書道を続けていると、漢詩にも関心が沸き
師匠の下で手ほどきを受けて,
よちよち歩きで自分で作詩しはじめておりました。
それから後、お茶の水の湯島聖堂に通って更に漢詩を学び続けました。。
そんなこんなで
日中友好自詠詩書展にも出品し、毎年中国と日本で展覧会を開催、
と同時に各地を旅する機会に大いに恵まれることに発展していきました。
(※ それ以前からも師匠の個展で中国には一年に一度くらいは旅しておりました)
勿論、多くの地を訪れては拓本にも興味津々になり、
その途上で
現実に足を運び、そこに行った場所で現物の碑を目の前にし、
手に入れた拓本だけに限定して、今回の展覧会に何点か展示してみました。
記念にその中の一点を紹介させて頂きます。
許阿瞿画像石題記
(キョアクガゾウセキダイキ)

1973年河南省南陽市で出土した
70✖112cm 後漢の画像石
南陽漢画館が所蔵する3000件の画像石の中で、こちらは最も重要な画像石の一つであろう・・・とされております。
画像石題記は左側の 56✖16cmの部位に刻られている。
建寧3年(170年)僅か5歳で夭折した『許阿瞿』を亡くした家族の哀悼の辞を記したもので、四言体の韻文で綴られているのは珍しい。
しかも完全な墓誌の形態なのも特別である。
そんな訳で貴重な資料であると感じ記念に購入した次第。
書体は古隷の系統を引くが、一面この期の石刻中、字の重心の低い書風で、「郙閣頌」などに共通する趣がある。
たぶんさほどの書き手が書いたものでは無いのかもしれなくても、
書の美で最も肝心な活き活きとした大らかさが溢れている。
上層左寄りには雑技を観覧する許阿瞿の像を刻し、その傍らに「許阿瞿」と文字が見える。
因みに画像の主題は、許阿瞿の生前の一日である。
旅回りの芸人が、許の家で『舞楽百戯』を演じたのを、幼い瞿が大喜びした。
その賑やかな一日を偲んで、墓中にそれを刻りこんでやったのでしょう。
こうした事情を思い合わせるとき、題記の書風は、いかにも五歳の童にふさわしい素朴さ、それでいて、精一杯の祈りのような心を感じさせてくれる。
好きな拓本のひとつであります。
※伊藤 滋先生の著書を参考にさせて頂きました感謝です。
これにて芙蓉文化賞受賞記念の記録は終わりにいたしますが
ほんの一部を紹介させて頂いたことで大変有難く、
今後の歩みの一里塚としたい。
すべてに対して感謝しかありません_(._.)_
ー芙蓉文化賞記念展覧会・完ー
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