おはようございます。
この頃は、教皇パパ・フランチェスコ様に、挨拶のつもりで、皆に、挨拶が、自然に出来る恵みに、感謝したいと思います。
何十年ぶりかで、町内会の仕事を通じて、近所の人々とも挨拶が出来るし、これで、最初の郵便局勤務時代のように、母が、
健康で、元気であったならば、確実に、旅行も、いつも、新車を持つことも、可能であったと思うけれども、人々の無謀とも言える
私との関係構築の餌食になってしまったとも言える、私の35年の半生になってしまった。特に母にとっては、ひどかった。
私たち家族は、現在の日本のサラリーマン家族の最もはじめの家族であったから、「サザエさん」のようでもあったし、「ドラえもん」の
ようでもあったし、「ちび丸子ちゃん」のようでもあったし、「天才バカボン」のようでもあったし「クレヨンしんちゃん」のようでもあった。
そんな、時々に応じた生活観は、かなり「生きる達人」であったけれども、真剣に、この国のこと、自分の先祖や子孫のことを考えて、
歴史的な問題とキリスト教の研究を通して、政治、宗教、権力、国家や職業を、分析し始めたことで、アルバイト人と大学生生活になった時には、
本当に、一般として生きる人々の「狡猾」とも言える賢さを学んだ。それが良いことか悪い事かは、別として、私には出来ない生き方なのだと悟った。
それは、自国の危機に際して、政治の世界に入ることを控えて、より国の事務的な、知性的な仕事に、情熱をかけようとした結果であった。
政治にうまく利用されたというよりも、「一般」として生きる人々の、悪く言うと「狡猾」にも近い、賢さ?とその行動に振り回されてしまった。
それでも、こうして、何とか、再起を期すことができたことに、心から神に、感謝したい。そう考えると、母のこの大病の初めからの時間は、
全くの無意味だし、ある必要のない時間だったと思うとやはり、従来の健康体で、生き返ってほしいものだと思うし、
この地域の郵便局に戻って、本来続けていた、まじめな勤務時間と邦人として、人々に対して、情熱をかける人生に戻ってほしいと思うこともある。
しかし、悔しいけれど、何もなかった人生で、順風満帆の国家公務員であったときに比べて、今は、人の前で控えめであり、賢い判断と
人に注意出来るであろう力と人前での力強さが身につきつつある。
やはり、これでいいのだろうか?・・・・「渦中の私」には、まだ判断できない。
そして、今尚、深く感じることは、かなり昔、TV司会者の「タモリ」さんの言った『日本の恐ろしいズンドコベロンチョ』の問題だ。
若い時の私は、上智大学の講座や法政大学・早稲田大学・慶應義塾大学・日本大学での授業に興味を持ちつつも、
やはり、国家公務員として、自分の生まれ育った居住地に、深い関係のある東京大学と東北大学と北海道大学と新潟大学と筑波大学、(福島大学)に、より深く敬意を持っていた。
その結果として、どの大学の授業レヴェルも受けられて、満足できる『準国立大学としての放送大学教養学部』で、最後に落ち着いた。
今後も、今、『担当する年金の仕事』の活躍を終え、年をとってからでも、国・公立大学の医学部での研究ができることを、希望に持っていたいと思う。
それから忘れそうな、NTTをまとめ社長?になる仕事、政治・・・多すぎですね・・・?。まっ取り合えず神にお任せ!なんてね。
今までのように、どんなに苦しんでも、やはり、生まれ育った地域の福島県立医科大学医学部か東北大学医学部での学習・研究が、私に合いそうだ、とまだ思う。
もちろん、経済力と自分の準備が間に合えば、東京大学や東京医科歯科大学や、千葉大医学部、筑波大学も違和感なんて無い。
結局は、戦争の関係で、小学校のみで、就職した父母の世代に大事にされることは、自分以外の殆んど全ての大人に使えさせられることでもあった。
そのために、学習に理解のある親なのに、今では違和感を持つ人々にも使えさせた。それが私の苦労の中心問題だった。
もちろん、今になってみれば、それは良いことだったと思う。外国人宣教者の指導では、地域生活では、孤独を、教えられたが、そのための、知的に、大きな恵みもあった。
これからは、仕事と学習・研究と結婚に全力を注ぎたい。婚期を迎えた皇族の皆様にも豊かな恵みを祈ります。私はその点をどう考えるべきでしょうね・・?
それでは、この世界中に、神の平安が充たされるようにと祈りたい。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti
************************************マタイによる福音書から続き***********************************
大勢の病人の癒し
イエスはガリラヤ全土を巡り、会堂で教え、天の国の福音を宣べ伝え、
民のすべての患いや病気を癒された。
そこで、イエスの評判はシリア全体に広まった。
人々はさまざまな病気や苦しみを抱えた者、悪霊に憑かれている者、
てんかん、中風の者など、あらゆる病人をイエスのもとに連れてきた。
イエスは彼らを癒された。
多くの人々がガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダンの向こうから来て、イエスに従った。
*************************本日の転記はこれまで**************************
この頃は、教皇パパ・フランチェスコ様に、挨拶のつもりで、皆に、挨拶が、自然に出来る恵みに、感謝したいと思います。
何十年ぶりかで、町内会の仕事を通じて、近所の人々とも挨拶が出来るし、これで、最初の郵便局勤務時代のように、母が、
健康で、元気であったならば、確実に、旅行も、いつも、新車を持つことも、可能であったと思うけれども、人々の無謀とも言える
私との関係構築の餌食になってしまったとも言える、私の35年の半生になってしまった。特に母にとっては、ひどかった。
私たち家族は、現在の日本のサラリーマン家族の最もはじめの家族であったから、「サザエさん」のようでもあったし、「ドラえもん」の
ようでもあったし、「ちび丸子ちゃん」のようでもあったし、「天才バカボン」のようでもあったし「クレヨンしんちゃん」のようでもあった。
そんな、時々に応じた生活観は、かなり「生きる達人」であったけれども、真剣に、この国のこと、自分の先祖や子孫のことを考えて、
歴史的な問題とキリスト教の研究を通して、政治、宗教、権力、国家や職業を、分析し始めたことで、アルバイト人と大学生生活になった時には、
本当に、一般として生きる人々の「狡猾」とも言える賢さを学んだ。それが良いことか悪い事かは、別として、私には出来ない生き方なのだと悟った。
それは、自国の危機に際して、政治の世界に入ることを控えて、より国の事務的な、知性的な仕事に、情熱をかけようとした結果であった。
政治にうまく利用されたというよりも、「一般」として生きる人々の、悪く言うと「狡猾」にも近い、賢さ?とその行動に振り回されてしまった。
それでも、こうして、何とか、再起を期すことができたことに、心から神に、感謝したい。そう考えると、母のこの大病の初めからの時間は、
全くの無意味だし、ある必要のない時間だったと思うとやはり、従来の健康体で、生き返ってほしいものだと思うし、
この地域の郵便局に戻って、本来続けていた、まじめな勤務時間と邦人として、人々に対して、情熱をかける人生に戻ってほしいと思うこともある。
しかし、悔しいけれど、何もなかった人生で、順風満帆の国家公務員であったときに比べて、今は、人の前で控えめであり、賢い判断と
人に注意出来るであろう力と人前での力強さが身につきつつある。
やはり、これでいいのだろうか?・・・・「渦中の私」には、まだ判断できない。
そして、今尚、深く感じることは、かなり昔、TV司会者の「タモリ」さんの言った『日本の恐ろしいズンドコベロンチョ』の問題だ。
若い時の私は、上智大学の講座や法政大学・早稲田大学・慶應義塾大学・日本大学での授業に興味を持ちつつも、
やはり、国家公務員として、自分の生まれ育った居住地に、深い関係のある東京大学と東北大学と北海道大学と新潟大学と筑波大学、(福島大学)に、より深く敬意を持っていた。
その結果として、どの大学の授業レヴェルも受けられて、満足できる『準国立大学としての放送大学教養学部』で、最後に落ち着いた。
今後も、今、『担当する年金の仕事』の活躍を終え、年をとってからでも、国・公立大学の医学部での研究ができることを、希望に持っていたいと思う。
それから忘れそうな、NTTをまとめ社長?になる仕事、政治・・・多すぎですね・・・?。まっ取り合えず神にお任せ!なんてね。
今までのように、どんなに苦しんでも、やはり、生まれ育った地域の福島県立医科大学医学部か東北大学医学部での学習・研究が、私に合いそうだ、とまだ思う。
もちろん、経済力と自分の準備が間に合えば、東京大学や東京医科歯科大学や、千葉大医学部、筑波大学も違和感なんて無い。
結局は、戦争の関係で、小学校のみで、就職した父母の世代に大事にされることは、自分以外の殆んど全ての大人に使えさせられることでもあった。
そのために、学習に理解のある親なのに、今では違和感を持つ人々にも使えさせた。それが私の苦労の中心問題だった。
もちろん、今になってみれば、それは良いことだったと思う。外国人宣教者の指導では、地域生活では、孤独を、教えられたが、そのための、知的に、大きな恵みもあった。
これからは、仕事と学習・研究と結婚に全力を注ぎたい。婚期を迎えた皇族の皆様にも豊かな恵みを祈ります。私はその点をどう考えるべきでしょうね・・?
それでは、この世界中に、神の平安が充たされるようにと祈りたい。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti
************************************マタイによる福音書から続き***********************************
大勢の病人の癒し
イエスはガリラヤ全土を巡り、会堂で教え、天の国の福音を宣べ伝え、
民のすべての患いや病気を癒された。
そこで、イエスの評判はシリア全体に広まった。
人々はさまざまな病気や苦しみを抱えた者、悪霊に憑かれている者、
てんかん、中風の者など、あらゆる病人をイエスのもとに連れてきた。
イエスは彼らを癒された。
多くの人々がガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダンの向こうから来て、イエスに従った。
*************************本日の転記はこれまで**************************