当会のレッスンは、
空気を読むはありません。
レッスンテーマを読む(腑に落ちる)。そこを目指します。
1367年あたりから
織豊時代のころの茶人、武人、職人、庶民
そのころの生きた人間と
700年経った現代の人との間に
根本的な人間の性質、脳力、能力はそんなに変わってません。
(そんな短期間に生物として変化・進化できない)
しかし、私が室町時代を持ち出すのは
その時代の芸事の行き着いた技術(極められた武・茶など)は
人間の持っている基もとの「ヒト能力」の活用のレベルが飛躍的に沸点に達した
それにすぎないと思っています。
しかし、その頃は、ごく一部の武人、茶人、芸事の名人だけに限られていました。
今現代もそういう傾向は残っています。
ただ、それがほんの少しですが雪解けの春のように
一般の武術家や茶人、書道家に
生まれつきの才能や努力
その2つの枠を超えた、究極の技術(身体操作の事でなく)が静かにですが
ゆっくりと知られて広まってきています。
ただし、迷いごとの類ではありませんので、ご注意ください。
見分け方は、
作用が実際に起きるということです。
空気を読むはありません。
レッスンテーマを読む(腑に落ちる)。そこを目指します。
1367年あたりから
織豊時代のころの茶人、武人、職人、庶民
そのころの生きた人間と
700年経った現代の人との間に
根本的な人間の性質、脳力、能力はそんなに変わってません。
(そんな短期間に生物として変化・進化できない)
しかし、私が室町時代を持ち出すのは
その時代の芸事の行き着いた技術(極められた武・茶など)は
人間の持っている基もとの「ヒト能力」の活用のレベルが飛躍的に沸点に達した
それにすぎないと思っています。
しかし、その頃は、ごく一部の武人、茶人、芸事の名人だけに限られていました。
今現代もそういう傾向は残っています。
ただ、それがほんの少しですが雪解けの春のように
一般の武術家や茶人、書道家に
生まれつきの才能や努力
その2つの枠を超えた、究極の技術(身体操作の事でなく)が静かにですが
ゆっくりと知られて広まってきています。
ただし、迷いごとの類ではありませんので、ご注意ください。
見分け方は、
作用が実際に起きるということです。