山と草花と麺三昧【博多発 森の熊さん】

日々の山歩きと出会う雑草や花と庭いじりとかとかなんでもありで、とても麺好きな博多の熊さんが綴る淡々とした日記です。

博多旧町名石碑巡り!!その33(瓦町)

2010年01月05日 06時55分16秒 | 博多旧町名石碑巡り
★33回目は、祇園町エリアからです。

33.【旧瓦町】かわらまち(祇園町9)その1


 
【旧瓦町】かわらまち


【下照姫神社の案内版】

●「流」:新町流(岡新町流ともいう)
●居所:福岡市博多区祇園町9
●碑文:黒田藩に随行した瓦師の町で縁結びの神 吉祥天社あり
●云々:町名は黒田長政の筑前入りの際に、播磨から連れてきた瓦師たちを居住させたから付いた名前のようです。
    岡新町流とも言ったそうです。
    町の西側に妙静寺という浄土真宗の寺院があったそうで、戦時疎開して那の川へ移転してようです。
    下照姫神社は古くは吉祥天社と呼ばれ、住吉神社の大祭に神輿が吉祥天社へと渡り、
    翌月還御の際に伶人たちが音楽を奏したという。それによりその道筋の橋を管弦橋といい、
    その周辺を管弦町ともいうようになったとの記述もありました。
    幕末頃も陶工が多く、素焼細工、素焼人形、瓦師などが24軒あったそうです。
    戦前までガラス店、家具店、柴田酒造所、祗園醤油などが並び空襲は免れたものの、
    国体道路の建設および現博多駅に通じる駅前通りの新設により本道は中断され、町の様子も変わったようです。
    戦後渕上呉服店がこの地へ移転開店し、渕上百貨店~ユニードへと発展したんですね。
    また、この地にあった珠算専門学校が後、竹下へ移転しあの「沖学園」となったそうです。
    町界町名改正により、一部が祗園町、上川端町となり44年に残りが祗園町となったみたいですね。
●案内:博多駅の正面の大通りを、中洲方面に向かって行くと、国体道路と出会う手前の左側にあります。
    向かい側は、チャペルの結婚式場があります。後方にはキャナルシティがある場所です。
    「下照姫神社」の入口にあります。
●地図:http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.24.51.804N33.35.15.272&ZM=12

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