皆様おはようございます。
聖書の親しみを、読んでくださったこと、本当に、感謝します。
私の記憶が正しければ、今回は、数年の間・・・たぶん、5年ぐらいは、続いていますでしょうか?
ですが、実際には、インターネットを、止めていた時間を、越えると・・・・?合計したら、ずいぶん長く続いたと思います。
若かったので、そもそも、日本人の会話の、貧相からの寂しさの指摘からでした。
一番初めは、そんな訳で、結婚は、意識したかどうかは覚えていませんが、かなり科学の知識の集合でした。
しかも、なかなか、明るかったのかもしれません。
さて、今回は、結婚について、世界中から、たくさんのアドバイスが、ありましたし、特に、東日本大震災に関係して、USA,UK,その他の国への
避難を、促すメールも、無数に頂きました。
本当に感謝であると共に、自分自身が、子供の頃から、直接神に、愛されたり、・・・。
事もあろうに、人間の労働者の姿を取って、イエス様も、何度も、来て下さったと言う幸せな日々・・・。
それを、事実として受け止めることが、出来ましたし、自分自身、かなり、正しい言動であったと認識をして、この頃、強くなりはじめました。
それまでは、その場限り、人まね、自己主張ばかりの日本の生活の中で、全く取るに足りない者と、されてきました。
地域の格差のせいかもしれませんが・・・・実際にはどうなのでしょうね。
さて、今回授業で「映画のビデオ」見ました。
竹中直人さん主演の、・・・題名は忘れましたが、「愛情いっぽん」という漫画家と知的障害者の娘の物語です。もちろん偽名です。
愛情いっぽんが、肝臓がんになって、本人が、どうしようもなくなって、娘を、絞殺する話です。
終了後、担当教員に、我々ならば、可能性にゆだねて、「娘は殺さない」話や、偉い学者先生の社会福祉に関する本の内容について、話しましたが、私と
しては、かなりショッキングな内容であったので、珍しく自由席で、一人で座ってくれた彼女を、フォローしたいと思いながらも、出来なくて、幸いに、
次に年長の、子供の居る女性が、フォローしてくれたことに甘えてしまいました。
そんな訳で、私の心は、変わりませんが、教室の雰囲気は、変わってしまいましたし、私も、神に信頼しているものの、心配な心況にあります。
皆様の知恵と愛に委ねつつ、自分自身が、出来る最大の準備を続けます。
まもなく、「介護福祉士訓練の最後の実習の1か月」です。少なくともそれが終わるまでは、更新はありません。
もともと、このようなスケジュールですから、その実習のあとに、具体的に、結婚の話を、すすめたいと、思っていましたが、どうなるでしょうか?
精一杯に頑張ってみようと思います。
私の立場は、日本の「日常的には、正しく見えてしまう間違いを日常生活、特に結婚生活で、正しくしていく事が、使命」と思い、国家的な間違いを、や
わらかく、回避するために、聖書も、科学も、詳しくなって、神様もイエス様もマリア様も、私に、直接会ってくださったと思います。
****私自身の祈り*****
父である天の神よ!私の全てを、お捧げいたします!
神である天の父よ!私は、全てに超えて、あなたを、愛します!
そして、私も、天の父であり、神であるあなたが、私を、愛してくださっていることを、知っており、信じております!
主よ!私達人間の社会に、生きる希望を、与えてください!
主よ!私の体と全ての知識と想いとを、そのためにお使いください!
主よ!私の心の思いを正しく、混じりけのないものとして下さい!
主よ!私の心と、思いと、考えを、やわらかく、賢くし、彼女への愛を、純粋に保ってください!
主よ!私がいつも、彼女を愛し、守り、助けられるように、いつも私を教えてください!
主よ!いつも私の体を、あなたの住まいとし、共に居てください!
主よ!私に、正しい働きの場を、お与えください!
主よ!私に家族を養い、全ての人々の光となる家庭生活をお与えください!
主よ!私に、そのための、最も必要な職業を、お与えください!
主よ!いつも、私の思い、行い、言葉を正して、最も相応しい支配的な正しい地位で、全てを守らせてください!
天の父である神よ!私は全てを信じます!
主よ!この世界から、意味の無い争いと、全ての罪ある行為とを、取り除いてください!
主よ!私は、私の全てを、あなたに、委ねます!
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
それでは皆様、私の時間は、多くは無いので、私が、今回、準備している結婚が、安らかに導かれますように、そして、それを通して、世界に、平和が、
もたらされ、家庭生活を通じて、科学技術の発展にも力を尽くせるように、必要な職業も与えられ、神のミサの祝福がありますことを切にお祈り致しま
す。
*******本日の聖書の転記「ローマの人々への手紙3章9節~24節」************
では、どうなのでしょうか。わたしたちは勝っているのでしょうか。
決してそうではありません。
既にはっきり言ったとおり、ユダヤ人もギリシャ人もみな罪のもとにあるのです。
それは、次のように書き記されているとおりです、
「正しい人はいない、一人もいない。
悟るものはいない、神を求める者もいない。
みな、道を踏み外し、役に立たない者となった。
善いことをする者はいない、一人としていない。
彼らの喉は開いた墓、彼らは舌で欺く。
唇には蝮の毒があり、
口には呪いと苦さが満ちている。
彼らの足は人の血を流そうと速く走り、
その行く道には、破壊と悲惨。
彼らは平和の道を知らない。
彼らの目には神への畏れはない」。
さて、わたしたちが承知しているように、律法の言うところはすべて、律法のもとにある人たちに対して言われたのであり、すべての人の口が封じられ、
全世界が神の裁きに服するようになるためです。
なぜなら、律法に定められたことを行うだけでは、人間は誰一人み前に義とされないからです。
律法によっては、罪の意識が生じるだけです。
しかし、今や、律法とは関わりなく、人を救う神の義が明らかに示されました。
律法と預言者がそのことを証言しています。
イエス・キリストへの信仰によって、神の義は信じるすべての人を救い、そこには差別はありません。
人はみな罪を犯し、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスの購いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
****以上、ローマの人々への手紙抜粋*****
聖書の切り貼りみたいなので、本当に、なるべく今後については、書かないようにしたいと思います。
自分の与えられた社会で完全に、神の義に従いつつも、心から喜びを持って、最大の幸せと、力を持ちながら、天に召される時まで、使命を全うし、天国
に入れたら、私も、天から正義と人々の救いのために働きます。 2013/10/26
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.