ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

人にものを伝えるときの大前提

2014年09月27日 | ●言葉と文章

 

 

今日は、「説明力」というテーマについて
勉強会に行ってきました。

仕事柄、説明することは不得意ではありません。
むしろ、好きかも。
でも、書いて説明する場合と、話して説明する場合とでは、
やはり違うと感じていて、
とくに話す場合の効果的な説明のポイントが知りたいと思い、
参加しました。 

いくつもの学びがありましたが、
私にとって今日いちばんの収穫は、 
説明するための準備段階の大前提を確認したことでした。


それは
誰かに何かを説明するときに、まず考えなくてはならないのは、
「誰」に「何」を説明するかの2点を、明確にしておくということ。

これ、なんだかトートロジー(同義語の反復)みたいですが、
そうではありません。

「誰」というのは、その人のその時の「状態や気持ち」も含めての誰であり、
「何」というのは、言おうとする「最後の一文」までを含めての何、
ということなのです。


たとえば、
報告を楽しみに首を長くして待っていた相手が、
それを聞くために体も気持ちも空けて
待っていてくれたときに話すのと、
そのことにそもそも興味もない相手が、
今まさに出かけようとして急いでいるときに話すのとでは、
同じ内容でも伝え方は当然異なってきます。

逆に言えば、しっかり聴いてほしいのであれば、
それなりの外的条件が整っているときを選んで、話さなくてはならない、
ということですね。 


「何」についても、
大体こんなこと、というのではなく、
ひと言で言うならこれ、というくらいまでに
ピンポイントで握っておくことが大事、
ということです。

自分が明確にわかっていないことが
人に伝わるわけがありません。


当然と言えば、当然のことです。
でも、なんとなくそれはわかっていたつもりでも、
本当に、それを実践していたか、といえば、
そうではなかったな、と思いました。


それを実践するためには、
相手に話しかける前に、 
相手の状況をよく見極めるとか、
「で、結局、自分は何を言いたいのだろうか」ということを
まず自分に問うて、明らかにしておかなくてはなりません。

つまり、思い立ってそのまま話す、というのではなく
ひと呼吸おいて、相手を観察したり、
自分で考えたりする時間を持たなくてはならない、
ということだと思います。
それだけ、そのことを丁寧に扱う、
ということでもあると思います。

そう思うと、ああ、自分はやれていなかったな、
話したい、と思った衝動にまかせて
話していたんだな、と思ったわけです。


「誰に何を伝えるのか」
話し始める前に今一度、確認するようにしてみたいと思います。
 

 


論理と感覚はコミュニケーションの両輪

2013年10月14日 | ●言葉と文章

 

 

 

このごろ、つくづく思います。

コミュニケーションに必要なのは、

論理性と共感だと。

 

これは、話す時も書くときも同じです。

 

そもそも、話の筋が通っていないと

聞いている人、読んでいる人は

わけが分からなくなります。

 

なので、聞いていて、話の筋が一本通っていることは

とても大事。

そして、そこで言われていることが

こちらの「なぜ?」にちゃんと答えてくれているものならば、

その納得感は、断然、深まります。

 

 

でも、

「理解はできる、言っていることはわかる、

その通りだと思う。

だけど、なんとなく、腑に落ちないんだよなあ・・・」

そんなことってあると思います。

 

そんなときは、

言っている人が好きになれないとか、

言っていることが建前に過ぎなくて

現実味がないと感じるとか、

そうした、論理とは別の「感覚」や「感情」の部分で

「Yes」と言えないものがあるんだと思います。

 

 

「そう! そのとおり!!

 自分もそう思ってたんだよ!」

というときは、

話の筋や論理性も、感覚的・感情的なものも、

両方がピッタリ一致した! 

というときなのでしょうね。

 

 

話したり書いたりするときは、

論理というハードを使いながら

感覚、感情、共感というソフトを伝えることを

忘れないようにしたいですね。

 

 

 

 

 

 

 


家族の「LINE」会話から思ったこと

2013年05月22日 | ●言葉と文章

 

先日、娘が東京に帰省した折り、

弟たちに勧められてガラケーをスマートフォンに変えました。

娘は、仕事ではスマートフォンを持たされていたのですが、

自分自身の携帯電話は、いまだにガラケーだったのです。

 

これで、家族6人全員、自身の携帯がスマホになりました。

 

そこで、長男が、それまでにもあった、

家族のLINE(ライン)のグループを一新。

(LINEは通信用のアプリケーションです。詳細はこちら

 

喜んだ夫が、毎朝、散歩の途上で撮ってくる花の写真を

家族のライングループにアップし始めました。

 

ほかにも、ちょっとした用事や気づきを

このラインにアップ。

にわかに、ラインでの家族の会話が

にぎやかになりました。

(もっとも、発言の割合は、年齢に比例するようですが……)

 

 

ラインの会話では、文字に負けずに写真、

そして「スタンプ」が登場します。

文字情報以外のこうした情報を送ることが、

ラインだとものすごく速いのです。

 

ちょっと前までは少ししかなかったスタンプも、

あっという間に種類が増えました。

 

スタンプとは、要するに絵文字のでっかいイラスト版、

みたいなものです。

嬉しい! やったね! 困った、 愛してる……など、

色々な感情を、一つのイラストで表現してあるので、

それをポンと送れば、

文字を書かなくてもすむ、便利で楽しい道具です。

 

 

わが家の会話では、

リアルでも、メールなどでも、

結構、ジョークや言葉遊びも飛び交います。

そこに、ラインでは、

スタンプの応酬というシーンも加わりました。


で、先日、一時スタンプのまさにラリーが続いたときのこと。


「おお、言葉がなくても、会話が成立するじゃん!」

って思って、

私としては、ちょっと新鮮な思いを持ちました。


ところが。

スタンプでの会話が何往復がするうちに、

だんだん、話が混沌としてきました。


この、驚いた表現は、

何に対して驚いた、って言ってるんだろう?

笑ってるけど、何を笑ってるの?

疑問っていう絵(スタンプ)を送ってきたけど、

こっちとそっち、どっちを疑問に思ってるってこと?


そんなふうに、色々なポイントを

特定できなくなりました。

 

 (ラインのスタンプ)


で、結局、最後はまた文字でのやり取りに戻り、

それまでに生まれ始めていたもやもやが

解消された、というわけです。

 

こんな経験をして、

人に何かを伝える時の手段の選び方について

あらためてこんなことを思いました。

 

人に何かを伝える手段には、言葉とそれ以外があります。

特に感情を伝える時には、言葉が最適とは言えないけれど、

考えや事実を伝えるには、

言葉の方が、それ以外のものより、やはり、より正確なんですね。

 

ただ、もちろん、言葉には限界があります。

言葉で伝えれば正確に伝わるかといえば、

それはまったく違います。

 

そんな話は、また今度してみたいと思います。

 

 

(夫の送ったバラの写真です)

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 


やさしさ?

2013年04月19日 | ●言葉と文章



先日、電車の広告で
「……のやさしさをカタチに」というコピーを見て、
頭の中に「?」がわきました。

要は、エレベーターの段差をなくしたとか、
さわってわかる案内図を導入した、
ということを伝えているのですが、
それって「やさしさ」なんだろうか……?


もちろん、そのこと自体は
歓迎すべき、喜ばしいことだと思います。


でも。

それって、「プラスしました」という話というより、
「マイナスをゼロにしました」っていうこと
なんじゃないかな、と、
そんなふうに思う自分がいました。

きっと、
「あたりまえをカタチにしました」とは、
書けなかったんだ、
とは思います。
なぜなら、
これまでが、あたりまえじゃなかった、
っていうことを認めることになるから。


べつに、批判したいわけじゃないんです。

ただ、

どこを、
誰を、
基準にしているのか

どこに、
誰の、
視点があるのか

どこからどこに、
誰から誰に、
伝えているのか


伝える時には、
そんなことを意識することが
とても大事なんだなあ、って考える
貴重な機会となりました。