今日は、今帰りました。
教会で、勉強した後、科学宇宙館によってきたからです。
教会からは、もう、たぶんイスラエル巡礼に、出発したはずです。
その後、例の婚約の機会の件で、教室でよくつぶやいていたせいか、疑わしいお膳立てを創り、私がそれに乗らなかった・・・ため?
・・・つまり、友人とは言え、「当然におごる」なんて事を前提に「ご飯を食べてゆくよ」なんて、おごってもらいたい目上の私に言う少年が、どこに
居るであろうか?
私は、常識で判断して、「ふーん、そうかご飯食べてくのか?私はどうしようかな?食べてから帰ろうかな・・・」・・・つまり、帰る地域が、全く違っ
ているのだから、私としては、当然の判断だと思う。
しかも、こんなに心配している女性が、誰から何を聞いたのか、うれしそうに後ろから彼を追いかけて、私から50mぐらい離れていたが、嬉しそうに、
私を見たとしても、彼を、追いかけていけば、なるほど、若い彼に、色々話しすぎたかな?と思って、そのせいで彼と付き合うことにしたのか?と思うの
は、自然だと思う。
自己弁護ではなく、本当にそう思う。
いい加減に、確信が、確信ではなくなりつつある。
こんな奇妙な専門学校ではなく、もう少しまともな女性を、見つけるべきなのではないかと思う。
ただしこれらのことが起こったのは、過ぎたばかりの木曜日のことである。 ミサでこのことが大きく心に占めたのだから神の計らいかもしれない。
主よ!私を哀れみ、もう一度、正しい判断を、お与えください!
今夜、私が、眠っている間に、私の心を清め、癒し、私と彼女が、今のまま進むことが、適切かどうかの判断を与えてください。
日本人の想いが、実に穢れに満ちていることは知っております。
私は、私自身が、今まで苦しんできた彼女を、守れないのでしょうか?
明日もまた、私の思い、言葉、行いの全てを、あなたにお捧げいたします。
いつも私と共に留まってくださり、私の体をあなたの住まいとし、全てを、私にあらわにしてください。
この世界中の相応しい皆様に神の恵みと祝福と平安とが与えられますよう心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
******ヘブライ人への手紙10章21節~25節の転記****
さらにわたしたちには神の家を司どる偉大な祭司がおられます。
それで、わたしたちはやましい良心から心を清められ、清い水で体を洗われるのです。
ですから、真心と全き信仰をもって神に近づこうではありませんか。
約束をなさった方は真実な方ですから、わたしたちは、宣言した希望に揺らぐことなくしっかりと踏みとどまり、互いに愛と善行に励むように努めましょ
う。
一部の人々の習慣に引きずられて、集会に欠席することなく、むしろ励まし合い、かの日が近づいているのを知って、さらにいっそう、励もうではありま
せんか。
*****以上転記終わり*****
私も未信者さんたちへの慈善のために生きているのではない。
人間として当然の神の報酬を受け取るつもりです。今後の関係がどうなるかは、真実のみによると思う。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.