水曜日黄昏シニアのスマホ・パソコン学習室

60歳以上のシニアのおっさんおばさん達の公民館でのスマホ・パソコン学習会の足跡です。

長野堰めぐり高崎経済大学地元学講座

2016年12月15日 | 日記
2016年12月15日投稿
11月29日高崎経済大学第2回地元学講座「長野堰用水主要施設をめぐる」に参加しました。
事務局、長野堰を語りつぐ会、参加者四十数余名がバス2台に分乗し室田、榛名神社を通って11月末の榛名湖へ向かいます。


榛名湖余水取水口
榛名湖の余水を榛名川へ流します。(榛名川は下流で烏側に合流)

榛名湖畔の休憩所で昼食後榛名山を下って高崎市街へ

長野堰頭首工
烏川から取水する所




榛名白川サイホン


榛名白川です。用水はこの川底の下を潜ります。



用水は高崎市街地を巡って円筒分水堰へ


用水を円筒分水工で4つに分流する所、水がサイホンの原理で中心部の円筒から湧き出ます。


長野堰施設めぐり
気づいたことなど
◆高崎市街地の標高

コメント:井野川上流でも高崎中心部より標高が低いため、井野川を利用することができなかった。烏川と井野川に挟まれ井野川が烏川に合流する倉賀野あたりまでのデルタ帯は台地のため、水が足りず、このままでは開墾・増産困難、人は増えない。

国土地理院地図から引用

◆長野氏年表

甲陽軍艦より
…みのわの城、信玄公惣御人数二万を以、もみくづし被成候。略…就中みのわ城落城して、永野信濃の守女房子供、ことごとく御せいばいなり。略…長野信濃守、大かうの武士といい、地戦には千騎の侍をもち候故、みのわの城、信玄公三十七歳の時より、としどし働きたまい、四十三歳にて、七年めに、みのわの御手に入る。是も三年以前、かの酉の年、信濃守病死して、二十より内のせがれの代にも三年もち、今度落城にても、信玄公の衆に手負い、死人おほし。信濃守家中の侍衆、よき武士共なる故、如此し。……

長野氏最後の城主 業盛の墓


 長野業盛辞世の歌として伝えられている  陽風(春風)に氷肌(梅)も桜も散りはてて名のみぞ残る箕輪の郷かな

◆榛名白川サイホン
サイホンの原理はエネルギー保存則に基づくベルヌーイの定理で説明されます。


◆あとがき
長野堰が11月に「世界かんがい施設遺産登録」が決まりました。ツアーのバス車中で「長野堰を語りつぐ会」、会長・副会長から丁寧で熱心なガイダンスを受けることができました。榛名湖では冷えた体に温かい昼食(ワカサギのフライとうどん鍋)が良かった。事務局ありがとうございました。参加費用昼食付1,400円
円筒分水堰の構造を次のユーチューブで水が流れていない時の映像で見られます。
ビデオ行脚さん「農業遺産 宇佐・上乙女の円筒分水」2015/08/19 に公開 

以上です。
それでは また



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