香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  慈恵蹟

2015年12月27日 00時00分05秒 | Weblog
天皇陛下、教皇パパ・フランチェスコ様、大・司教様方、主任司祭様方、主任司祭板垣神父様、そして、皆様こんばんは!

今日は、いつものこの地域の冬らしく、雲の目立った一日となりました。

これから、年が明けて、寒さとともに、少しづつ明るさが増してゆきます。

そして、待ちに待った春分の日を迎えます。復活節の方が早いですね。

しかし、この地域では、近年は、復活節には、暖かい日が多かったのですが、大雪であったここ二年間です。

私の母については、本当に残念に思います。もう少し、母も人々もわかってほしいことがたくさんあったのですが。

何度もお伝えしているように、母にとっては悪夢の35年になると思います。

それゆえにもう一度生き返ってほしいものですけれど、結局は、年代による苦しみでもあったのかもしれません。

私自身確かに、全身全霊を投入しつつ過ごしていたと思いますから。


私もなるべく早くに、ミサに参加できる生活の基礎がある仕事を神にいただけるようお祈りください。

そんな時が私に来るでしょうか?また結婚できるでしょうか?また、自分の命を全うし、使命を果たせるでしょうか?

私も謙虚になって、一からすべてを学びなおして、社会運営上の知識の実力を整えます。

私が、いわゆる司祭招聘に当たるかどうかは別にして、私が、司祭になることは、今までの地域の様子を見る限り良くありません。


やはり、力による国内平和が、2000年近く・・・現実には、100年ぐらいですが、あるために、

かえって、日本語は、英語などに比べて、かなり表現力、深みに欠けると思いますが、

人々は賢く、そのあやふやを、日本の優しく、心づかいのある良い国として、自画自賛しております。


そこに、私たちの社会生活上の難しさがあります。

私が小さいころから、聖書の内容にこだわったのは、そのためでした。

しかし、周囲には、理解されないので、何度も聖書を捨ててしまったものです。

それに確かに、生きる力にとっては、聖書を知らなければ、過去を全面肯定するしかありませんから、

自画自賛になって、みんなで生きる方向を決めて、正しいと思うようにしてきた社会なのです。

しかも、私たちの正しさとの違いは、明らかにしにくく、時のすぎるのを待つしかなかったのです。

イエス様が私を見捨てなかったし、姿まで見せて、言葉さえかけてくださった理由でしょう。

ですから、私にとってすべては、真実であり、限りなく広く世界が広がっています。


さて、今日もこの世界に神の平安が満ち溢れますようお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti  澤口宏行


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