1994年2月1日(火)
(東京の天候:曇り 後 雨 最高気温7.3度 最低気温0.7度)goo天気より
場所:営団地下鉄東西線葛西駅前
店名:グランド7
アラジンⅡ(1番台)サミー工業3-1号機(A-Cタイプ)
PM7:10より設定6
-285G REG 9,000円
-149G REG 4,000円
-300G BIG 8,000円
--77G REG
-149G やめ
PM08:50まで
総ゲーム数960G
BIG1回 1/960
REG3回 1/320
A C0回 0
店名:ウエスタン葛西店
ニューパルサー 山佐4-1号機(Aタイプ)
--39G BIG 2,000円
--62G BIG
-199G REG
-300G やめ
店名:パーラー英
グレートハンター(537番台)エーアイ3-2号機(Aタイプ)
---5G REG 1,000円
---6G REG W
--54G やめ 1,000円
(538番台)
37G やめ 1,000円
2月1日トータル -26,000円
この日は夕方からアラジンⅡを打っていますが、ボーナスがなかなか引けず現金投資に次ぐ現金投資でノックダウン、お店を変わってニューパルを打っています。話は過去に遡りますがウエスタン葛西店にニューパルサーが入ったのはニューパルが発売されてすぐの1993年4月頃でした(都内でも相当早い時期の入荷だったと思います)パネルはもちろん必勝ガイド誌で連チャンしやすいと言われていた(?)赤パネル(緑パネルは発売から幾らか経過してからの発売)です。その頃、私のアパートにはパチンコが大好きな友人(後年パチプロになる)が都内の大学を複数受験していたため1カ月程度居候していました。ニューパルがウエスタン葛西店に入荷した1日目はなぜか友人と私と合わせても持ち合わせが1,000円しかありませんでした(バカですね)。当時としては珍しく新台1日目もAM10時開店でしたので、新台=モーニング多数と考えた私たちは万全を期して多分8時か9時位から先頭で並び(バカ)、並びの先頭をキープしていた私達は朝一ダッシュに打ち勝ち満を持してカウンター前のカド台を抑えました。当時、新台入れ替え時のカド台モーニング投入率はかなり高かったはず(根拠なし)ですので、台を抑えた時点でその日の勝ちを確信して(根拠はまったくありませんが)2人ともしてやったりのどや顔だったと思います。スタートの10時を迎えなけなしの1,000円は私のお金だったので私が打ったのですが、なんとモーニングはというと残念ながら入っておらずこの世の終わりかと思っていました。しかし、悪運強く50枚のコインが無くなる寸前で最初のBIGがかかり、その日はニューパル連チャン炸裂で最終的にコインを3,000枚程度交換出来たと思います。最初のBIGはたしか残りコイン0の状態で7図柄がハサミ右下がりテンパイをして目押しに長けていた友人が入魂の目押しをするとそのまま7が揃いました。その時の右リールはゲチェナだったんですが、まだ攻略誌にリーチ目があまり載っていない時期だったらしくスーパープラネットの知識しかない自分らにはテンパイした時点で2確目だったとは知る由もありませんでした・・(ちなみに、その日のうちにゲチェナはリーチ目だと気付きます)パチンコを長期間しているとこういう風に絶体絶命のピンチから起死回生の一撃で生還する事って何回かありますよね。話は戻って1994年2月1日ですが、ニューパルでもグレハンでもぱっとしなくてアラⅡで負った傷をさらに深くして1日を終えております。
(東京の天候:曇り 後 雨 最高気温7.3度 最低気温0.7度)goo天気より
場所:営団地下鉄東西線葛西駅前
店名:グランド7
アラジンⅡ(1番台)サミー工業3-1号機(A-Cタイプ)
PM7:10より設定6
-285G REG 9,000円
-149G REG 4,000円
-300G BIG 8,000円
--77G REG
-149G やめ
PM08:50まで
総ゲーム数960G
BIG1回 1/960
REG3回 1/320
A C0回 0
店名:ウエスタン葛西店
ニューパルサー 山佐4-1号機(Aタイプ)
--39G BIG 2,000円
--62G BIG
-199G REG
-300G やめ
店名:パーラー英
グレートハンター(537番台)エーアイ3-2号機(Aタイプ)
---5G REG 1,000円
---6G REG W
--54G やめ 1,000円
(538番台)
37G やめ 1,000円
2月1日トータル -26,000円
この日は夕方からアラジンⅡを打っていますが、ボーナスがなかなか引けず現金投資に次ぐ現金投資でノックダウン、お店を変わってニューパルを打っています。話は過去に遡りますがウエスタン葛西店にニューパルサーが入ったのはニューパルが発売されてすぐの1993年4月頃でした(都内でも相当早い時期の入荷だったと思います)パネルはもちろん必勝ガイド誌で連チャンしやすいと言われていた(?)赤パネル(緑パネルは発売から幾らか経過してからの発売)です。その頃、私のアパートにはパチンコが大好きな友人(後年パチプロになる)が都内の大学を複数受験していたため1カ月程度居候していました。ニューパルがウエスタン葛西店に入荷した1日目はなぜか友人と私と合わせても持ち合わせが1,000円しかありませんでした(バカですね)。当時としては珍しく新台1日目もAM10時開店でしたので、新台=モーニング多数と考えた私たちは万全を期して多分8時か9時位から先頭で並び(バカ)、並びの先頭をキープしていた私達は朝一ダッシュに打ち勝ち満を持してカウンター前のカド台を抑えました。当時、新台入れ替え時のカド台モーニング投入率はかなり高かったはず(根拠なし)ですので、台を抑えた時点でその日の勝ちを確信して(根拠はまったくありませんが)2人ともしてやったりのどや顔だったと思います。スタートの10時を迎えなけなしの1,000円は私のお金だったので私が打ったのですが、なんとモーニングはというと残念ながら入っておらずこの世の終わりかと思っていました。しかし、悪運強く50枚のコインが無くなる寸前で最初のBIGがかかり、その日はニューパル連チャン炸裂で最終的にコインを3,000枚程度交換出来たと思います。最初のBIGはたしか残りコイン0の状態で7図柄がハサミ右下がりテンパイをして目押しに長けていた友人が入魂の目押しをするとそのまま7が揃いました。その時の右リールはゲチェナだったんですが、まだ攻略誌にリーチ目があまり載っていない時期だったらしくスーパープラネットの知識しかない自分らにはテンパイした時点で2確目だったとは知る由もありませんでした・・(ちなみに、その日のうちにゲチェナはリーチ目だと気付きます)パチンコを長期間しているとこういう風に絶体絶命のピンチから起死回生の一撃で生還する事って何回かありますよね。話は戻って1994年2月1日ですが、ニューパルでもグレハンでもぱっとしなくてアラⅡで負った傷をさらに深くして1日を終えております。