Kumitsu式太極拳《室町武術文化を繋ぐ会》

すべての太極拳共通のシークレット・テクニック伝授の教室ブログ

間極(あいだのきわみ:堺市秘伝太極拳教室ー聞いて!!その1.)

2018年10月10日 12時42分14秒 | 天地人
"間の極"

 私たちは、私たちではなくて

 僕もぼくではなくて

 私も私だと認識するためには、様々な

 自分とそれ以外の世界をつないでいるツールを使っていかないと

 感覚も出来ず、会話も出来ず、マッサージ(肩たたきなんか)も出来ず、柔道の試合も

 なりたたず・・・

 そういった、自分との間をとりもつものを極めていくというスタンスを私は(当会で)とっています。

 
 今日は、"音"をテーマ少しだけ書いていきます。

 生物には、音(個体別に聞こえる音域はあります)を感覚して生きる術があります。
 
 仲間に危険を知らせる"音=声"を発する動物

 求愛のための鳥たちのさえずりなどです。

 日常生活

 対人コミュニケーションでは、声"音"が「間」をとりもって

 お互いの気持ちや意思を伝えています。

 でもその声は自分と相手を取り次いでいる"間の極"であるにも関わらず

 あまり注意をはらったり、特に意識しているわけではありません。

 それは結論としては、とてももったいないことなんです。

 可愛らしい子どもの"だみ声"を聞いたりしたらがっかりしたり

 美人さんのガラガラ声や容姿にあまりにも似合わない声をきいたらちょっと残念になったりもします。

 その反面、特異な声で有っても

 ルパン三世の声は、絶対にあれですし、

 ドラゴンボールの「おら、悟空!」の声も絶対に野沢さんじゃだめですよね(本日のスポニチに野沢さんはでかでかと記事にあります)

 そうなんです、

 つまり声は、武器になるんです。

 何の武器かというと

 生きていくにおいての武器です。

 ですから、自分の発する声については、意識しても意識しすぎることはないのです。

 声で私たちは、相手に対してイメージをもっちゃいます。

 声で、人から「きつい言葉を投げられても」

 許せる人と

 むかつく人

 まぁ、いいか! って思える人・・・・

 言葉じゃないんです。

 その言葉を発している相手の声(そのトーン・性質)や表情、態度によって

 私たちは、快や不快を機敏に感じているわけです。

 ですから、

 当会の公式ウェブサイトのタイトル"間の極"

 つまりは、自分と相手との「間」を極めましょうと提案しています。

 太極拳や合気道の武術で有れば

 "皮膚"または"空間"、武器なんかもそうですよね。

 相手と自分は、皮膚という"間"をとおして情報交換しています。

 江戸時代以前なら刀(刃物)が間にあります。

 その刃の向こうに生死が"間"としてあるわけで、その攻防が武術そのものです。

 
 

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