〈借金人間〉製造工場――“負債の政治経済学〟 | |
マウリツィオ・ラッツァラート(杉村昌昭・訳) | |
作品社 |
¥2,200+税 作品社 2012/6/15発行
ISBN978-4-86182-390-9
『脱資本主義宣言』と対になる本かと思っていたのだけど。
『脱…』が思っていたよりずっとやわらかく読みやすかったのに対し、『借金…』は思っていたよりずっとしゃっちょこばってて読みにくかったので、天と地ほどの開きができてしまいました。
論文様の文章で、読みにくいのなんのって。
内容的には興味深いんだけどなあ。
> 債権者/債務者の関係は「社会的諸関係に直接働きかける」だけにとどまらない。なぜなら、この関係はそれ自体が権力関係であり、現代資本主義のもっとも重要で普遍的な様相の一つだからである。クレジット(信用貸し)あるいは負債、そして債権者/債務者の関係はある特殊な権力関係をなし、主観性の生産と統制の特殊な様態(「経済的人間(ホモ・エコノミクス)」の特殊な形態としての<借金人間(ホモ・デビトル)>)をもたらす。債権者/債務者の関係は、資本/労働、福祉国家/利用者、企業/消費者といった関係に重ねあわされ、それらの関係を貫いて、利用者・労働者・消費者を<債務者>に仕立て上げる。(46頁)
> 「実体経済」が「賃金労働者」を貧困に陥れ(賃金据え置き、不安定化などによって)、社会的諸権利の所持者を貧窮化させる(所得再配分の削減、公共サービスの減少、失業手当や学生奨学金のカットなどによって)という事態を生み出しているにもかかわらず、金融界は彼らをクレジットや株式所有によって豊かにしていると主張している。(141頁)
> “危機”という言葉はポジティブな意味をも内包している。なぜならそれは、乗り越え可能な状況をも指示しうるからである。[…]
> しかしながら、今日われわれは、現状はそうではないという明瞭な感覚を抱いている。なぜなら、われわれが生きている状況は、危機というよりも破局に似通っているからである。(188頁)