『国民なき経済成長』 浜矩子
¥800+税 KADOKAWA(角川新書) 2015/4/10発行
ISBN978-4-04-101646-6
副題:脱・アホノミクスのすすめ
いくら新書といっても、この中身はないわー。
浜矩子は好きだし、アベノミクスをアホノミクスと呼ぶその感性も大好きだけど、内容に説得力が足りないと思うの。これでは、前提として安倍が嫌いという人だけが集まって感情論で騒いでいるかのようだ。
もっと理論武装できる内容が欲しいです、先生。
専門書を読めってか? そうですね。
もちろん、全然内容がないというわけではない。
読み応えのある部分も、ある。浜矩子先生だもん。
> 破壊行為には、いつの世にも強い感染力がある。誰かが破壊行動に出ると、自己防衛上、ほかの住人たちも同じ形で逆襲せざるを得なくなる。たとえ、それが本意でなくても、やらなければやられる。だから、やらざるを得ない。その心理と口実が根を下ろすと、病弊は瞬く間に広がる。1930年代の世界が、このおぞましき病弊の蔓延によって、悲劇への道をまっしぐらに突き進むことになってしまった。(19頁)
安保法案は、この破壊行動に出るぞという意思表示。病は感染し、広がる。
> 安倍政権の経済政策は、人間に目が向いていない。労働者をみるべきところに、労働力をみている。生産者をみるべきところに生産力をみている。技術者をみるべきところに技術力をみている。学生をみるべきところに学力をみている。国民をみるべきところに、国力をみている。(16頁)
だから我々国民がどれだけ声をあげても安倍の耳には届かない。国民を国民とは思ってない。国民とは国のために働くだけの存在だと思っている。そして国のためとはすなわち安倍自身を富ませるため、という意味だ。
> 国家が社会性を持つために、必要な姿勢と心構えは何か。それは、いかなる場合においても、弱者救済のために何が出来るかを慮っていることだろう。強き者たちの繁栄は、それこそ市場原理に任せておけばいい。市場原理が我を忘れて狂暴化した時こそ、その野生返りを牽制して、経済活動における人間性を復権させる。そのために、政策がお役に立たんとはせ参じる。それが国家の社会性というものだろう。(178頁)
なのに安倍は、自ら旗振り役となって市場の暴走に拍車をかけようとしている。そして国家は社会性を失わんとしている。