山と草花と麺三昧【博多発 森の熊さん】

日々の山歩きと出会う雑草や花と庭いじりとかとかなんでもありで、とても麺好きな博多の熊さんが綴る淡々とした日記です。

博多旧町名石碑巡り!!その31(赤間町)

2009年12月26日 12時34分00秒 | 博多旧町名石碑巡り
★31回目も、冷泉町エリアからです。

31.【旧赤間町】あかんまち(冷泉町9)その7


 
【旧赤間町】あかんまち


【寿福寺の案内版】

●「流」:厨子町流
●居所:福岡市博多区冷泉町9
●碑文:細工物師宮大工など居住 狂歌名人 泥卯こと坂本卯平も大工としてこの町にいた
●云々:ここは、石城第4番札所の碑があるところで、これも追っかけの対象としたいのですが、
    詳細が不明です。いずれ探さねば・・・

    子安観音(旧赤間町)は昔から盆明け18日、19日が祭りである。
    町名は博多七厨子のひとつ、赤間厨子(観音堂厨子)があったことに由来する。
明治7年までは赤間町上(あかんまちかみ)といった。
町内には浄土宗寿福庵(本尊は子安観音)がある。慶応2年の「博多店運上帳」によると
町内には古道具屋・水牛細工・かもじ屋などがあったとされる。
    明治中期、一丸智定(のち初代橘旭翁)とその一門が琵琶を教えていたため、「赤間町に行く」
といえば琵琶を習いに行くことであった。智定は嘉永元年に上赤間町に生まれ、
荒津琵琶を改良し筑前琵琶を創始した人物であり大正期に全国に筑前琵琶ブームをまき起こした
一人である。戦後新設された東西に通じる道路から陸側の町である。
町界町名改正後は冷泉町となる。
    町名は古来一帯が小高い土地であったためと思われるが確証はない。
明治7年までは小山町上。
呉服町流。福岡藩主の墓がある東長寺、維新の志士加藤司書切腹の地・天福寺、人魚伝説が伝わる
竜宮寺がある。
竜宮寺には博多七観音のひとつが、天福寺には博多七堂のひとつがあった。

といった云々がありましたので、紹介しておきます。
●案内:云々のなかに喪あるように周りは古風な木造の家屋の中にあります。
    紅いフェンスがあり「子安観世音菩薩 寿福寺」の前にあります。
●地図:http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.24.49.625N33.35.31.670&ZM=12

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