ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

手段が目的になっていませんか?

2020年05月02日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

私のいる東京は、このところよく晴れて暑い。

初夏というか、夏の陽気です。

 

GW中ということで、本来なら、

あちこちで人がいっぱいのはずが、

今年はみんなでじっと我慢ですね。

その代わりというか、

うちの周りでも多くの家族が家の周りで遊ぶ姿が見られ、

私にはとても微笑ましく映ります。

 

どこか行楽地に出かけるのも楽しいけれど、

子どもは、どこに行くか、より、

お父さんやお母さんに、がっつり向き合ってもらって、

じっくり遊んでもらえることが

本当はいちばん嬉しいんじゃないかな、と思います。

 

 

 

●三密回避は何のため?

 

そんな中、最近は理由はともあれ、

人が集まっている、という場面を見ると、

とにかく通報、みたいなことが起きているという話を聞きます。

私の知人もフードパントリー活動(食料無料配布)をしていたときに、

通報されたと、かなり凹んでいました

 

たしかに、この時期、三密を避け、

ソーシャルディスタンスをとることが大切。

ほとんどの人が守っていても

一部の人がそれを無視してウィルスを広げることがあれば、

ほとんどの人の努力が水泡に帰します。

 

私もそう思います。

なので、とにかく自宅におこもりしています。

とりあえず、協力できることがそれだから、と思っているから。

 

でもね。

ちょっと待って

 

三密を避ける、ソーシャルディスタンスを取る、手を洗う、

などは、そもそも目的でしょうか?

なんのためにそれをやるのでしょうか?

 

いやいや、それはもちろん、

ウィルスの伝染と広がりを防ぐことでしょ

 

そのとおりです。

ウィルスを知らないうちにもらうリスクと、

知らないうちに誰かあげてしまうリスクを減らし、

新型コロナ感染症にかかって亡くなる人を減らす

病院に行く人が増え、コロナ対応で医療現場が崩壊し、

それによって、コロナじゃない人も病気の治療ができなくなって

結果として、そこでも人の命が失われることを防ぐ

そういうことのためですよね。

 


その目的のために、

三密を避ける、他者と距離を取る、手を洗うなどは有効なので、

具体的な手段として、わかりやすく提示されているわけです。

 

 

 

●通常のインフルエンザで考えると・・・


だから、極端な話、

それ以外にも有効な手段がわかったら

それをすることになるでしょうし、

いまのように、前述の手段が声高に叫ばれることも

ないはずでしょう。

 

通常のインフルエンザで考えるとわかるかも。

インフルエンザも、それなりに危険だし、

避ける方法としては三密を避ける、他と距離を取る、手を洗うなどは、

新型コロナ同様に有効です。

(っていうか、新型コロナは、インフルと同様の対応が有効、

 と言われていますよね

 

でもいま、新型コロナほどにはそのことを叫ばれてはいません。

なぜなら、ワクチンや薬があるから。

もしかかっても、治る可能性が高いから。

 

でも、新型コロナは、通常のインフルエンザと違い、

まだ、それについての危険や対処法が明らかになっていない。

どんな危険が潜んでいるかわからない。

だから、わかるまでは、

わかっていることの範囲で、できうる予防をしておこう、

ということです。

 

はい、以上はおさらいでした

 

 

●本質を忘れないで

 

話を戻しますが、

私が思ったのは、

「本当に大事なのはなんだろう?」

自分たち自身で考えることを、私たちは忘れてないか?

ということです。

 

三密を避けるなどは、目的ではなく、手段。

 

でも、いつのまにか、目的それ自体より、

そのために提唱された一つの手段が絶対視され、

その目的を達成するためには、その手段でなければいけない、

と思い込んでしまう、ということが起きていることが

こわいな、と思います。

 

前述の友人は、

三密を避けることが大切といったことなどは、

ぜーんぶわかって上で、

自分のすべきことを選択し、

十分にリスクヘッジを行った上で行動しています。

私はとても尊敬しています。

 

もちろん、わからないものを恐れ、

排除しようとするのは、人間の一面の真理です。

そうやって、自分たちの命をつないできたから。

 

でも、それは本能であり、知性ではないでしょう。

人は、本能とともに知性も持ち合わせているはず。

そして、これまでの歴史に学ぶということもできるはず。

 

普段でも私たちがやりがちな、

わからないものに対して恐怖を持つ→偏見を持つ→排除する、

「違っているもの」は「間違っている」と思い込む。

そうしたパターンが、

非常時にはさらに増幅されることはよく知られています。

 

いまこそ、私たちがそれに陥っていないか、

自分をふりかえってみることが大事なんだろうな、と思います。

 

 

そうそう、その知人が、

こんな記事を紹介していました。→こちら

 

 

カミュの『ペスト』にも

普段特別なヒーローでもない人が、

非常時にも淡々と自分の出来ることをやっている姿が描かれていますが、

すごいなあ、って思います。

 


健康に良い椅子 〜おこもり生活を楽しく 2〜

2020年04月26日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

今日は、我が家の

新しい仕事用の椅子をご紹介します。

 

こちらです。

 

 

 

 

PCに向かっていることが多い仕事柄、

椅子に座っていることが多いわけです。

でも、長い時間座っているということは、

健康にとってはとてもよくないこと、

というのは、

昨今、常識ですよね。

 

こちらの本、おすすめです

『座らない! 〜成果を出し続ける人の健康習慣』(トム・ラス著)

 

 

とはいえ、全く座らないわけにもいかないし、

やっぱり、いい椅子がほしいなあ、

と以前から思っていたのですが、

フッと閃き、

この度、通販で注文。

 

最近は、転がり防止用の輪っかもセットになっているものがあるんですね。

これなら、Zoomしながら

画面から消えて落ちることもなさそう

 

 

すでに何日か使用していますが、

快適です

 

いやでも背筋が伸びますし、

腰痛は明らかに減ってきていると思います。

 

もう、以前の椅子には戻れないなあ・・・

そして、高価な椅子も、もう欲しくないかも

 

これなら、不要になったら空気を抜いて

処分するのも簡単。

 

 

作業に疲れたら、

このバランスボールに背をもたせて・・・

とすると思っていた自分ですが、

実はそれより、

「あんたがたどこさ」

やってます

 

 

”はずむ”って、気持ちがいいんですね〜

ってことを思い出しました。

 

 

おすすめです

 


働き方改革進行中の図

2020年04月24日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

このところ、散歩だけが外出、という

おこもり生活が続いていますが、

今朝、こんな発見が。

 

 

散歩コースの重要ポイントである神社の

の紐が

ついに巻き上げられて、

手の届かないところに。

 

この鈴の正式名称は「本坪鈴」(ほんつぼすず)らしいです。

ちなみにお寺の鈴は「鰐口」(わにぐち)と言うそうです。

 

 

私自身、しばらく前から、

お参りしても鈴は鳴らさないことにして、

散歩中はできるだけ

何にも触れないようにしてきましたが、

とうとう、こういうことに。。。

 

触(さわ)れなければ触らない。

めっちゃシンプル。

 

 

 

●働き方改革進行中

 

さて、散歩をしていると、

毎日何かしら発見があるものですが、

昨日は、こんな光景を目にしました。

 

 

こちらも、私の散歩コースのなかにある

ちょっとした森(?)の中なのですが、

キャンプ用のテーブルセットと思われるものを広げ、

お父さんと思われる男性が、PCで作業中。

そのそばで、お子さんと思われる子どもたちが

楽しそうに遊んでいました。

 

このシーンを見た時、

なんだか、リゾートのワンカットを見るような

美しさも感じましたが、

それ以上に、なんかホンワリと

嬉しくなりました

 

これからの働き方の、一つの姿を

そこに見るように思いました

 

 

●ピンチをチャンスに!

 

もちろん、お子さんが小さすぎると

こうもいかないでしょうし、

そうはいっても、子どもは

保護者の「心がここにあらず」の状況は

よ~く察しているもので、

同じ場所にいるだけでは

「一緒にいる」ことにはならない面もありますが、

それでも、

互いに存在を感じられるところで、

それぞれに、それぞれの仕事をしている、

そして、必要な時には、

すぐに一緒にご飯を食べたり、休憩したり

「生活」を共にできる。

 

そこには、”痛”勤電車もないし、

”孤食”もないし。

かわりに、自然があったり、

家族との会話があったり。

 

これは、PCがあればなんとなる、

というタイプの仕事の人に限られるかもしれませんが、

それでも、

物理的な違いがもたらす、

心理的、内容的な違いは

必ずあります。

 

この状況は大変ですし、

リモートワークがぎゃくに大変、

ということも多いと思いますが、

本気でやろうとしていなかった「働き方改革」が

いやでも進み、

社会がいい意味にも変わるチャンスでもあります。

 

 

ピンチをチャンスに、なんとか活かしたいものです。

 

 

 

 


おこもり生活で体脂肪減少!  ~おこもり生活を楽しく 1~

2020年04月20日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

おこもり生活も長くなってきました。

 

こんな中、嬉しいことに

体脂肪が減少していることがわかりました!

 

今回は、それってなんでかなあ?

と考えてみたことを、備忘録がてら

書いてみたいと思います。

 

 

●ウォーキング

 

一つ目は、ウォーキング。

 

これまでもウォーキングは日課でしたが、

外に出かける日はできないことも多かったのです。

それが、今は出かけることがないので、

雨降り以外は毎日必ず行けている状態。

 

これまで以上に「定期的」に物事を組めることは、

この時期の一つの大きなメリットかもしれません。

 

(といっても私の場合、「規律性」というものは

低いので、毎日決まった時間に行くのではなく、

1日1回行く、ということだけ緩やかに決めています。

その自由さがこの状況でより活かせるのが

よいのかな、と思います。)

 

写真はMy Walking Course

 

 

 

●ヨガ

 

二つ目は、ヨガ。

夜寝る前に、You Tubeでヨガの動画を流しながら

一緒にやります。

だいたい30分くらいのものを

1本か2本。

 

こちらのB-Lifeのまりこさんの動画は

彼女の指示の声やテンポが適切なのと、

カメラアングルや

何と言っても音楽の入り方が絶妙だなあ、

と感心しています。

 

 

 

その前にお風呂に入っておきます

そうすると、

入浴後1時間半くらいで就寝することになり、

上がった体温がちょうどよく下がって

「質の良い睡眠」をとるためにも、

良い条件が整います。

 

 

私はずっと、睡眠の質が悪く、

寝起きも頭痛がしたり……

ということが長く続いていました。

なんとかしたいと思いながら、

寝る前の体温調節や自律神経の調整を

やっていませんでした。

寝る直前まで、PCで仕事、というのが

当たり前の生活でした。

 

でも、この機会に、そこも修正、と思い、

お風呂→ヨガ→就寝

というパターンを考えてトライ。

 

そうしたら、

寝つきがずっとよくなり、

布団に入ってから悶々と寝られない、

ということがすぐになくなりました。

すごい!

 

 

良い睡眠のための本には、

同じようなことが書いてあると思いますが、

手っ取り早く知りたい方は、

この動画を見るといいかも。

→ 中田敦彦さんの動画解説

『免疫力を高めるスタンフォード式最高の睡眠』

 

 

●筋トレ

 

「筋トレ」と聞いただけで拒否反応を示す方も、

大丈夫。

かく言う私も、腕立て伏せは1回もできない、

腹筋も必ず途中で脱落する、

という、筋トレ苦手人間です。

 

それでも、

「1日2分」とか言われると、

できる気がしてくるから不思議です。

 

今はいろんな動画があります。

私は、1日2分、腹筋のトレーニングをやる

という動画(→こちら)に合わせ、

(途中、落伍しながら)

とりあえず、毎朝、起きたらやってみる

ということにしています。

 

 

 

 

……ということで、

なんだか動画紹介みたいになってしまいましたが

要は、筋トレ動画ののがちゃんが言ってくれているように、

「長く、ゆるく、続ける」ことが大切だと信じ、

彼女の言葉に励まされながら、

続けています。

 

 

こんなときだからこそ、シンプルに健康が大事

と思うと思いますが、

こんなときだからこそ、

人生で何が大事かと考えると、

やっぱり健康ははずせない。

 

大事なものを大事にしないとなあ、

と肝に命じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それ、本当にリモートワークは無理ですか?

2020年04月16日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

またまたご無沙汰しています。

 

新型コロナに翻弄されるうちに、

いつの間にか4月も後半に入りましたね。

 

これを読んでくださっている皆様は

毎日をどのように過ごしていらっしゃるでしょうか?

 

 

●リモートできる仕事、できない仕事

 

家でこもっている、リモートワーク

という方は、

それぞれに大変さはあると思いますが、

とりあえず、出かけなくてよくて

よかった、と思います。

(DV、その他の問題は、心痛いことですが・・・)

 

一方で、どうしても出かけて

仕事をしなくてはならない方々には

「お疲れ様」の労いと、感謝を伝えたいと思います。

なかでも、医療従事者の皆様には

本当に私たちを代表して

見えない敵と、最前線で戦ってくださっていると感じ

感謝しかありません。

 

知人のあるドクターは

「1ヶ月後に自分は生きているだろうか?」

と考える、と漏らしていました……

 

そのほか、私たちの生活のインフラを

支えてくださっている皆様には、

リスクと背中合わせの中でのお仕事、

本当に、ありがとうございます。

そうした方々のプロフェッショナルとしての

「責任感」のおかげで、

私たちはこうして日々を送れているのだと、

改めて感じます。

 

 

また、リモートワークにはなっていないけれど

どうしても出かけていかなくてはならない仕事

なのかどうかわからない……という方、

会社がリモートと言わない、

なんら対応なしという職場、という方がいたら、

それは、いま、ちょっと立ち止まって

考えてみてください。

 

立場や、仕事の種類、

いろいろな事情があるでしょうから、

一概には言えないかもしれません。

でも……

何か変えられないのでしょうか?

しかたがないことなのでしょうか?

 

 

ある知人の知人は、

会社が適切な対応を取らず、

そのままの仕事をし続けようとしていたので、

「誰か、検査で陽性の人が出るまで、

このまま続けるつもりですか?」

と、会社に言って、

自主的に有給休暇を取って

休んでいたとのこと。

すると、とうとうこの会社は、

リモートワークを始めたと言います。

 

また、私のよく知るある人は、

「絶対にリモートでは無理」

と言われた仕事を、

リモートで成し遂げたとのこと。

 

同じ仕事をするのでも、

場所を変える、

時間を変える、

組み合わせを変える……

何かを変えられるかもしれません。

 

 

●何が本当に大切なのか?

 

普段、なんでもない時には

よく考えると「?」もあるんだけど

「ま、いっか」でなんとなく続けてしまっていることも、

危機的な状況では、

文字通り命取りになることがあります。

 

みんながやっているから正しいのか?

これは、本当に必要なのか?

これは、本当にこのやり方しかないのか?

今、一番大切にすることはこれでいいのか?

 

そんな「問い」を立てること、

そして、それへの答えを出すことを

放棄しないで考えてみること、

それを今、私たちは練習する時間を

与えられているのではないかな、

と思います。

 

同じ行動をしていても、

それを選択する考え方は人それぞれ。

でも、「どうして自分はそれをするのか」

自分なりに考えた答えを持って生きること、

それが、後悔しないために

とても大切なんじゃないかな。。。

 

そのためにも、正しい情報を得ることは

大事ですね。

 

 

一日も早く、

一人でも犠牲者が少なく、

この状況が終息することを祈りつつ・・・

 

 

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トイレットペーパーをゲットして思ったこと

2020年03月22日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか。

 

今年の桜はかなり早めで、

あちこちでそろそろ見頃を迎えていますね。

 

世の中の緊張は続いていますが、

自然というのは、

人の世のあれこれに関係なく

その営みを粛々と続けているなあ、と

いつもその動じない姿には、

何かを諭されているように感じます。

 

 

⚫︎トイレットペーパーをゲット

 

さて。

トイレットペーパーなんですが・・・

私は特別、買い占めには走らなくて、

のんきにしておりました。

断捨離は得意ではないのですが、

無くなりそうなら次を買う、

という主義なので、

普段、何かにつけたくさんストックする

ということもしていません。

 

トイレットペーパーについては、

「いざとなったら、インド式だ」

(左手と水でお尻を洗い、紙は使いません)

「すでにウォッシュレットになっているではないか」

くらいに思っていたので、

特別焦りもせずに過ごしていたのですが、

それでも、あればトイレットペーパーを使いたい(笑)。

 

そして、そろそろ自宅のトイレットペーパーがないので、

買いたいと思っていましたが、

これがなかなか手に入りません

近所はどこも、私が行く時には品切れ。

う~ん、そろそろインド式かあ……と思っていたら、

昨日、珍しく午前中に買い物に行ったところ、

スーパーで、残り数点となっていた

トイレットペーパーを発見。

「お一人様一点」と書かれたそれを、

ありがたく買って帰りました。

 

 

⚫︎手に入れて見えてきたもの

 

そして、トイレに入るたび、

新しく購入されたトイレットペーパーを眺めつつ

気づいたことがありました。

 

それは、

「無ければ無いで」と思っていた時には

特に焦りもなかった気持ちでしたが、

一つ、やっとトイレットペーパーの束を手に入れてみると、

「これだけで持つだろうか?」

「もっとあった方がいいんじゃないだろうか?」

という不安が芽生えている、

ということでした。

 

ああ、こうやって人はどんどん、

物を買ってしまうんだな、と思いました。

 

よく、はたから見たらもう十分でしょう、

というくらいお金を持っていても、

満足せず、もっともっと欲しくなる、

という話を聞きますが、

それって、こういう心境なんだろうな、とも

体感した気分でした。

(本物のお金ではなく、トイレットペーパーで

その気持ちを感じるっていうのはどうよ・・・

と思いつつも・・・

 

 

でも、そうなってくると、

どこまでいっても、

きっと、「これで大丈夫」という気持ちには

なれないのでは?

とも思います。

底なし沼のようですね。

 

そこにはまらないためにも、

本当に必要な物はなんなのだろう?

と考えておくことが大事。

 

本当になければならない物は何で、

あったらいい物は何で、

本当はなくてもいい物は何なのだろう?

 

それを自分でわかっておくことが

自分を不安にさせないために大切なこと、

ですね、きっと。

                                                           

 

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今年の春分の日に思うこと

2020年03月20日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 


良いお天気が続きますね。

今日はちょっとグロテスクな写真を投稿しますが、

ご容赦を。

 

最近、私のウォーキングルートで、

この方々に度々遭遇します

 

 

●啓蟄とは

 

なぜ……と思ったら、

そうだ、本日、啓蟄の終わりの日でした。

2020年の啓蟄は3月5日~20日までだそうです。

(1日だけじゃないんだ・・・

 

「啓蟄」は二十四節気の一つで、

春の3番目の節気。

「啓」は、開くという意味。

「蟄」は、いわゆる冬眠状態。

虫などが土に潜り込んで飲まず食わずでいることの意味。

 

いま、まさに虫などが、

どんどん外に出てきているんですね。

 

 

●世界の主役が交代する?

 

そんなときに、

私たちはその逆で、

家に篭らざるを得なくなっています。

 

まるで世界の主役を

スイッチするかのような感じですね。

 

このタイミングにも、何か意味があるのかなあ……

そんなことを考える、春分の日でした。

 

 

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神様からの課題 〜新型コロナの状況に思う〜

2020年03月17日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

ご無沙汰(ばかり)しております。

 

新型コロナウィルスが

世界に広がりつつありますね。

 

そんな中で、今考えることを

書いてみようと思います。

 

 

●神様のメッセージ

 

いろ~んなことをぜ~んぶすっ飛ばして、

とても乱暴な言い方になることを承知で言うと・・・

 

私は、今回のこの状況は

神様が人類に与えた課題でありメッセージ

と捉えたいと考えています。

(どんなことが起きても、そう捉えちゃうのが

「運命思考」持ちゆえでもありますが・・・)

 

というのは、

この状況を本当に乗り切るためには、

私たちはつながって、

互いに協力し合わないとならない

と思うからです。

 

ウィルスに国境はありませんから、

国と国も争っているときではなく、

互いに協力して、なんとかしなくてはなりません。

今の世界では、

世界のどこかにウィルスが存在する限り、

自国だけがウィルスを排除するということは

ほとんど不可能です。

 

そして、一つの国の中でも、

一人一人、あるいは組織と組織、

組織と個人が協力していかないと、

ウィルスは撲滅できません。

 

そして、そのことを通して、

私たちは、

ウィルスのせいで打撃を受けている私たちの暮らしを、

安心できるものに戻す、

あるいは、

私たちが安心して暮らせるための土台を

根本的につくりかえていく必要があるのだと

思っています。

 

そのために、私たちがいかに上手に協力できるか。

そこに、これからの世界の存続が

かかっている。

 

神様は、私たち人類に

そのメッセージを与えているのだと思います

 

 

 

●世界は一人の人間と同じ

 

世界や社会というのは、

人の身体と同じだと思います。

 

どこか一部でも麻痺したりすると、

身体全体に影響が出ます。

 

それは今回、

日本や世界の経済などが

かなり大変になっていることで

わかりやすく証明されましたが、

新型コロナの問題が出る前から

全く同じことでした。

 

ただ、これまではそのことに気づかなかった、

気づこうとしなかった

という人が圧倒的に多かったのだと思います。

 

 

たとえば、7人に1人の子どもが「貧困」と言われても、

日常にはあまり見えてきません。

虐待やいじめが事件になると「ひどい!」と思うけれど

それが自分のすぐそばで進行している時には

気づかなかったりします。

だから、私たちは、

貧困や虐待やいじめなどと自分の生活とは、交わらず、

別々に存在していると思っています。

 

あるいは、そうした状況は「怖い」から、

自分はそうならないようにしよう、

関わらないようにしよう、と考えて、

「排除」「見ない」「なかったことにする」

という行為を、

無意識にしているのかもしれません。

 

これは、おそらく、人としての本能なのだと思います。

危険に対してはアラートが鳴って、

それを避ける、あるいは排除することで

(まさにfight or flight の状態ですね)

自分の命を守ろうとする。

 

こうして、多くの場合、

「あの人」と「私」の世界は本当に交わることなく、

別々に人生を終えていくのかもしれません。

 

でも。

 

実は、そうやって、

一部の不調を無視することによって、

体の中で病気が進行していくように、

世界や社会全体は、静かに

でも確実に病んでいくのじゃないか、

と思うのです。

 

そして、病気とわかった時には、

もう手遅れで、結局命そのものを落としたり、

あるいは大手術が必要だったり、

ということになるのだと思います。

 

 

●立ち止まって気づくことから

 

ここで、

「見ないようにする」ことが悪だとか、

病気になる人の生活が悪いとか、

そういうことを言いたいわけではありません。

前述したように、それは

人としての本能から来るものだったり、

本人がどうしようもない事情もあるからです。

また、人は誰しも間違うものでもあります。

 

だからこそ。

不完全な私たち人間が、

間違いに気づくための仕組みを作ったり、

間違いに気づいたらそれを改めていく努力を

していく必要があるのだとも思います。

 

これまで、人類は、そうやって医学や科学を

進歩させてきました。

 

人は、幸い、「本能」だけで生きるものではありません。

人には「学習」する力があり、

「知性」「理性」といったものがあります。

 

ただ、それは、”無意識”でいては

使えるものではないかもしれません。

まずは、意識して、立ち止まって、

気づくことが大事なのかな、

と思います。

 

自分が怖れから「見ないふりをしていた」と気づけば、

とりあえず「見てみる」ことができるかもしれない。

見てみて、これまでは発しなかった一言を

伝えてみることで、

その人は、孤独で不安な状態から

解放されるかもしれない。

 

災害の場でも、一人でも多くの人が

支援される側からする側へとなることができれば、

一気に回復のパワーが2倍になります。

「-1」が無くなって「+1」が増えるわけなので、

目盛りはマイナス1からプラス1へ

2つ分、動きます。

 

そうやって、ちょっとずつ、

立ち止まって、気づいて、

これまで「反応」していただけの行動を

「対応」に変えていく人が増えるだけでも、

目盛りがマイナスからプラスに転じるように、

何かが変わっていくのじゃないかな、

と思います。

 

そして、そのためには、一人だけだとやっぱり怖いし、

非力だと感じます。

だから、つながって、みんなで協力してやる

 

 

みんなでそれをやってみてね

ということを、

神様は今、メッセージとして

私たちに送っているのではないかな。

 

そんなふうに思います。

 

 

 

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こんなお葬式があったんだ!

2020年02月05日 | ●日々雑感

ごきげんいかがですか?

 

めっちゃ突然のようですが、

最近、自分が死ぬときには・・・

と考えることが多くなっています。

 

単純にそれなりに歳を重ねてきたということもあるし、

夫の父、私の父、そして夫を見送った経験に加え、

夫の母、私の母の老いを、

現在進行形で見ていることも影響して

いるんだろうと思います。

 

そんな中で、たまたま出会った記事が

面白すぎて、

今日はそれをご紹介したく。

 

こちらです

   ↓

明るく賑やかな「死」

https://note.com/akira_maeda/n/ne6d6454d2cbd

 

 

ある方のお葬式の話なのに

読みながら、あちこちで「ぷっ」っと

思わず吹き出しました

 

そして、「こんなお葬式があったんだ!」

と新鮮に驚きました。

 

たのしそ〜

私もこんなお葬式がいいなあ、なんて、

思いました。

 

ぜひ、読んでみてください。

(勝手に紹介)

 

ちなみに、

この記事の舞台となっているのは

”多世代型介護付きシェアハウス”

「ハッピーの家 ろっけん」。

 

今回初めて知りました。

 

こんな記事もご参考までに↓

https://helpmanjapan.com/article/8161

 

この記事にありますが、

『“違和感”は3つ以上重なると、どうでもよくなる』

というフレーズ、

いいなあ。。。

 

なんか、深刻なこと考えてるの、

バカバカしくなりますね。

 

こういう場が、もっと増えていくと

本当にいいな、と思います。

 

 

 

 

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私が豆まきを欠かさない理由

2020年02月03日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

今日は節分でしたね。

 

今日も、夜遅くなってからとなりましたが、

ちょうど帰宅した息子と共に豆まき。

 

息子も、「え~、やるのぉ~」とか言いながら、

有無をも言わせない私に押されて

小声で「おにはそと~」とか言いながら

豆をまく、というのか食べるというのか、

食べながらまくというのか・・・

やっておりました。

 

昔から、

広告で折った升に豆を入れてまくのが

私流。

 

 

 

●私が豆まきを欠かさない理由

 

私は、年中行事を真面目にやる

模範母ではありませんでした。

でも、ずっと、毎年、

なぜか豆まきだけは欠かしませんでした。

 

その理由はシンプルで……

準備も片付けも特に大変ではなく、

そのときだけで終わるから

 

いや、書いていて、我ながら

この不精っぷりと、いい加減さが

なんともなあ・・・と思います。

お恥ずかしい。。。

 

でも、

(とってつけたように言いますが)

まだまだ寒い中にあって、

春を迎えるぞ~、

邪気を払い、良い気を迎え入れた~い!

という思いは結構強いのです。

 

そして、

1月1日から始まった新しい年ですが、

古い暦からすると、

節分・立春から春分にかけてが、

新しい年の始まり。

日本の”体感覚”に近いな、

と思います。

その感覚があるので、

豆をまくことで

本格的に今年を始動させられる、

なんとなく、そんな感覚も、

ずっと持っています。

 

 

●今年を本格始動へ

 

年初に立てた計画や目標を

ひと月間、回してみて、

ここで一旦振り返って

軌道修正したりして、

再度、本格始動するのにも、

ちょうどいい時期じゃないかな、

そんなふうに思います。

 

「あ~、今年もすでに12分の1が終わっちゃった~

「すでに計画がなし崩しに・・・

なんて言う方は、

ここで心機一転、始め直すのも

いいのではないでしょうか?

 

いつでも、今日が一番フレッシュな日ですから。

 

明日は、立春

 

ぜひ、ワクワクしながら春を迎えたいですね。

 

 

 

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非常識な七回忌

2020年01月27日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

また新しい週が始まりますね。

こんな日の話題としてはどうなのかしら、

と思いつつ、

あまり大きな声では言えない、

内緒話を書きたいと思います。

 

 

●七回忌、どうする?

 

昨日は、実家に行き、

仏壇を掃除して、

花を飾り、ろうそくを灯し、

お線香を立てて

アルツハイマーの母とともに、

しばし、仏壇に手を合わせました。

 

普段、実家に行くと、

仏壇に手は合わせるものの、

そこまで丁寧なことはしません。

 

なぜそうしたかというと、

実は、あと数日で、父が亡くなってから、

6回目の命日、

つまり7回忌なのです。

 

正式な法要の作法からしたら

七回忌などの法要は、

お寺さんにしっかり拝んでもらうのが筋だと思います。

で、

「七回忌の法要をしないの?」

と聞いたのですが、

現在アルツハイマーを発症している母の

主たる介護者となっている弟が

「やらないことにした」

と言うので、

私もそれ以上は言わず、

公式行事的&常識的な法事はしないことにしました。

 

母は、私と話していると

「じゃあ、お寺に行ってお経だけあげてもらおうかしらね」

とは言っていましたが、

母は、30秒前のことも覚えていることができません。

したがって、自分が言ったことも、

人から聞いたことも、

そして、父の七回忌だということも、

もっと言えば父の命日も、

覚えてはいられないのです。

 

弟も忙しいようだし・・・

 

いろいろ思って、

「七回忌をやらない」という弟の意見を

尊重することにしました。

 

 

●BGMは「般若心経」

 

とは言え、やはり私としては気持ちが落ち着きません。

父をないがしろにするようで、

寂しい思いもします。

そこで、先日、お墓の近くに行く用事があった時に、

全くもってトンボ返りではありましたが

タクシーを待たせたまま、

一人でお墓まいりをしてきました。

 

そして、昨日は実家に行って

仏壇に手を合わせた次第です。

(弟は、予定があって外出でした)

 

そして、一応、7回忌なので、

お経があると落ち着く気がして、

我ながら、「それってどうなの!?」と

思いつつも、

なんと! You Tubeでお経を流しました

 

実のところ、

七回忌にはどういうお経が読まれるべきなのか、

ということもわからず、

まして宗派による細かい定義などもわからず、

調べてもたどりつけず・・・

結果、「般若心経」にしたというわけです。

 

その筋の方が読んだら、

「とんでもないこと!」

とお叱りを受けそうです・・・

すみません💦

 

 

●安らぎました

 

・・・なのではありますが、

ひさしぶりに仏壇にろうそくの灯が灯り、

お線香から煙が立ち上り

みずみずしい花がそこにあるのを見ると、

仏壇ながら、明るくなり、

そこに命が宿るような感じで、

見ているだけで気持ちが安らぎました。

(普段、いかにひどいことになっているか、

改めて反省です)

 

飾ってある写真の父も、

心なしか目を細め、

微笑んでいる、

いえ、苦笑いをしているように見えました

 

・・・ということで、

とっても非常識な七回忌ではありましたが、

お寺でお経を読んでもらうのを聞いているより、

むしろ父の魂がずっと近くに感じられるような、

そんな気がしました。

 

 

そうして、思うのは、

やはりきちんと法事を行うことは

とても大切だということ。

 

それをする時には、

子や孫、親戚などが集い、

故人を偲びます。

 

故人を偲ぶことも意味はありますが、

もっと意味があるのは、

そうやって、今生きている人たちが、

互いに集まり、話をし、

つながりを確認しあうことになる、

ということではないかと思います。

 

そうやって、関係性を維持することが、

結果として、

困った時に助け合う気持ちのつながりを

紡ぐことになったり、

安心で安全な場を作ることになったりすると

思います。

 

だからこそ、法事を続けていく家族は、

繁栄をしていくのだろうな、と思います。

「先祖を大切にしろ」

と言われるのは、

先祖の霊がどうのこうの、ということより、

(それもあると思いますが)

そうやって、残された者が、

互いに絆を強固にしていく場を

大切にしていくことになるから、

なんだと思います。

 

いま、我が家はなんとか法事を続けていますが、

実家の方はこんなふうに怪しくなってきています。

これではいけない、と反省したとともに、

自分が法事をしてもらう身になった時のことを思うと、

子や孫たちが、

自分をダシに、気軽に集まれる関係を

紡いでいってほしいな、と思います。

 

そのためにも、いま、生きている自分たち家族が

仲良くありたいと思うし、

自分自身が「法事でもやろうか」と思ってもらえる

存在になりたいな、と思いました。

 

 

 

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母の日のプレゼント

2017年05月14日 | ●日々雑感

こんばんは。

今日は母の日でしたね。

 

私の母は、今年85歳になりますが、

その母を誘って食事でもしようと思っていましたが、

今年の母の日は、我が家の次男の誕生日と近かったので、

子どもたち、そして私の弟も一緒に、

昨夜、食事をしました。

 

特段、プレゼントは用意しませんでした。

 

最近、思うのは、

何より大切なのは、一緒に楽しく過ごす時間ではないか

ということです。

 

これは、夫が亡くなってみて、改めて確信しました。

 

だから、こと、年老いた母については、

できるだけ、一緒に過ごすことを考えています。

 

 

母としての私自身は、

子どもたちのうち、今一緒に暮らしている子どもたちからは、

ちょっとしたプレゼントをもらいました。

離れて暮らしている社会人の子どもたちからは、

今年は特にプレゼントは送られてこず、

メッセージだけを受け取りました。

高価なプレゼントをもらうこともありますが、

そうすると、無理をしていないか、かえって心配になって、

落ち着かない感じがするので、

もらわなかった今日は、逆にホッとした感もあります。

 

何をもらってももらわなくても、

何か気持ちを伝えてもらえるだけで、嬉しいものです。

 

 

何を隠そう、私は、

昔、まだ子どもたちが小さい頃にもらったプレゼントを

大切にしています。

今でも、実はこのプレゼントがいちばん嬉しいかもしれません。笑

 

 

「きげんは無いです」という言葉が書いてありますが、

まだ、有効かなあ・・・

 

  


万能ではないけれど、役に立つ

2017年03月18日 | ●日々雑感

 

新聞で、報道ステーションの富川さんの記事を読みました。

 

富川悠太さんは、災害などの現場の取材を重ねる中で、

自身が人々の「力になれていない」と落ち込んでいく。

そんな富川さんを見て、古館さんが、

「力になるなんて、考えなくていい。役に立てればいいんだ」

と言った。

その言葉に、富川さんの気持ちが楽になった、というお話です。

 

(記事はこちら→ http://www.asahi.com/articles/DA3S12845174.html)

 

 

これを読んで、以前、夫が亡くなって

たくさんの「なぜ?」を消化しきれずにいた私に、

ある方が言った言葉を思い出しました。

 

「そんなことを考えるなんて、おこがましいですよ」

 

ある意味、とても辛辣な言葉にも聞こえますが、

その言葉には深い愛がありました。

 

この言葉は、

人の生き死には神様が決めるもので、あなたがどうこうできるものじゃない。

人間の分際で、おこがましい。

つまり、あなたが悩むことじゃない。

そんな意味です。

 

その言葉に、私はとても救われました。

富川さんの気持ちがわかります。

 

 

 

また、この富川さんの話は、

身近で報道関係者の話をよく見聞きし、

いつもどこかで、メディアってなんだろう? と考えている私に、

ちょっとした答えをくれました。

 

メディアというのは、医者ではありません。

だから、患者を直接治するわけではない。

言ってみれば医者(という、現場の問題解決に当たる人)が、

患者の容体(社会問題など)を正しく判断し、

その容体の快復に向けた手術や処方箋を書けるようにするために、

大切な情報を届ける。

そんな役目をになっているのが、メディアではないかな、と思います。

だから、医者になろうとしなくていい。

でも、医者が的確な判断をできるようになるために、

よい情報をたくさん発信していく。

その情報の質を高めていくことこそが、大切なんじゃないかな、と。

 

「医者」とは、時に専門家であり、そして多くの場合は、私たち市民です。

 

富川さんがそうであるように、

メディアに携わる人たちは、大変な思いをしている人たちの力になりたい、

世の中がよい方向に進むよう、自分を使っていきたい、

そういう姿勢でいてほしいとは思います。

けれど、人は誰しも万能ではありません。

大きな意味では大河の一滴。

 

それでも、「涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ 」という言葉もあります。

 

だから・・・

万能感は持たず、されど、役に立てる力を信じ、それを愚直に使っていく。

そんな思いが大事なのかも。

 

これは別にメディアでなくても、

どんな仕事についても言えることではないかな、

そんなことを思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


豆まきしました!

2015年02月03日 | ●日々雑感

 

 

今日は節分でしたね。

豆まき、しましたか?

 

私は、高校生の息子を誘い、二人で豆まきをしました。

いつも日が暮れてからするのですが、
家中の窓や扉を開け放ち、
「鬼は〜外! 福は〜内!」
と言いながら、
各部屋や玄関、階段などにも豆を蒔きました。

 

私は、年中行事を決して真面目にやらない母でした。。。

というのも、お雛様や鯉のぼり、
クリスマスツリーなんかは
屋根裏部屋にしまってあるのですが、
子どもが大きくなるにしたがい
いつの間にか屋根裏部屋が大変なことになっていて、
それらの出し入れがとんでもなく辛いことになったため、
とてもとても面倒で、出したり入れたり
しなくなったわけです。

 

そんな中、特別の用意がいらないのが、この豆まき。

今は、豆も、柊の飾りも、売っていますから、
それらを買ってきて、
飾りは玄関にさして、豆は撒くだけ。

あとは掃除するだけなので、手間いらず。

 

なので、なぜか豆まきだけは、
結婚以来、ほぼ欠かさずやってきたような気がします。

 

いつも広告で小さな箱を作り、
その中に豆を入れて、豆まきするのが私流。

 

 

私の母は、豆の中に、いろいろなお菓子を混ぜてくれました。
飴とかキャラメルとか・・・

豆と一緒にお菓子も撒いて、
それらを撒き終わった後に拾い集めて袋に入れると、
それらが、しばらくの間のおやつでした。

 

たぶん、母のちょっとした遊び心だったのでしょう。

私はそれしか知らないので、
結婚してからもその方式で豆まきをしようとしたところ、
夫に、そんなのはない! と言われ、
以後は豆だけになりました。(残念)

 

お菓子がないのはちょっとつまらないけれど、
それでもやっぱり、豆まきって楽しくて。

4人の子供たちと、きゃっきゃ言いながら撒いたのは、
楽しい思い出です。

 

翌朝は、玄関の前にも豆が落ちていたり、
その後、思わぬときに、変なところから豆がコロッと出てきたり。

しばらくは節分の余韻が残ります。

 

 

 

節分は、旧暦の大晦日。
ここで、一年が終わります。

邪気を払って、新年を迎えるということで、
翌日は立春。

 

というか、立春の前の日が、節分なんですね。

 

旧暦は、本当に自然と一致していると感じますが、
この頃には、寒さの中にも、
確実に春の気配が混じっています。

 

立春がすぎると、春一番が待たれます。

 

三寒四温を経て、行きつ戻りつしながら、
季節は春に移っていきます。

 

 

2015年が明けてからひと月あまり。

年初に立てた今年の目標を振り返りながら、
春の気配の中で、今一度、 
心を新たにできる、素晴らしい機会だと思います。 

 

豆をまいて邪気を払い、
新しい一年を祝福しながら迎えたいと思います。 

 

 

 

 

 

 

 


イスラム国という世界の病を治すには

2015年02月02日 | ●日々雑感

 

 

後藤健二さんが、帰らぬ人となってしまいました。

後藤さんの志、仕事、なぜ行ったのか、
彼の胸中、残された家族、特に奥様の思い・・・
いろいろと考えると、さまざまな思いがありますが、
言葉がうまく見つかりません。

 

なぜ、こんなことが起きるのか?

もう、起きないようにするにはどうしたらいいのか?

 

そんなことを、考えます・・・



 

 



昨夜、 NHKのスペシャル番組「追跡”イスラム国”」を見ました。
それを見ていて、この組織の誕生と成長の過程を考えました。

 

どこをそもそもの発端にするのか、
ということになると、
おそらく歴史をどんどん遡らなくてはならないでしょう。

物事は、単純ではありません。


ただ、今現在、どういう人たちが
この組織に入るのかといえば、
多くの場合、自分の置かれている現状に対し
憤っている人たちだということは言えそうです。


もともと、なんの罪もないのに、
争いに巻き込まれ、家族を殺されたりした人たちも
少なくありません。
 

そして、それゆえに生活にも困窮している若者、
そしてそれゆえに、あまり教育が受けられない人たち、
そして、偏見のもとに、差別を受けたり、
社会から排除されている人たち・・・。

 

彼らの多くが、「理不尽」さの中で、
孤独を感じたり、怒りを感じたり
そして激しい憎悪を感じたりしているのです。

 

そうした、世界中にあるマグマのような負のエネルギーが
いま、集まって、噴出し始めているように
思えてなりません。 

 

そうだとすれば、一つの山の噴火に対応しても、
また別の山から噴火するだけです。
噴火する山を潰そうとしても、
出口を失ったエネルギーは、
さらに溜まって、別のはけ口を求めるだけでしょう。

 

西洋医学のように、対症療法をして
手術ばかりを繰り返しても、
その病にかかる体質自体を改善しないことには
もぐらたたきでしかありません。

まるでガンの放射線療法のように、
強すぎる対症療法をすると、
体自体が、ガンではなく放射線で死んでしまうように、
世界自体が壊れてしまうかもしれません。


20世紀は戦争の世紀と言われてきましたが、
対症療法的に武力で対処しようとしても、
地球という体は救えない、ということは
もはや、明らかだと感じます。

西洋式の対症療法だけではなく、
東洋式の原因療法、つまり、体質改善に
取り組む必要があると思います。

 

 

貧困や無知がなくなるようにする、
そして、疎外感や孤独感を感じる人が少なくなるように
一人一人ができることをする・・・


憎悪に憎悪で対応していては、
いつまでも戦争の世紀は続きます。

 

陳腐で紋切り型の言い方ではありますが、
地球を救うのは、やはり「愛」なんじゃないか、
と、そう思います。

 

 

自分たちがごきげんで生きるためには、
他の人もごきげんで生きられるようにする。
他の人がごきげんで生きられるよう考えることが
自分自身が安心してごきげんでいられるための
大きな前提条件である。

そう思います。

 

コミュニケーションも、そのためにある。
そんなことを以前も書いたことがありますが(→こちら
改めてそうだな、と思います。

 

いまや、テロもどこか遠くの出来事ではなくなろうとしています。

平和を願うのであれば、やはり
まずはすぐそばにいる人たちの違う考えや、心の痛み、
そうしたものを受け止めていく努力から
始めていくことに意味があるのかもしれません。