1990年代パチンコ・パチスロ実戦記「バラのつぼみ」

私が学生時代に書き留めていたパチンコ・パチスロの実戦データをベースに当時を懐かしむブログにしようと思っています。

1994年12月20日(火)-14,000円 CRFネプチューン・エニイセブンA他

2018-12-27 00:45:26 | 1994年12月実戦データ
1994年12月20日(火)
(東京の天候:曇 後 晴 最高気温6.6度 最低気温2.2度)goo天気より
場所:営団地下鉄東西線葛西駅前

店名:グランド7

エニイセブンA(57番台) 高砂4-2号機(Aタイプ)
188G やめ 6,000円

(56番台)
109G やめ 3,000円

(36番台)
--44G REG 2,000円
-187G BIG 4,000円
-162G BIG
-322G やめ

(50番台)
159G やめ 5,000円

プレイガールクイーンⅡ(23番台) オリンピア4-2号機(A-Cタイプ)
84G やめ 3,000円

店名:ウ〇スタン葛西店

ザンガスⅡ(裏)(575番台) 大東音響4-2号機(Aタイプ)
120G やめ 4,000円

フリッパー3(372番台) ユニバーサル販売4号機(Aタイプ)
60G やめ 2,000円

店名:パーラー英

CRフィーバーネプチューン(150番台) 三共CRデジパチ 無制限
---9回 中段赤BAR 500円
(確変) 右上り青7
(確変) 上段マーメイド(深海リーチ)
(確変) 右下り青BAR
(確変) 下段宝箱
-315回 やめ(5,976個)

CRFネプチューントータル +13,000円

店名:グランド7

CR球界王EX 西陣CRデジパチ 無制限
212回 やめ 7,500円

エニイセブンA(57番台)
--29G BIG 1,000円
--38G BIG
---1G REG
-107G BIG
-272G REG
--84G BIG
-100G やめ(746枚)

(57番台)トータル +9,500円

12月20日トータル -14,000円

この日は序盤昨日活躍したエニイセブンAでろくにボーナスが引けずに投資がかさみます。いわゆる昨日出した分返せ状態です。ずーっと大当りがあまり引けない状態でしたが普段相性の悪いFネプチューンで僅か9回転で確変絵柄大当りからの5連チャンするも・・・回りが芳しくなく持ち玉があるにも関わらず途中で投げ出します。その後またエニイセブンAを打って9,500円回収しますが結局この日は14,000円の負けで終わります。
この日記を読んでいてふと思ったのですがパーラー英でCR機に500円投資してその後グランド7でCR機に7,500円投資しています。これはパーラー英で購入したパッキーカードをグランド7で利用してるんだろうなという事です。玉貸しプリペイドカードがどのような歴史を歩んだのか詳しくは知りませんが黎明期は東日本がパッキーカードで西日本がパニーカードという名称でしたが全国どこでも利用できる共通規格を目指して始まったと思います。ですが結局東西の融通が利くことは無かったような気がしますが(東京で買ったパッキーカードを帰省時に島根県のホールで利用した記憶がないです。その逆も)・・・東西エリア内であれば購入店舗以外でもどの店舗でも利用出来ました。末期はハウスカード状態だったと記憶していますのでこの当時はまだ使い勝手が良かったですね。そういえばこの当時は1万円とかの高額カードを購入すると25玉位のサービス玉が貰える販売機がありました。ですがみみっちいのでその自販機でも3千円カードを購入することが多かったですね・・・使い終わったパッキーカードを台のガラス面に挟んでハマリ具合をアピールするのがクールだったような記憶があります(恥)