほぼ毎日、ピアノを弾いています

そうしようと意識してしているのではなく、

心と体が求めるので、

結果的にそうなっています。

そうすることで、ピアノの鍵盤にタッチして、

触覚をながら聴覚を使っています。

 

美味しいものを作って食べようとします

手を使って料理して、

触覚を使いつつ味覚を満足させます。

 

散歩をすることで、体を使い、

外の風に触れ、陽を浴び、

木々の匂いを嗅ぎます。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚が刺激されます。

 

あるいは、ヨガをすることで、

外側から自分の体に触れながら、

内側から自分の体の声を聞いています。

 

 

 

そして二つ目が・・・。

「触覚」を満たす対象を手に入れること!

 

昨日、なんと、大きなぬいぐるみ

ポチッとしてしまいました~(苦笑)。

 

もともとぬいぐるみとかには、

ほとんど興味はありませんでした。

ちょうど片付けもしていることだし、

ものは減らしても増やしたくない。

ぬいぐるみなんて、断捨離すべき筆頭、

くらいに思っていたのですが……

 

触覚の不足を意識したら、

なんだか急に、欲しくなりました。

 

でもね。

なんと、昨夜注文したのだけれど、

届くのは6月半ばの予定なんです。

1ヶ月以上!!

普段は翌日配送してもらっているのがほとんどなのに……

 

これはつまり、

同じことを考えている人が

世の中には他にも大勢いる、っていうことなんだな、

と思いました。

 

つまり、人は触れ合わなくては生きていけない

そんなものが、DNAにインプットされているんだと思います。

考えてみたら、種の保存のためにも、

必要なプログラムですよね。

 

 

・・・ってことで、

この時期の1ヶ月は長すぎる! と思いますが、

我慢してウサギのぬいぐるみを待つことにします。

 

 

 

 

 

 


「言わない」ことの責任をとる

2020年03月09日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

なかなか思い切り春を楽しむ、

ウキウキする、という感じにはならない

今日この頃ですね。

 

それでも、自然は着実に春の度合いを増しています。

うちの近くの川も、こんな風に、春の色。

 

 

 

●言わない責任

 

ところで、突然ですが。

 

今日はこんなことを思いました。

 

言ったら言ったなりの結果があり、

言わなかったら言わなかったなりの

結果がある。

どちらの結果も、

引き受ける責任は自分にある。

 

 

私たちは、よく

「こんなこと言うと~~だから」と

言いたいことを飲み込んだり、

躊躇したりします。

 

そして、

言うと波風が立つけど

言わなければ大勢に影響なし、

「自分は何も関係していない」

と思いがち。

 

でも。

本当はそんなことないんだと思います。

 

言うという行為の結果、

生じる、あるいは無くなるものがあるのと

同じように、

言わない、という行為の結果

生じる、あるいは無くなるものがあると

思います。

 

それが、見えやすいか見えにくいかだけの違い

じゃないかな。

 

だから、

言わなければ責任を取らなくてもいい、

というのは間違いで、

きっと

どこかで、

その責任を取らなくてはならないときが

やってくるんだ、と思います。

 

 

「言わない」選択をするときも、

その結果生じることの責任をとる、

という覚悟を、

ちゃんと決めないとな、と思うのです。

 

 

これ、する、しない、でも同じことですね。

 

 

 

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免疫力を上げるために、泣こう

2020年03月02日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

いよいよ3月になりましたね。

とはいえ、世の中は、

さながら”コロナ狂想曲”状態。

 

大事な時期なので仕方がないとは思いますし、

みんなでなんとか食い止めるしかないですから、

踏ん張りどころですね。

 

コロナ対応で大変な思いをしている方々には

本当に「お疲れ様」と言いたいし、

感謝です。

出歩かない、ということが

何よりの協力、という感じの日々ですが、

せめて、デマには踊らされず、

トイレットペーパーの買い占めとかに、

奔走するのはやめたいところですね・・・。

 

 

私は、諸々の仕事の予定が、

コロナ対応でほぼほぼ飛んで、

3月は、思いがけず

スケジュール帳が白くなってきています。

 

それはそれで、困ることもないわけではないけれど、

神様から時間のプレゼントをされたようで、

ライワークではなく、ライワークに

時間を当てられたらいいな、

と思っています。

 

ところで、前回も個人個人が免疫力を上げることが

大事だよね、と言うことを書いたと思いますが、

今日も免疫力を上げるお話を。

 

 

●免疫力と気持ちアップには「笑い」

 

免疫力を上げるには、

睡眠、食事、運動と言われます。

これ、成人病をはじめ、

病気を防ぎ、健康でいるための

3原則みたいなものですよね。

そして、大切なのが、

「笑い」と言われるのも、

よく知られています。

 

確かに、

今、我が家にはアルツハイマーの

87歳の母が泊まっていますが、

昨夜、孫たちに会って一緒に笑っていたら、

母も久しぶりに笑顔を見せてくれました。

そして、今朝は、それまでと様子が違って、

自ら着替えたり、「顔を洗わなきゃ」と

顔を洗ったり、髪も梳かしたり、

ここしばらく見ていなかった行動をしていました。

 

笑いの力って大事

 

 

●「泣く」ことの大切さ

 

ただ、免疫力を上げるには、

「笑う」だけじゃなく

実は「泣く」ことももっと大事、と言われます。

 

つまりは、ネガティブとされる感情こそ

溜めておかずに出すことが大事、

ということです。

 

ネガティブな思いは毒のようなもので、

それをずっと体の中に持っておくと、

いつしか毒が体に回るように、

やがて自分を病気にしてしまう、

私はそう思っています。

 

だから、ネガティブな思いは、

適切な形で出したほうがいい、と思います。

 

 

●感情の出し方

 

適切に外に出すというのは、

たとえば、誰かに対する怒りを

その相手にぶつけるとか、怒鳴るとか、

という意味ではありません。

 

自分がどう感じているのか、

それを言葉にしてみる、ということ。

文字に書いてもいいし、

誰かに聞いてもらってもいい。

 

そうすると、自分の感情を

自分の手のひらに載せるように、

客観的に見ることができ、

だからこそ、ハンドリングできるようになる。

そう思います。

 

 

●感情の入れ物はひとつ

 

そもそも、感情というのは、

喜怒哀楽などと言われますが、

好ましい、ポジティブと言われる

「喜び」「楽しさ」なども

好ましくないとされ、ネガティブと言われる

「怒り」「哀しみ」なども

心の中では一つの入れ物に入っているのです。

 

だから、ポジティブな感情だけ動かして、

ネガティブな感情は動かないようにする、

ということはできないのです。

ネガティブな感情だけに

蓋をしようとしていると、

結局、ポジティブな感情にも蓋をすることになり、

それを続けていると、

「感じる」こと自体のスイッチを切る、

ということになっていき、

無感動、無関心、無気力になっていきます。

 

「何をしたいかわからない」

と言っている人は、

自分のネガティブ感情を抑えようとして、

感情全体のスイッチをオフにする

訓練をしてきたしまった人かもしれません。

 

 

……と話が広がりましたが、

健康のためには、ネガティブ感情も適切に出す、

ということを恐れないでね、

泣きたい時は涙を流そう、

というお話でした。

 

 

皆様くれぐれもご自愛ください。

 

 

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「自信」は内と外から作られる

2020年02月04日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

今日は立春。

暦の上では春となりますね。

 

そして、昨日は節分でした。

皆さんは豆まき、しましたか?

 

「鬼は~外! 福は~内!」

ではありませんが、

自分を見つめるにも、

「内と外」という視点が

とっても大切だな、と思う今日この頃。

 

なので、今日はそんな話を。

 

 

●ポジティブフィードバックの力

 

最近、あちこちの企業様の研修の

サポートに入らせていただくことが

増えています。

 

「ストレングスファインダー®」を使った

チームビルディングやマネジメント

というテーマが多いのですが、

その中で、よくやるのが、

最後に、参加者一人ひとりに対して、

他の参加者から

ポジティブフィードバックをする、

というワークです。

 

受講者が、

自分自身で見て感じた、相手の強みと

「ストレングスファインダー®」を通して

さらにわかったその人の強みを合わせて、

その人の「すごいなあ」「いいなあ」

というところを伝える、

そして、その人がやろうとしていることに対して

その強みを使えばできる、と思うことを

伝えるというものです。

 

私はこの時間がとっても大好きで、

お聞きしながらウルウルしてしまうことが

しょっちゅうです。

 

ポジティブフィードバックを

受けている方の表情が

パアッと明るくなり、

ほおが紅潮してきたり、

目が輝いてきたりするのです。

その瞬間に立ち会えることが

本当に喜びで、

その様子を見ながら

ウルウルしてしまうことが

しょっちゅうです。

 

受講者の中にも、

ポジティブフィードバックを聞きながら

思わず涙する方もけっこういらっしゃいます。

 

 

●フィードバックは間違って使われている

 

これは普段、私たちが

どれだけネガティブフィードバックしか

受け取っていないか、

ということの裏返しでもあるでしょう。

 

だからこそ、

自分に自信がなくなっていく。

やってもやっても、

できて当たり前で、

ダメ、というときだけ

フィードバックされる。

だから

「フィードバック」=「ネガティブフィードバック」

という図式が

多くの人の中で普通になってしまっているのでは

ないかと思います。

 

けれども、本来、

「フィードバック」という言葉は

その人が目標とするものに対して、

今、どれだけずれているか

ということを

客観的にその人に伝えてあげることであって、

いいとか悪いとか、

「評価」の入るものではないはずなのです。

 

 

 

●フィードバックが無いと……

 

話を戻すと、

ポジティブなフィードバックをもらうと

人は前述のように、

とても嬉しい、あったかい気持ちになります。

 

普段されなすぎて「こそばゆい」「落ち着かない」

という方も、もちろんいらっしゃいますが、

それでも、とっても嬉しいことに

違いはありません。

 

そして、

「そうなんだ、自分はやっぱり

ここが強みだったんだ」

と思えるようになります。

 

自分の強みを全く認識していなかった、

ということも、もちろんありますが、

当たり前すぎて意識したことはなかったとしても、

たいていの場合、言われてみれば

それが自分の強みである、ということに

素直に”賛成”というか、”納得”できるようです。

 

それって、自分でも「そうかな?」

とは思っていたということ。

 

ところが、

普段は誰も何も言ってくれない、

何もフィードバックがないので、

いつの間にか、

「自分は得意だと思っているけれど、

他の人に比べたら大したことないし、

結局、自分なんて、たいしたことない」

みたいに、

自分で自分にダメ出しをしていってしまう。

自分で自信をなくしていってしまう

のかもしれません。

 

つまり、

自分という「内」からの視点と

他者という「外」からの視点、

その両方がなければ

本当の「自信」というものも

持ちにくいのではないか、

逆に言えば、

内側と外側の評価が一致した時

自分の中で自信が生まれるのではないか

と思うのです。

 

 

 

●フィードバックが自信をつくる

 

毎回こうしたポジティブフィードバックのワーク

(私たちはこれを「承認のワーク」

と呼んでいます)

をしていて思うのは、

やはり人は、自分で自分を見るだけでなく、

人から見てもらって、

フィードバックをもらうことが

とっても大事だな、ということです。

 

これは、もちろんポジティブフィードバックが

とても大事なんですが、

仮にネガティブなフィードバックであっても、

自分のことを本当に思って、

自分の望むゴールに対してどれだけずれているか、

自分が知りたがっている事実を

伝えてもらえるということならば、

受け取った時に、とってもありがたいはず。

 

なので、

自分の中で「自信」を育て、

前進していくために大切なのは

次のことじゃないかと思います。

 

1)自分がどこに行きたいのか、

  何をゴールにしているのかを、

  自分がわかっている(内側のこと)

2)それに対して、自分なりの考えを持つ(内側のこと)

3)実際にどうか、他者のフィードバックをもらう(外側のこと)

4)他者のフィードバックのポジティブな部分は

  素直に受け取る。

  ネガティブな部分は、必要なものはありがたく

  素直に受け取り、

  不要な部分は、ありがたく捨て、

  それらを参考にして軌道修正して前に進む。

  (内側と外側のこと)

 

 

●フィードバックを取りに行く

 

この中で

3がすごく大事だと思います。

「フィードバックを自分から取りに行く」

というのは、

人の意見を聞いてみる、

人からのフィードバックが飛んでくる環境に

自ら飛び込む、

ということだと思います。

でも人は、フィードバックされることが怖いから

そういう環境を逆に避けようとします。

そして、新しいことに挑戦しない。

自ら意見を言わない。

そして、自分の「内」側だけで

自分に都合のいい「言い訳」を言い続ける。

 

準備ができていないので、

たまたまフィードバックが飛んでくると

受け取れない。

痛い。

だからフィードバックをあえて避ける。

自信が持てない。

 

その繰り返し。

 

この負のスパイラルを断ち切って

「自信」を持つには、

フィードバックを自ら取りに行くこと

 

様々な可能性を考えたとしても、

考えは所詮、考えであり、

行動とは違います。

どんなにシミュレーションしても

本番は、シミュレーションでは想定できなかった要素に

出会うはず。

 

PDCAのサイクルは、

回してなんぼ。

だったら早く回してみる。

Cのところは大事ですよね。

 

以上、自分に対して言って見ました・・・

 

 

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三日坊主の対処法

2020年01月16日 | ●セルフコーチング

 

こんにちは。

前回、目標達成について書きました。

 

今回は、目標達成にはもれなくついてくると言われる(

”三日坊主” への対処法について書いてみようと思います。

 

 

 

●”三日坊主” はふつうです


その前に。

 

世の中には、

「やる」と決めたら、それだけでやっちゃえるという人が

いるにはいます。

(すごくないですか!?)

 

ストレングスファインダー®的には、「規律性®」という資質を

上位に持つ人です。

私たちストレングスコーチの間では「イチロー選手のような人」と言われ、

イチロー選手がそのイメージです。

 

「毎朝5時に起きる」と決めたら、翌朝から毎日5時に必ず起きる。

起きたら散歩に行って、そのあと英語の勉強をする、と決めたとしたら、

本当にそれをやる。

こういう人は、やらないと逆に気持ちが悪いので、必ずやりたいと思うのです。

ルーティン作り、習慣化の天才です。

やると決めたことを着実にやり遂げるので、

ほぼほぼ、間違いなく、目標地点に到達することができます。

 

こういう人は、逆に、突発的なことが起きて

日々のルーティングを崩されることがものすごく嫌い。


ただ、こういう資質を上位に持つ人は、とても少なくて、

日本では4%程度、世界中で見ても7%程度と言われます

(2018年1月のストレングスファインダー®受検者でのデータです)。


つまり、フツーの人は、物事を習慣化するのはなかなか難しい、ということです。




●フツーの人が習慣化するコツ


じゃあ、フツーの、95%くらいの人が物事を習慣化するにはどうするのか、

ということなんですが、

こちらについては、多くの記事などがあるので、

そちらに譲りたいと思いますが……


ざっくり言うと、

すでに習慣化されていることとセットで行う

ということのようです。


たとえば、毎日行う、歯磨きや寝ることとセットにして、

朝起きたらまず行う、

歯磨きをする時に一緒に行う、

などのやり方をするのがいいそうです。

すでに習慣化されているものにくっつけることで

新しい習慣を加えていくのが効率的だということですね。

 

 

 

●三日坊主の対処法

 

とはいえ。

フツーの人がフツーにやっていると

やっぱり三日坊主になることがフツーだと思います。


(三日坊主になる理由を心理学的に知りたい、

脳科学的に知りたい、というかたは

そういう記事を読んでください

 

ではそんな三日坊主になってしまったらどうするのか。

 私なりのやり方をご紹介します。

 

いろいろ三日坊主を続けてきて(ん

私がやっている対処法は、というと……

 

ズバリ!

三日坊主を繰り返す!

です。

 

なんじゃそれ!? と思われた方、

期待はずれでスンマセン💦

 

ここまで話を引っ張って、

結局それかい って思われるかもしれませんが、

今のところ、私が思うベストな対処法は、それですね。


そんなことするんだったら、

そもそも三日坊主にならないことを、

科学的に考えて、仕組み化するのが正解でしょ!?

って言われそうですが(いや、その通りだと思います、はい)

ここでは、正解と言うより、一つの方法をご紹介するだけなので、

そのつもりで見てくださいませ。


でね、

「あ〜あ、また三日坊主になったよ💧」

と思ってやめてしまうのではなく、

4日目に忘れても、5日目にできなくても……

6日目からまた始めればいいんじゃないかと。

そしてまた3日坊主になったとしても

それを繰り返せば、

結局、10日間で6日もできてる!

1ヶ月なら18日くらいはできちゃってる!

ってことになるわけです。


3日で諦めて、あとがゼロになるより、

ぜ〜んぜん、いいんじゃないでしょうか?


三日坊主を続ける。

あるいは

やめないことを続ける。


これって、目標に対する効率という点から見ると

全然効率的じゃないと思いますが、

そこまで、効率を重視して何が何でも、

と言うのでなければ、案外いいと思います。


何がいいのかといえば、

たぶん、

All or Nothing という二者択一は、やめる。

ということができるから、

じゃないかと思います。


Be, or not to be……

二者択一は、脅迫です。

 

3つ目の選択肢を持つことって大事。

ドアだって、押してもダメなら引いてみるんだけど、

横にガラガラって開けるのもあるじゃないですかっ!

(ちょっと話がずれてますね


ともかく。

できない自分を切り捨てるでもなく、

できない自分も本当の自分として受け入れて

そしてできる自分もちゃんと褒めてあげる。

理想だけを見るのでもなく、

現実をありのままに見て、

淡々と進んで行けばいいんじゃないでしょうか。



もし、三日坊主多発中ならば、

そこで止まらず、ぜひ、三日坊主を何度もやってみませんか?



追記

あ、これで私がどんなことをこれまでの達成したかというと

代表的なものでは、

フルマラソン完走

でしょうか。


あとは、18歳の時から、毎朝、ヨガなどをはじめとした

体操時間を持っています。

(もう40年程になるんですね! 改めてびっくり

  ↑

 歳がわかりますが・・・

 






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「あなたは今のままで素晴らしい」の意味

2017年06月04日 | ●セルフコーチング

 

こんにちは。

 

最近、コーチングネタを書いていますが、

私は、幾つものコーチング、その他の「勉強会」に参加しています。

ストレングスで言うところの「学習欲」が高いので、

学ぶこと自体が自分の栄養になるんですね。

知ること、わかることが、ただ楽しいのです。

 

今朝も6時から、電話会議システムを使った、

とある勉強会に参加していました。

そこで、また一つ、気づいたことがあるので、

シェアさせていただければと思います。

 

 

 

「あなたは今のままで素晴らしい」を受け取れない

 

「あなたは今のままで素晴らしい」

このフレーズ、時々聞くと思います。

コーチングでも、これは一つの「前提」です。

 

私も、そう思うところから全てが始まる、

そう思っています。

みんなが、自分のことをそう思えたら、

きっとそれだけで、社会がもっとハッピーになる、

そう信じています。

私がコーチングに意義を見出している一つの点もそこです。

 

とはいえ。

誰もがただやみくもに、その言葉を呪文のように唱え、

そう思おうとしても、

「ウソくさいなあ」と思うこともあると思います。

(正直、私自身も、自分をそう思えない時、

いっぱいあります。苦笑)

 

それには二つの理由があるのではないかと思います。

 

 

●ダメ出しにだけ晒されている● 

 

一つ目は、

日頃、ダメ出しに晒され続けている、ということです。

 

会社でも、

「フィードバック」と言えば、

ダメ出しされることとイコールになっていますし、

「評価面接」もしかり。

家庭でも、

「お母さん、このお料理おいしい。いつも作ってくれてありがとう」

「お父さん、家族のために◯◯してくれてありがとう」

なんて、家族はめったに言わないでしょう。

その代わり、

「これは美味しくない!」とか「◯◯してくれない!」は

簡単に飛び交っているかも。

 

つまり、多くの場合

できているところについてはあえて伝えられることはなく、

できていないときにばかり、それを指摘される、

ということです。

 

聞こえてくるのは「ダメ」ということばかり。

 

もちろん、それをいう人は、

相手に良かれ、と思い、

相手がもっと良くなってくれたら、と思っていることが多く、

決して悪気ではありません。

 

でも。

それに浸りきってずっといると、

冷静に見てもちゃんと頑張っているのに、

自分はまだまだ頑張らないとダメなんだ、という感情(妄想)だけが

膨らんでいきます。

 

一種の洗脳ですね。笑

客観性と冷静さを失います。


そうなると「自己肯定感」がどんどん低くなります。


そして、もっと頑張らなきゃ、という底なし沼にはまっていくのかな、

と思います。

 

 

 

●自分には当たり前すぎる●



二つ目は 

みな、自分が「あたりまえ」過ぎてしまうからじゃないかと思うのです。

 

だから、せっかく

「〜さんは、◯◯できて、すごいですよね〜」

とか言われても、

「え? べつに 普通だよ」

と思ったり、

「お世辞言ってる

と思ったりするわけです。

 

自分が自分を「それってできてあたり前」と思っているから、

他人が褒めてくれたりしても、

自分の自分自身への評価を上げよう、

とは、そう簡単にいかないのです。

 

また、先の、ダメ出しに慣れ過ぎていて、

その逆には慣れていないということもあるでしょう。

 

 

結局、

他人からダメ出しされた上に、

自分自身でもプラス部分を認めない。

自分に許すのは、自分の出来ないところを認めることだけ、

ということになってしまいます。 

 

 

  

●「できていないところ」ではなく、「できているところ」を伝え合おう●

 

だとすると。

 

今と逆をやってみればいいのではないかと思います。

つまり、

他人にはダメ出しでなく、マル出しをし、

自分では、自分の強みを認める、

ということです。

 

ちょっと視点を変えて、

できていないことではなく、できていることにフォーカスする。

できていることを伝える。

伝えられたら、それを素直に認める

自分の強みを認める

 

別に、「褒め」なくってもいいのです。

ただ、事実として「〜〜ができているね」と伝える。

そして、言われた方も、「できているんだ」とそれを自分で認める。

 

おごり高ぶれ、尊大になれ、

と言っているのではありません。

ただ、できているところには蓋をして、

できていないところだけを見ようとする、

不公正で偏った

無駄な自己卑下をやめて、

事実のままに伝えよう、自分を見よう、

というお話です。




●「今のまま」とは公正に見るということ●

 

つまり、

「あなたは今のままで (そのままで)、素晴らしい」

という時の、

「今のまま」「そのまま」というのは、

できているところも、できていないところも、

いい(と思う)ところも、悪い(と思う)ところも、

どちらも両方あわせて、

ということになります。

 

そして、

「できているところ」もちゃんと見れば、

今までの人生、

どれだけ多くのことをやってきたことでしょう!

いま、生きてここにいるということは、

死にたいくらい苦しいことも、乗り越えてきた、ということ。

十分に頑張ってきた、ということ。

 

また、これまでの自分の人生に関わってきてくれた人

すべてがあって、今の自分がいる、

ということ。

 

そう考えれば、「いま、ここにいる自分」には

いろんなものがいっぱい詰まっていて、

やっぱり、すごいこと、と言えるのではないでしょうか。。。

 

 

  ↑ 家の近所に咲いている木香薔薇です。

 

 

 

●「ありのまま」はコーチングの基本● 

 

コーチングでは、

・事実と思い(込み)

・全体と部分(デソシエイト&アソシエイト、引きと寄り)

・過去、現在、未来、

など、

視点を自在に変えながら見ていくことが重要になりますが、

この、「できているところとできていないところ」

を区別し、整理することも、

大切なことになります。

 

まず、すでにできていることは何か

それって、コーチもつい、忘れがちになりますが、

今朝の勉強会では、それ、重要ということを

改めて確認しました。

 

そして、できていないと思っていることのうち、

できるようになりたいことは何と何と何で、

捨ててもいいと思っていることは何か。

できるようになりたいと思っていることのうち、

どれから取り組みたいのか。

 

 

コーチはさまざまなフィードバックや質問を通して、

それをクライアントさんができるようサポートしていきますが、

こうした視点を多くの人が持てると、

世の中、もっと楽しくなるかな、と思います。

 

 

自戒と備忘録をかねて、メモメモメモ でした。

今日も長々お付き合い、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


VRデバイスが教えてくれるもの

2017年05月20日 | ●セルフコーチング

 

●同じものが違ってくる●

 

先日、VR(virtual reality)について、話題にすることがありました。

そして、VRデバイスである「メガネ」(ゴーグル?)をかけたことのある人から、

その時の話を聞きました。

 

そのメガネは、かけると本当はないものが見えて、

その仮想の世界に自分がいるように感じられるというもの。

たとえば、本当はフラットな床の上に立っていても、

そのメガネによって高い屋根の上にいるように見える、というわけです。

すると、そのメガネをかけた人は、

思わず怖くなって足元がふらつき、背をかがめたりした、

ということを 話してくれました。

 

脳科学的な話では、「脳は現実と非現実を区別できない」

と言いますが、

こうした話を聞くと、なるほどそうなんだな、と改めて思いました。

 

 

●「世界」とは●

 

つまり、その人が立っている場所が本当は平らで安全な場所であっても、

脳が「高くて不安定」と認識すると、

体も感情も、そのように感じて、振る舞ってしまう、ということです。

 

たとえば、どんなに外が明るくて青空が広がっていても、

窓もドアも締め切った暗い部屋で、今は夜なんだと思い込まされていたとすれば、

その人にとって、今は「夜」になるわけです。

 

 

こうした事実は

その人にとっての世界は、その人がかけているメガネを通して認識したもの

だということを、証明しているものだと言えるのではないでしょうか?

 

 

 


立春の小さな決意

2015年02月04日 | ●セルフコーチング

 

今日は立春。

そして満月でもありました。

 

立春らしく、東京は比較的暖かな日でしたね。

 

太陽と地球の関係をはじめとする自然は
本当に精巧で芸術的で、
人間がどんなに慌ただしくしていても、
悲しみで日常が滞っていても、
喜びで舞い上がっていても、
淡々と、その営みを止めることがありません。

日は確実に長くなってきていますし、
植物の芽は確実にふくらんできています。

そして、あたりに存在する「気」は、
やはり、節分、立春、あるいは春分、秋分、
そうしたものを境に、変わっているようにも感じます。

 

それは、もしかすると、自然のみならず、
人々が、「ああ、春だな」と思う、
その思いが集まるから、変わるのかもしれません。

 

どちらが先なのかわかりませんが・・・
少なくともこちらの気持ちが変わると、
それが何かに影響する、ということはありそうだと思います。

 

自分の意識に従って、環境が変わり、現実が変わる。

それ、信じているつもりだったのですが、
どっかで信じきっていない自分がいたと、
最近、反省しています。

というか、自分から、その意識を強く持って
現実を引き寄せよう、としてなかった、
自分のハンドルを、ちゃんと自分で握ってなかったな、と。

 

今日から始まる新しい年・・・
ハンドルを、握り直そう、
なんとなく、そんなふうに決意しました。

 

 

これを読んでくださっているみなさんは、
新しい年、
ご自分という乗り物で、どんなドライブを楽しみますか?

 


 

 

 

 

 


すぐ動く人と動かない人の違い (3)

2015年02月01日 | ●セルフコーチング

 

すぐ動く・動かない、ということについて書いてきましたが、
これ、結局は、「やりたい」と感じているかどうか、
という問題になるのでは?
という話についてです。

 

何かを「やりたい」という気持ちは、一つの感情であり、
感覚だと思います。

これは、いくら頭で思考しても、わかるものではありません。
なぜなら、それらは「感じる」ものであるからです。

 

今回のテーマは
「すぐ動く人と動かない人の違い」ということですが、
すぐ動く人、というのは、この「感覚」を持っている
という人なんじゃないかと思うのです。 

そして、すぐ動く時というのは、
自分の中でこの感覚にアクセスできる時、
ということが言えるのではないかな、と思います。 

 

たとえば、毎日のようにジョギングをしている人は、
走ろうと思ったら、パッと走りに行きます。

走ったらどんなふうになるか、
体はどう感じるか、気持ちはどう感じるか、
その感覚を持っているので、
ジョギングをして得られるその「感覚」を
すぐに想起できるのだと思います。

同時に、走らないとどんなふうに不快か、という感覚も想起できます。

だから、走って得られる「快感」を求め、
「不快感」を味わわないために、行動する。 

 

私も、毎朝、起きるとヨガ(のまねごとですが)をしています。
もう、かれこれ35年間、ほぼ毎日続けています。
それをしないと、体がすっきりしないからです。
やるな、と言われる方が辛いです。

 

 

ところが、その行動をしない人は、して得られる「快感」を
知らないのだと思います。
それを知らないゆえに、現状、抱いている感覚が
「不快感」であるということも、
わからないのかもしれません。

 

 

なので。
「やる気が起きない」という人は、
やる気が起きるのを待っていてもらちが開かないと
思った方がいいと思うのです。

いくら待っていても、考えていても、
「感覚」は味わえません。

 

感覚は、あくまで体が感じるものだからです。

 

なので、動く。

動いたらどんな感覚を感じるのかを、感じてみる。
そして、何度もその感覚を感じ、
その感覚の変化を感じているうちに、
何が「快」で、何が「不快」なのかが、
自分でわかってくるようになるのだと思います。 

 

一つのことでその感覚がつかめれば、
他のことも同様だということに気づきます。


一つの外国語を習得したことがある人は、
二つ目の外国語を習得することが、
一つ目のときより、きっと楽に感じるでしょう。

何かをマスターしていくプロセスを知っているので、
感覚的に予想ができるからです。

 

部屋をすっきり片付けたことがある人は、
その気持ち良さを知っています。
だから部屋が汚れてくると、
「いやだなあ」と感じるようになります。

「不快感」は「快感」を知ると、
より、はっきりわかるようになります。 

 

 勉強ができる人、というのも、
勉強が面白いという感覚、
あるいは、勉強して良い点数を取って得られる感覚、
そういうものを知っています。

なので、知らないことを放っておくのが不快だったり、
点数が悪りと、悔しくて不快に感じたりします。

 

すぐに動ける人は、そうした「快・不快」の「感覚」の蓄積が
多い人だと思います。 


もちろん、分野によって濃い薄い、得意不得意はあるでしょう。
運動に出かけるなら、すぐに動けるけれど、
文章を書くという課題はずっと後回し・・・とか。

薄いを濃いに、不快を快に変えるには、
感覚の蓄積が必要だと思います。

なので、すぐ動くことができない人は、
いろいろな分野について、それぞれに動く練習をして、
「感覚」の蓄積をはかればいいのではないかと思います。

 

「そんな必要ない」
「そこまでしてやりたくない」
そんなふうに感じることは、
おっしゃる通り、あなたにとってする必要がないことなのでしょう。

誰か得意な人にやってもらうとか、
やろうという気持ちを捨てるとかして、
「やらなくちゃ」と思うストレスを
別の視点で見直してみる必要があるかもしれません。

 

ただ、本当にやりたくないのか、
やってみたら面白いと感じるのかは、
これまた、やってみないとわかりません。

 

面白いはず、と思っていたことが、
やってみると意外とつまらなかった、とか、
またその逆も大いにあるからです。

 

 食わず嫌いはしないで、とにかく食べてみる。

どんな食材や食事スタイルが自分に合うかは、
考えていても決まりません。
食べてみて、やってみて、だんだん決まるものでしょう。

行動パターンもしかり。

そして、人生の選択もまた、しかり、なのではないでしょうか?

 

すぐ動く人は、失敗も多いかもしれませんが、
リカバリするのも早いでしょう。
蓄積する経験も感覚も多くなるはず。

 

人生、たくさんの感覚を知ることが、
とても大切かもしれません。

そのために、人は「体」というものをまとって、
この世に生まれてきていると言えるのではないでしょうか?

 

 


 

 

 

 


すぐ動く人と動かない人の違い (2)

2015年01月31日 | ●セルフコーチング

 

 

前回は、「すぐ動く時」の条件を考えました。

すぐ動く時がどんな時かというと、
1.「動ける」時
なわけで、 その条件には

A.やることが見えている(精神的な条件)
B.それが物理的に可能である(物理的な条件)

があると書きました。

 

でも、それが整っていても、すぐに動くかといえば、
そうならない時もある、ってことで
今回は「すぐ動くための条件」の、そのほかのものを
考えてみたいと思います。

 

前回が「動く」ための条件であったとしたら、
今回は「すぐ」のための条件を考えることになるでしょう。

 

では「すぐ」動くときはどんな時なのか?

 

それは、やはり、

2)緊急性が高い時

ってことじゃないかと思います。

締め切りが迫っている。
人が待っている。
それをある時までにやらないと、何か重大な影響が出る。

そんな場合です。

 

そんな時は、やりたいとかやりたくないとか言ってないで、
やることになります。

 

1(動ける状態にある)と
2(緊急性が高い)の条件がそろっていれば、
動かない方がエネルギーが要ります。

 

 

なので、すぐに動かない、あるいは動けない場合は、
1と2のどちらかの条件が整い切っていないので、
その部分をどうにか補うように考えればいいのだと思います。

たとえば、次のような具合です。

やることが見えない/何をしたらいいのかわからない
→ わかる人に聞く、調べる、 など

物理的に難しい
→ 時間やお金を作る など

 

 時間を作るためには、人に頼む、通販を利用する、というような手段も考えます。

 お金を作り出すについては、稼ぐ、借りる、などがあるでしょう。
 そのとき、費用対効果を考えることも必要でしょう。
 お金がないので、全部自分でやろうとすることが、
 かえって時間という、お金に代え難いものを失わせることになる、
 ということもあり得ます。
 危険な賭けはよくないですが、後から回収できる見込みがあるのなら、
 先行投資と考えて、プロの力をお金で使う、
 というのもありかもしれません。 

 

緊急性がない
→ これについては、「じゃあ、そのままにしたら?」というのも
  一つの答えとして大いにあると思っています。

 結局、そこまで緊急じゃない。
 もっと緊急になってからなるやるのであれば、
 そしてそれで間に合うのであれば、
 そのときで十分ということもあります。 

 この場合、大事な視点としては、それが、緊急かということだけでなく
 「重要か」ということです。

 たとえば、禁煙。
 それは緊急な課題ではないかもしれません。
 けれど、吸い続けることでガンのリスクが明らかに高まっているとしたら、
 それは緊急といえるくらい重要なことだと言えます。 


 あとは、どれくらい重要か、を考えられる頭を持つ、
 想像力を持つ、ということになるかと思います。

 

 

それでも。
たまに、
緊急で重要なこともわかっている、
何をしたらいいかわかっている、
物理的にも動ける、
はずなのに、それでも動かない
ということがあります。 

 

そんなときって・・・・・・
結局は、「やりたくない」のですね。

 

だから、最終的には「やりたいと思うかどうか」
だと思います。

 

つまり、「すぐ」動く時は、どんな時か、
に対する、もう一つの答えは、 

3)やりたいと感じる時

ということではないかな。

 

やりたいと思えば、人は、物理的条件はなんとかします。
時間を作る、手段を考える、いろいろやります。

緊急性が高くなくても、やろうとします。

 

・・・ということで、
結局のところ、問題は、
「やりたい」という気持ちが強く感じられない場合、 どうするか、
っていうことになるのではないか、と思います。

 

 

この続きは次回・・・。 

 

ちなみに、「緊急」✖️「重要」のマトリックスは有名ですが、
検索すると、こんなにあります。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


すぐ動く人と動かない人の違い (1)

2015年01月30日 | ●セルフコーチング

 

人には、すぐに動く人と、動かない人がいると思います。

 

それぞれの人の頭の中って、どうなっているんだろうなあ、
とふと思いました。

 

私自身は・・・と考えると、場合によってどちらもあります。
なので、これは、すぐに動く場合と動かない場合の
違いを考えることでもあるかもしれません。


 

ここで、書きながら考えてみたいと思います。

 

 

まず、動く時は、どんな時かと考えると・・・

1)動ける時

だと思います。

動けるというのは一つの状態だと思いますが、
その状態がどんな時かというと、
おそらく、次の二つの条件が整っている時だと思います。 


A.やることが見えている(精神的な条件)
B.それが物理的に可能である(物理的な条件)

 

ハンバーグを作ろうとしても、
作り方がわからなければ、作れません。
あるいは作り方がわかっていても、
材料がなければ作れません。

両方がそろう必要があります。 

 

 

たとえば、郵便物をポストや郵便局に出しに行く、
ということで考えてみましょう。


何をすればいいかは明らかです。
出すことになっている郵便物を持って、
ポストや郵便局に行き、投函する、または郵便局の人にわたす。 

そこに考える余地は、ふつう、ありません。 

あとは、その時にそれをする時間があるかどうか、
なかったとしたら、どこかでその時間を作って行動する、
それだけです。 

 

 

でも・・・
同じことでも、私の場合、すぐに行動しないことがあります。

動こうと思えば動けるのに、そのときは結果として動かない、
ということが起きるのです。

そんなときは、頭の中で何が起きているかというと・・・
郵便の例で言えば、たとえば、こんな感じです。

 

その1

この郵便、出しに行かなきゃ。
あー、でも今、雨が降ってるし、寒いし、面倒だなあ・・・
あとにしよっ。

 

要するに、面倒臭いんです

 

 

その2 

この郵便、出しに行かなきゃ。
あー、でも、せっかく行くんだったら、
その用事だけのために出るのはもったいないよなあ。
お化粧もしなくちゃならないし、
そもそも、家を出るまでにひと仕事。
どうせ、ひと仕事するんだったら、他のことも済ませたい。
郵便局まで行くんだったら、そのそばのスーパーに行って、
牛乳パックとトレイを出して来たいなあ。
で、ついでに夕飯の材料も買って来た方がいいしなあ。
ってことは、牛乳パック、切って開かないと。
ああ、でもいま、そういう時間はないよな。
・・・・ 

郵便は急ぐものじゃないし、あとで、まとめてやろっと。

 

要するに、いろいろ考えすぎるんです

 

 

 

こうした自分の行動(してませんが)を考えると、
「すぐに動く」ためには
「動ける」「状態」であるだけではだめで、
さらに、要素が必要だということになります。

それは何か?

 

 

それは、 おそらくいちばん大切な要素だと思います。


それについては、また次回・・・。 

 

 


五臓疲れ果てれば、精神また困惑す

2015年01月29日 | ●セルフコーチング

 

 

このところ、ちょっと仕事がタイトでして、
年甲斐もなく睡眠時間3時間・・・
なんていうことが続いています。

 

今朝は、仕事に向かう電車で、座ることができたのですが、
もちろん、即、眠り込んだわけです。
で、ふっと気づいた駅で、
自分は今、家に帰ろうとしているのか、
それとも仕事に向かおうとしているのか、
今は夕方なのか、朝なのか、
一瞬、わからなくなりました

 

昔、小学校の教科書に太宰の『走れメロス』が載っていましたが、
その中に、たしか

「五臓疲れ果てれば、精神また困惑す」

というフレーズがありました。
それが、なんだかやたらにインパクトがあって、
以来、ことあるごとに、そのフレーズを思い出してきました。

 

まあ、「健全な精神は、健全な肉体に宿る」ということの
裏返しですね・・・

 

で、今は、まさにそんな状態ともいえるわけでして・・・

 

毎度のことながら、これらの格言は、本当にそうだな、
と思います。

 

 

ただ、そんな状態、嫌いではないです。
精神的に追い詰められてなければ。 


体が疲れ果てると、頭も動かなくなってくる。
そうすると、余計なことも考えなくなってくるからです。

心配とか、反省とか、後悔とか、
そんなものが、したくてもできなくなって
「あ〜、もう、どうでもいいや」
ってなるわけです。

 

感覚しかないんですね。

それって、気持ちがいいものです。

 

だから、思い切り運動したあとって、
さわやかなんですね。

 

 

ってことで、今日は寝ます。。。

 

 

 

追記:


「五臓疲れ果てれば、精神また困惑す」
「健全な精神は、健全な肉体に宿る」
というのは、
健全で建設的で生産的で前向きな思考と感情を持つには、
体も良いコンディションであることが必要、ということです。


余計な「思考」を止めるには、体が疲れていればよい
というわけではありません。


頭だけを使って思考だけが暴走するのを許すのではなく、
体もしっかり使えば、
思考が暴走するのを防げるよ、ってことですねヽ('∀'*)ノ

 

 

 


スピリチュアリティへのドア

2015年01月28日 | ●セルフコーチング

 

 

今日はある方から、
その方が、いかにしてスピリチュアリティに気づくようになったか、
という話をお聞きすることがありました。

 

仮にAさんとしましょう。

Aさんは、とても優秀な方でした。
ですから、こうしたい、と思うことは、
たいてい、実現してきました。
国家的なレベルというほど難しいことまで、です。


ところが人生のある大きな目標だけは
何度かトライしたのですが、
その時にはどうしても達成することができなかったのです。

 

それまで、自分で決めたように人生を生きることで
「自己実現」をしていると考えていたAさんは、
次々と、高い目標を達成することで、
考えた通りの自分になってきていました。

 

ところが、そこではじめて、
自分で決めた目標を達成することができなかったのです。
それはAさんにとって、
それ以上の自己実現ができないことを意味しました。

 

そのため、自分が達成したい目標が
どうやっても達成できないのであれば、
もう、生きている意味がない、と考えるようになり、
Aさんは生きる意欲すら失ってしまったと言います。


そして、その後、Aさんはまるで廃人のようになり、
ほとんどアルコール中毒になり、 
うつ病にまでなったのだということでした。

 

それまで、Aさんは、
「知性」で「感情」も「身体」も、
すべてコントロールできると考えていました。

ところが、いくら知性で頑張ってみても、
どうしようもない物事にぶち当たり、
人間は「知性」だけではどうにもならない、
感情や身体など、他の要素も含んだもっと全体的な存在であると、
知ることになったのでした。

 

 

そんな廃人同然となったAさんを救ったのは、
ある方の言葉だったそうです。 

 

それは、
「あなたは、あなたを支えてきた人たちに対して、責任がある」
という意味の言葉だったそうです。

 


Aさんは、
「自分を支えてくれた人に対して責任がある」という言葉から、
自分は初めて、「生かされていた」と感じると同時に、
他人は騙せても、どうしても騙せない最後の人の存在に
思い至りました。

 

世の中のすべての人を騙せても、騙せないたった一人の人・・・

それは、自分自身の中に宿る本当の自分、
いわば「真我」と言われる自身の本質のようなものだと感じたと言います。

 

そこに気づいたとき、
知性でも感情でも、体でもない何かが
自身の本質に宿っていて
それによって人は生かされている、
そんなふうに、自然と考えるようになったのだと
Aさんは振り返って言いました。

 

知性でも、感情でも、体でもない、何か・・・
そして、それにより生かされている何か・・・

それは、 おそらく、体が消滅しても、
知性で考えなくても、
感情がどうであろうと、
なくなることなく存在するものなのかもしれません。

 

Aさんは、それを「魂」とか"Spirituality"と呼ぶのだと
思うようになったということでした。

そう思うようになった背景には、
Aさんがスピリチュアリティについてや、
その他、知性だけの領域に止まらないものについての本を読んだり、
体を使って行動したりするようになったことも大きく影響しています。 

 

そして、Aさんは、それに気づくとともに、
それはどんなに騙そうとしても騙せないものとして、
向き合うことを決めたのでした。

 

 

 

この話を聞いて、私は幾つかのことを思いました。

 

まず一つは、
Aさんが、本当に限界の限界まで
頑張ってこられたのだな、ということでした。

だからこそ、知性ではコントロールできないものの存在を
文字通り、身を以て体得することができたのだと思います。

中途半端なことでは、
Aさんが優秀すぎるゆえに、
そこまでの限界を見ることがなかったと思います。

 

そして、そこまで全てをかけた上での挫折の体験を持つAさんには、
とても大きなミッションがあるのだと感じました。

人生で起きる物事には、必ず意味があると思うからです。

 

 

また、 Aさんの頑張りがうつ病という結果にまでなった理由の一つには、
Aさんが、自分の力のコントロールが及ばないことに対して
頑張った、ということがあると思います。

そこに他人が絡むことについては、
どんなに自分が頑張っても、
結果をコントロールすることはできません。

 

ある一定の点数をとれば合格、というようなものであれば、
自分だけの頑張りで結果を得ることが可能です。
ところが、自分がどんなにすごい点を取ったとしても、
他者が1点でもそれを上回れば自分が負ける、というような
勝負や競争のような物事は、
自分だけではどうにもなりません。 

他人の評価で決まるようなものもそうです。

コントロールできるのはあくまで自分だけ。
他人は変えられないのです。

 

そうした物事を目標にしてしまうと、
それはもう、安寧とは無縁になります。

Aさんは、変えられないことを変えるということを
目標にしていたと考えられます。 

果てしない、膨大な闘いだったことと思います。

しかも、それはAさん自身の利益のためではなく、
公共の利益のためだったのです・・・。 

本当にお疲れ様だったなあと、そう感じます。

 

 

そして、そんなに傷ついたAさんが、
また元気になって帰ってきてくれて嬉しいな、と思います。


それは、前述したように、
これほどの壮絶な体験をしたAさんには、
それを体験せざるを得ない、
神様のシナリオが準備されているのだと思うからです。

まさにAさんの言う「真我」を開花させて、
本来のミッションを果たしていく、
その仕事が、Aさんには待っているのだと思うのです。



 

魂、あるいはスピリチュアリティというものは、
あると思って見ないと
見えるものではないと思います。

 

これは、スピリチュアリティに限ったことではありません。

人は見たいように見て、聞きたいように聞いています。
事実とは、結局、その人にとって現象にすぎません。

 

であれば、いかにして、見ようとするか、聞こうとするか。

そのきっかけこそが大事であり、
それはたいがい、楽しいことではないのだと思います。

 

 

そして、スピリチュアリティの視点から物事を見る、
(それは、たいてい、それまでと真逆から見ることになりますが) 
ということが起きた時、
たぶん、人生の意味がわかったようになり、
自分のこの生でのミッションが見えてくるのかもしれません。 

 

Aさんのこれからの物語がとても楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸せを伝える大切さ

2015年01月27日 | ●セルフコーチング

 

昨夜・・・というか、今朝、
たぶん、目覚ましを止めてから、
夢を見ました。

 

亡くなった父の夢。

父が亡くなってから、おそらく、初めてではないと思います。
ただ、似たようなヴィジョンを、
昼間にも脳裏に浮かべていることが多いので、
それが夢で見たものか、
それとも白昼夢的に、脳裏に浮かべていたものか 
自分でもよくわかりません。

 

今日の夢の中で、父は、たしか
なぜか裸で、白くて痩せた背中を丸めて
寂しそうにしていたように、ぼんやりと記憶しています。

(夢って、時間がたつと、忘れていきますね・・・)

 

そのヴィジョンを見ながら、布団の中で丸まって
私は涙を流しました。

 

 

子どもの頃から、父のことが大嫌いでした。

耳が不自由なこともあり、
合わせて他の持病もあったりして、
自分の意思をうまく伝えられず、 
すぐにカッとなる人でしたから、
私は理不尽に怒られたり、殴られたりしたものです。

狭い狭い、思い込みの世界に生きていて、
そして、自分を不幸だと思っていたのだと思います。

彼のせいで、彼の性格のせいで、
家族は不幸だと、私は感じていました。

 

ただ・・・
思春期を過ぎて
私自身の気持ちは変わりました。

 

好きとか嫌いとか、
超えてしまった感じでした。

 

父としてみると、いやだった。
でも、一人の人としてみると、
決して悪い人ではなかった。
それどころか、本当に頑張っている
いとおしむべき人でした。

彼の生い立ち、彼の障害、
そういうことを考えると
「しかたがないこと」
そう思えたのです。 

 

だから、幸せにしてあげたかったなあって。。。

 

別に、子どもの私の責任でも義務でもないんですけれど。

それに、そう思って、
私は私なりに頑張ったよなって思います。
できることはしてきました。

亡くなる前も、
もう、病院から家には戻れないな、と思ってからも、
それなりに。


だから、葬儀でも、とくに涙も出ませんでした。

 

母もそうでしたが、「やるだけやった」ので。

 

 

 

でも。

その後、1年。
折に触れ、父を思い出し、
その度に涙が出てきます。

 

その涙の理由は何だろう、と思うと、
「幸せにしてあげたかった」
ということなんだと思うのです。

 

父は、決して不幸せではなかったと思います。
それどころか、幸せな老後だったと言っていいと思います。

 

「しあわせは、いつも自分のこころが決める」

相田みつをさんの言葉ではありませんが、
父の心の持ち方の問題です。
私にはどうすることもできません。 

 

それでも。

父が、幸せだ、って感じていることを
私も感じ、信じられたら、
自分も幸せだな、と、
そう思っている自分に、
今さらながら、気がつきます。

 

亡くなった人のことをいつまでも思っていたり、
悲しんだりすることは、
よくないことだと知っています。

だから、こだわるつもりはありません。



ただ、自分が親に対してそう思う気持ちは、
きっと、子どもが自分に対して思う気持ちも一緒なのだろう、
と、そう思います。

であれば、自分は、子どもたちに、
自分が幸せであることを
たくさんたくさん、伝えていきたい、
そう思います。

 

 

そういえば、ちょうど、父が亡くなって1年目の夜です。

 

 

 

 

 

 

 


良い気を吸う

2015年01月26日 | ●セルフコーチング

 

 

 季節は大寒。

一年でも特に寒い時期ですが、

日差しに春が感じられますね。



空気の中にこもっている、

春の予感やしるし。

そんなものを感じるとるのって、

ワクワクします。

 

 

 

空気の中にもいろいろあって、

それを選択的に取り入れる。

無意識にやっていますが、

それで、健康も得られる気がします。

 

「良い気を吸う」

そう意識してみると、できるように思います。

 

よろしければ、試してみてください。