Kumitsu式太極拳《室町武術文化を繋ぐ会》

すべての太極拳共通のシークレット・テクニック伝授の教室ブログ

なぜ日本人は失ったのかーその感覚を

2018年09月08日 11時51分43秒 | 天地人
・室町期から江戸、明治そして

つい昭和18年~20年ごろまでに生きた人の感覚と

今の日本人の感覚は大きく異なるものがあります。

それをまとめると

・歩みをすすめる感覚

・ものを大切にできる感覚(皮膚接触をさします)

・人に対する感覚 =人と関わり合う感覚

・呼吸と向き合う感覚(呼吸法ではなくて普段のもの)

・肌の感覚

ちょっと思いつくものでもこれだけあります。

武術や書カルチャーなんかで生徒さんと向き合ってきて

どうしても表面ばりのテクニックや技に(生徒さんの多くは)こだわってしまいます。

こだわるのは悪い事じゃない、善いことなんだけれど

大切なことを学ばずに、いきなり技

つまりからだの動かし方に性急にいこうとします。

そうすれば、本質を見失うため、結論としては

なんにも身に付かない、時間ばかり失うことになっちゃいます。(お金も失いますね、タイムイズマネーですから)

大切な事

それは"感覚"です。

日本人がかつて生活の中で自然に身につけてきた「感覚」を言っています。


・食事でもそうです

 電気冷蔵庫はありません、防腐剤もつかわれていない

 人の嗅覚が触覚や視覚がフル活躍します。

・見た目より「肌ざわり(風合い)」を大切にした国民服。

 国民みんな来ていたと言えば、着物です。着物と言っても浴衣みたいなもので

 成人式の高級な着物をイメージしないでください。

 着物は、江戸期からつい昭和まではみんなきていました。(明治期からは西洋服が入ってきましたが庶民はまだ着物) 

 季節的なもので着物を着ていたというより、日本人にバッチリ合っていたから

 着物で過ごしていたと考えます。

 私も稽古は、着物・袴で時々やっています。

 帯をしめて(武道の帯じゃなく)やっています。

感覚と言うのは、知識じゃなく「ほらっ!!」と見せることができません。

しかし、確実に教えることができるものです。

では、なぜ世の中の教室・道場などでは教えてくれるところが稀なのか?

それが「感覚」をとることを大切にしているかを、それぞれの指導者がどの程度の割合でやっているかということにつきます。

昨日の、講座(疲れない・苦しくない登山法)でもそうですが

私は、テクニックを教えていなくて

こうすれば「こういう感覚」が生じますよ

それを大切にして行動をおこしたとき、身体に影響がでますよと

「ほらねっ!」というふうな指導をしています。

それが私のところへわざわざ来られる生徒さんへの指導の柱として大切にしています。

そうです、"感覚"を教えていけるのです。

そのためには、こうしましょう、こういう姿勢をまずは取ってください。と言って指導しています。


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