ごきげんいかがですか?
私のいる東京は、このところよく晴れて暑い。
初夏というか、夏の陽気です。
GW中ということで、本来なら、
あちこちで人がいっぱいのはずが、
今年はみんなでじっと我慢ですね。
その代わりというか、
うちの周りでも多くの家族が家の周りで遊ぶ姿が見られ、
私にはとても微笑ましく映ります。
どこか行楽地に出かけるのも楽しいけれど、
子どもは、どこに行くか、より、
お父さんやお母さんに、がっつり向き合ってもらって、
じっくり遊んでもらえることが
本当はいちばん嬉しいんじゃないかな、と思います。
●三密回避は何のため?
そんな中、最近は理由はともあれ、
人が集まっている、という場面を見ると、
とにかく通報、みたいなことが起きているという話を聞きます。
私の知人もフードパントリー活動(食料無料配布)をしていたときに、
通報されたと、かなり凹んでいました。
たしかに、この時期、三密を避け、
ソーシャルディスタンスをとることが大切。
ほとんどの人が守っていても
一部の人がそれを無視してウィルスを広げることがあれば、
ほとんどの人の努力が水泡に帰します。
私もそう思います。
なので、とにかく自宅におこもりしています。
とりあえず、協力できることがそれだから、と思っているから。
でもね。
ちょっと待って
三密を避ける、ソーシャルディスタンスを取る、手を洗う、
などは、そもそも目的でしょうか?
なんのためにそれをやるのでしょうか?
いやいや、それはもちろん、
ウィルスの伝染と広がりを防ぐことでしょ?
そのとおりです。
ウィルスを知らないうちにもらうリスクと、
知らないうちに誰かあげてしまうリスクを減らし、
新型コロナ感染症にかかって亡くなる人を減らす。
病院に行く人が増え、コロナ対応で医療現場が崩壊し、
それによって、コロナじゃない人も病気の治療ができなくなって、
結果として、そこでも人の命が失われることを防ぐ。
そういうことのためですよね。
その目的のために、
三密を避ける、他者と距離を取る、手を洗うなどは有効なので、
具体的な手段として、わかりやすく提示されているわけです。
●通常のインフルエンザで考えると・・・
だから、極端な話、
それ以外にも有効な手段がわかったら
それをすることになるでしょうし、
いまのように、前述の手段が声高に叫ばれることも
ないはずでしょう。
通常のインフルエンザで考えるとわかるかも。
インフルエンザも、それなりに危険だし、
避ける方法としては三密を避ける、他と距離を取る、手を洗うなどは、
新型コロナ同様に有効です。
(っていうか、新型コロナは、インフルと同様の対応が有効、
と言われていますよね)
でもいま、新型コロナほどにはそのことを叫ばれてはいません。
なぜなら、ワクチンや薬があるから。
もしかかっても、治る可能性が高いから。
でも、新型コロナは、通常のインフルエンザと違い、
まだ、それについての危険や対処法が明らかになっていない。
どんな危険が潜んでいるかわからない。
だから、わかるまでは、
わかっていることの範囲で、できうる予防をしておこう、
ということです。
はい、以上はおさらいでした
●本質を忘れないで
話を戻しますが、
私が思ったのは、
「本当に大事なのはなんだろう?」と
自分たち自身で考えることを、私たちは忘れてないか?
ということです。
三密を避けるなどは、目的ではなく、手段。
でも、いつのまにか、目的それ自体より、
そのために提唱された一つの手段が絶対視され、
その目的を達成するためには、その手段でなければいけない、
と思い込んでしまう、ということが起きていることが
こわいな、と思います。
前述の友人は、
三密を避けることが大切といったことなどは、
ぜーんぶわかって上で、
自分のすべきことを選択し、
十分にリスクヘッジを行った上で行動しています。
私はとても尊敬しています。
もちろん、わからないものを恐れ、
排除しようとするのは、人間の一面の真理です。
そうやって、自分たちの命をつないできたから。
でも、それは本能であり、知性ではないでしょう。
人は、本能とともに知性も持ち合わせているはず。
そして、これまでの歴史に学ぶということもできるはず。
普段でも私たちがやりがちな、
わからないものに対して恐怖を持つ→偏見を持つ→排除する、
「違っているもの」は「間違っている」と思い込む。
そうしたパターンが、
非常時にはさらに増幅されることはよく知られています。
いまこそ、私たちがそれに陥っていないか、
自分をふりかえってみることが大事なんだろうな、と思います。
そうそう、その知人が、
こんな記事を紹介していました。→こちら
カミュの『ペスト』にも
普段特別なヒーローでもない人が、
非常時にも淡々と自分の出来ることをやっている姿が描かれていますが、
すごいなあ、って思います。