随分前に、ブッシュ大統領の時にも似たような経験があったが、「撃たれる夢で諦めた」と書いたのですが、誤解を呼んだみたいです。
当時は私は大変な状態で、大学の学習を、なんとか、こなすことで頭が、いっぱいだったことと、経済的にも、社会的にも経験したことがない大打撃を受けていました。
決して臆病であったのではないことを証します。
最も今もお金はないのですが、今はかなり自由に自分の頭を使うことができます。
そして、時間がかかることを気にしなければ十分にその効果が期待できる学習に切り替えることができます。
もちろん日本の自分のコミュニティでは、なんとか頑張ってきましたから、実際にはあまり崩したくありません。
そして冷静に、完全に当たらなくても、十分に効果的な国際関係や、各国の政治の基準を考えるには今のままで、しかも失敗がないことが最も良いと思います。
日本だけで生きられることはないことを自覚して、少なくはない、日本の知識人の皆様ばかりではなく、様々な考えを示して欲しいと思います。
イギリスの「エマ・ワトソン」さんのご意見はきっと、私が臆病に感じておられたことと思います。
そして、遠くはない、正しい考えかもしれません。
女性の俳優さんにご意見をもらえたのは大変光栄でした。
私は、歳ばかりとっていても、女性とのプライベートな付き合いはなかったからです。
みんなに分かる程度に少しばかりのプレゼントを多くの女性の皆様にしたことはあります。
それだけでした。ですから、そのような指摘をしていただいたことは、ありませんでした。
なんにしてもこれからの社会運営は、十分に考えられた計画によって確実に進めてゆかなければならないと思います。
身近なコミュニティでさえも、勝手な言葉が交わされていて、それを自分なりに整理するだけでも大変です。
しかし、それをしなければ、きっと進歩はないのです。
そしてその先にきっと、大きな国際的な問題さえも確実に包含できる力になると思います。
どうしても主導的でありたい皆様は、まずご自分のコミュニティーで、十分に様々な試行をしてみることです。きっと、簡単な?「自己犠牲による命を投げ捨てるような聖戦」がよい解決方法ではないことに気づくはずです。
日本の仏教においては、確かに「自分の心を吟味します」しかし、それを、たくさんの他人と共有したり、修正を試みたりすることがほとんど見られません。
元気な私などが、問題にできる機会に指摘するだけです。
しかし、私自身には虚しさが残ります。多くの皆様の本心を聞けないからです。
想像での行動に対して、想像で指摘しても、「想像の解決方法」で対応されるために問題が、明確にならないままに、自分の未熟さばかりを気にします。
それは大変辛い事です。そのうえ、それが雄々しくあって欲しいと願っていたのとは逆に見えるために、蔑まれたり、叱責されるならば尚の事、決して解決の道がありません。
幸い人間には、十分な知能と長年の心理学や人類学などが発達しています。必ず解決できます。
勇気を持って、言葉にしてください。もちろん優しい気遣いも忘れずに。
無意味な「恨みの連鎖」を産まないよう最大限の努力をすることこそ、最も勇気ある行動です。
殺意の前に、あるいは蔑みの前に、よく考えてみましょう。
それでは私たち今生きる世界中の人々に神様のめぐみtと平安と祝福がありますようにお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
当時は私は大変な状態で、大学の学習を、なんとか、こなすことで頭が、いっぱいだったことと、経済的にも、社会的にも経験したことがない大打撃を受けていました。
決して臆病であったのではないことを証します。
最も今もお金はないのですが、今はかなり自由に自分の頭を使うことができます。
そして、時間がかかることを気にしなければ十分にその効果が期待できる学習に切り替えることができます。
もちろん日本の自分のコミュニティでは、なんとか頑張ってきましたから、実際にはあまり崩したくありません。
そして冷静に、完全に当たらなくても、十分に効果的な国際関係や、各国の政治の基準を考えるには今のままで、しかも失敗がないことが最も良いと思います。
日本だけで生きられることはないことを自覚して、少なくはない、日本の知識人の皆様ばかりではなく、様々な考えを示して欲しいと思います。
イギリスの「エマ・ワトソン」さんのご意見はきっと、私が臆病に感じておられたことと思います。
そして、遠くはない、正しい考えかもしれません。
女性の俳優さんにご意見をもらえたのは大変光栄でした。
私は、歳ばかりとっていても、女性とのプライベートな付き合いはなかったからです。
みんなに分かる程度に少しばかりのプレゼントを多くの女性の皆様にしたことはあります。
それだけでした。ですから、そのような指摘をしていただいたことは、ありませんでした。
なんにしてもこれからの社会運営は、十分に考えられた計画によって確実に進めてゆかなければならないと思います。
身近なコミュニティでさえも、勝手な言葉が交わされていて、それを自分なりに整理するだけでも大変です。
しかし、それをしなければ、きっと進歩はないのです。
そしてその先にきっと、大きな国際的な問題さえも確実に包含できる力になると思います。
どうしても主導的でありたい皆様は、まずご自分のコミュニティーで、十分に様々な試行をしてみることです。きっと、簡単な?「自己犠牲による命を投げ捨てるような聖戦」がよい解決方法ではないことに気づくはずです。
日本の仏教においては、確かに「自分の心を吟味します」しかし、それを、たくさんの他人と共有したり、修正を試みたりすることがほとんど見られません。
元気な私などが、問題にできる機会に指摘するだけです。
しかし、私自身には虚しさが残ります。多くの皆様の本心を聞けないからです。
想像での行動に対して、想像で指摘しても、「想像の解決方法」で対応されるために問題が、明確にならないままに、自分の未熟さばかりを気にします。
それは大変辛い事です。そのうえ、それが雄々しくあって欲しいと願っていたのとは逆に見えるために、蔑まれたり、叱責されるならば尚の事、決して解決の道がありません。
幸い人間には、十分な知能と長年の心理学や人類学などが発達しています。必ず解決できます。
勇気を持って、言葉にしてください。もちろん優しい気遣いも忘れずに。
無意味な「恨みの連鎖」を産まないよう最大限の努力をすることこそ、最も勇気ある行動です。
殺意の前に、あるいは蔑みの前に、よく考えてみましょう。
それでは私たち今生きる世界中の人々に神様のめぐみtと平安と祝福がありますようにお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.